「それが悲劇の始まりとも知らずにな」
昼休みの出来事に、まったく身の入らない授業を終え、放課後に情報屋ヴァイスは、私の部屋へと来ていた。
彼は出されたお茶とお菓子を、遠慮することなく平げながらも、絵本を子供に読み聞かせるよう、流暢に語った。
「二人は、元々仲が良かったんですか……。
あんなのを見てしまったので、考えられないですよ」
「つっても、入学してすぐの頃だから、三ヶ月ほど前のことだぞ?」
「えっ……。あ、そっか。入学の時なんだから、そうなりますよね。
でも、出会って、仲良くなって、険悪になるのに三ヶ月しか経ってないって……。
いったい、二人になにがあったんですか?」
「ここから先は有料になりまーす」
ニヤつきながら、ヴァイスさんはそう告げた。
気になるところで話を止める、なんて汚いやり口だ……。
「さすが情報屋ですね」
「お茶とお菓子で出せる内容は、さっきのところで終わりってことだぜ?」
「そんなにお金にがめついなんて、本当に貴族なのか疑わしいわ……」
「準男爵なんて、平民と貴族の線の上を、落ちないよう綱渡りしてる程度の立場さ。
いざという時のためにも、せこせこ稼がねえとな」
口調といい態度といい、やはり彼は貴族の家系とは思えなかった。
なのに、そんな彼が公爵家の令嬢と顔見知りだというのもまた、信じ難い。
彼が情報屋という、信用を売っている人物でなければ、彼の口から出る言葉なんて、信じてなかっただろう。
「情報料はいくらなんですか?」
「そうだな、この程度はもらわねえとな……」
手帳を取り出し、手書きの価格表ページを開く。
その中に羅列された数字の中のひとつを、彼はペンで指し示した。
「そっ、そんな額、払えるわけないでしょう!?」
「ま、平民の収入を考えれば、半年くらい飲まず食わずで、やっと払える額って程度か」
「ボッタクリもいいところですっ!!」
「じゃ、取引はなかったことに……。
なんたって、公爵令嬢の秘密だぜ? 高くて当然だろ?」
「ちょっ……。もう少し、なんとかならないんですか?」
「俺は安売りはしない主義なんでな。ま、他の奴から聞けばいいんじゃないか?
もちろん、公爵令嬢のゴシップをベラベラ喋るような、命知らずが居ればの話だが」
「そんな……」
くっ……。結局、面白半分に遊ばれただけだ。
平民に払えない金額を提示した時点で、からかわれているのは間違いないのだから。
「なんだよその顔は。文句あんのか?」
「ありますよ! 最初から教える気なんてなかったんでしょう!?」
「おいおい、俺がそんな悪魔みたいなヤツに見えるか?」
「見えますよ!」
「これはひどい言われようだな……。
まーしかし、んなこと言われちゃ黙ってられねえな。
もし、俺の出す条件を飲めるってんなら、無料にしてやってもいいぜ?」
「条件……?」
「そうさ。カネで払えないなら、カラダで払ってもらおうか」
思わず平手打ちをした。
けれど、彼はさっと身をひるがえし、私の手は空を切る。
「最低ですねっ!!」
「おいおい、なに誤解してんだよ?
お前の貧相なカラダじゃ、俺は満足しねえっての」
「最低を最低で塗りつぶしてんじゃないですよ!」
「キーキーうるせえな……。腹でも減ってんのか?
ほら、茶でも飲んで落ち着けって」
ぐいっとお茶を飲み干すけれど、苛立ちは治らない。
厄介な相手と関わってしまったと、いまさら後悔したのだ。
「なんですか! ホントあなたって人は!!」
「まぁまぁ、俺も言い方が悪かったかもな。
ちょっとばかり、手伝いが欲しいって話なんだよ」
「最初からそういいなさいよ! どうせわざとでしょう!?」
「お、よくわかってんじゃん。やっぱ、見込み通りだな」
「それで褒めてるつもりですか!?」
「褒めてる褒めてる。なにせ、これは重要なことだからな。
相手の言葉の裏を理解できるヤツじゃなきゃ、意味ねえんだわ」
「勝手に納得してますけど、私手伝うなんて言ってませんよ!?」
「へー。じゃあ、エリーちゃんの話はもういいんだ?
残念だなー。手伝ってくれるなら、もうちっとくらいサービスしてやってもいいんだけど」
「どうせ手伝いなんて言いながら、ロクなことじゃないんでしょう!?」
「いんや、あんたが思ってるよりは、人の役に立つと思うぜ?」
からかって遊んでいるような、ニヤついた顔がスッと真面目な表情に変わる。
これも相手の作戦のうち、そう思いながらも、もしかすると本当に……。
半信半疑に気持ちは揺れるが、今の段階では結論は出せないでいた。
「内容だけ聞きましょう。本当に人の役に立つのなら、手伝うのもやぶさかではないですし……」
「なに、簡単なことだ。平民の間で広まっている噂の収集。ただそれだけだ」
「噂の収集? あなたほどの地獄耳なら、知らないことはないでしょう?」
「ま、大抵はな。けど、それは貴族に限った話。
平民の情報なんて多すぎて、身体ひとつじゃ集めきれねえぜ」
「違法性は、聞く限りはなさそうですね……。
でも、あなたの目的がわかりませんね」
「ま、仕事のうちのひとつさ。鉄の死神を追いたい。できれば捕まえるつもりだ」
「鉄の死神……」
噂は聞いたことがある。貴族や豪商を狙う暗殺者。
それも私腹を肥やすために、他人を踏み台にするような相手を狙う、庶民にとってのヒーローだと……。
「つまり、あなたは貴族側ってことですね。
人のためというのは、貴族のためという意味だったんですね?」
「そりゃ、俺もまがりなりにも貴族ですし?
けどな、平民の間でどんなふうに言われてるかは知らないが、相手は所詮犯罪者だ。
暴走して、誰彼構わず消して回る危険性だってある。
そうなる前に捕まえるのは、平民のためにもなるんじゃないのか?」
「…………」
彼の言うことももっともだ。
たとえヒーローだとして、その刃がこちらに向かない保証なんてない。
曲がりなりにも法に則った、拡大解釈のすえ、自らに有利になる法を盾にした、そんな貴族の方がマシだと思える未来が来ないとも限らないのだ。
「なにを悩む必要がある? あんたはただ噂を集めるだけ。
その中身の精査と、追跡調査は俺の仕事さ」
「でも……。それが、結果的に鉄の死神を追い詰めるのは、助けられた人たちへの裏切りでは……」
「なら考え方を変えればいい。
俺が庶民の不平不満を調べるために、あんたを頼った。そう考えれば問題ないだろう?」
「え? それはいったい……」
「鉄の死神が狙うのは、いわゆる庶民の敵だ。
つまり、あんたに集めてもらう噂は、庶民の不平不満。
準男爵家が、泥臭くも庶民の不満を集めてくださってる。
その手伝いをさせてもらえるなんて、光栄だとは思わねえか?」
「詭弁、というものですね」
「建前なんて、なんだっていいんだよ。貴族様ってのは、舌を何枚も持ってるもんさ。
万一のことがあったとして、あんたはまんまと、その詭弁とやらに騙されて、使い捨てられたって言えばいい」
たしかにただの建前とはいえ、そのように弁明すれば、鉄の死神が捕まった時責められたとしても、私はいいように使われただけの被害者でいられるかもしれない。
だが、なぜ彼がここまで譲歩するような提案をしたのだろう。
「そうですね。私はそれで逃げられるでしょう。けれど、あなたに悪い印象が付きますよ?
妙に自己犠牲的ですけど、あなたってそんな人でしたっけ?」
「お前が俺の何を知ってんだよ」
「噂はかねがね耳にしてますから。自己の利益最優先の、優秀な情報屋だと」
「ま、それだけ鉄の死神の首には価値がある。そう思ってくれて構わないぜ」
「なるほど、平民の印象など関係ないと」
「てーか、元々貴族が平民の印象なんざ気にしねえだろ」
「準男爵に何があるか分からない、さっきはそう言ってませんでしたっけ?」
「吹けば飛ぶような爵位、いつ平民落ちしても不思議じゃねえな。
ま、そんときゃそん時で、国外にでも飛ぶつもりさ」
「ふふっ……。したたかな方ですね」
「そりゃどうも。それで、どうすんだ? この話、乗るか、乗らないか」
おそらく、私の知らない裏がまだあるはずだ。けれど、内容を考えれば悪くない。
たとえ、吹けば飛ぶような準男爵であっても、貴族との繋がりを持てるのだから。
「もちろん、手伝いますよ」
その繋がりの先がエリヌス様へと続くなら、私は悪魔とでも取引するわ。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!