ヴァイスという邪魔者がいなくなったプールを見回す。
そこにはスキル持ちと判定された平民の特待生が、10名ほど泳いでいる。当然ながら、貴族は居なかった。
こんな平民の出汁が出た水になど興味ない、それが貴族の普通の感覚だ。
オズナ王子は、そういった「普通の感覚」はないのか、それとも別の目的があるのか……。
ともかく、私たちは王子が来るまで、パラソルの下の陰に置かれたベンチで、ゆっくり待つことにした。
それにしても、大抵こういう準備というのは、男性の方が早く終わると思うのだけど……。
執事も居ることだし、なにかあったとは考えにくい。心配する必要もないはずね。
夏の日差しに、跳ねる水がきらめく。
見ているだけで涼しげで、プールサイドに居るだけで暑さを忘れられそうだ……。
などと、のんびり過ごしていたかったのだけど、どうやらそうもいかないらしい。
あの男、へらへらと引き下がっておきながら、とんでもない爆弾を置いていったのだ。
いえ、プールの中だし、水中なら魚雷という方が適切かしら……。
プールのへりまで近づき、私は遊んでいる女生徒に声を掛けた。
「ごきげんよう。少しよろしいかしら?」
「へっ? なんです……。ひゃっ!? エリヌス様!?」
「こんにちは、ミー先輩。こんな所で会うなんて、奇遇ですわね」
「あーっと……。えーっと……」
そこに居たのは、ミー先輩。そして、見慣れた人物がもう一人……。
先輩は楽しそうだった表情が一転して曇り、目を泳がせていた。
なんとなく察しはつくが、一応説明してもらった方がいいだろう。
なぜ二人が、こんな所に居るのかを。
「少し、お話できますか?」
「は、はい……」
表情だけはにこやかに、先輩へと問いかける。
あと、一応そういう設定なので、もう一人はキツく睨みつけておこう。
そうして私たちはエイダをプールサイドに残し、二人で無人の更衣室に引き返したのだ。
「あの、これは事故でして……」
「その事故は、誰かに起こされたものではありませんこと?」
「うぅ……」
「やっぱりね……。どうせ、ヴァイスでしょう?」
「はい……」
「あの男、何を考えているのやら……」
わざわざ朝からプールが開いていることを伝えに来たのだから、何かあると思っていた。
それは私と王子をプールに向かわせ、こうやってミー先輩と、もう一人の平民セイラを鉢合わせさせるためだったのだ。けれど、その意図が分からない。
王子と彼女らを会わせるのが目的か、もしくは王子でなく私と会わせる目的か……。
「ヴァイスは、なにか言ってませんでしたか?」
「いえ……。昨日、働いているパン屋に彼が来たんです。そしたら、三人で学園のプールに行こうって……。
本当は今日もパン屋のお手伝いあるので、私は断ったんですけど、今日の分のパンを彼が全部買い上げちゃって、『これで仕事はなくなったからいいだろ』って言いだして……」
「いったい、私から巻き上げた情報料を何に使っているのやら……。
だいたい、パンを買い占めてしまったら、他の人が困るでしょうに」
「あっ、そこは大丈夫です! パンは買い占めたんですけど、それはお店で配ることになったんです。
だから、お会計の計算もいらないし、今日はお休みしていいっていうことになったんです」
「つまりそれは、今日店に行けばヴァイスの支払いで、タダでパンがもらえるということかしら?」
「はい、そうです」
「結局、あまり良い結果になっているとは思えませんけど……。
それに、あの情報屋がそんな大盤振る舞いするなんて、怪しいと思いませんでしたの?」
「ん-……。ちょっと引っかかったんですけど、『たまには休め』と言われまして、心配してくれているんだなって思ったんです」
「どうして彼が、純粋な善意であなたを気遣っていると思えたのかしらね……」
「それは……」
「まあいいわ、事情は分かりました。ただ、結局彼の目的は分からないですわね」
「そうですね……」
ヴァイスのことだから、何か裏があるのは確実だ。
考えられるのは、私とセイラを会わせ、いつもの「悪役令嬢ごっこ」を王子に見せつけるため……。
私の公爵としての立場を危うくしたいのなら理解できるが、彼の意図としては違和感がある。
では、ゲームの主人公であるセイラと、王子を会わせるため……?
それこそ、彼に何の考えがあってそうするのか、全く理解できない。
どっちにしたって、ヴァイスが動く理由が分からない。
どちらであっても、彼の得になるような未来が見えないのだもの。
むしろ、セイラと王子が会う機会を作ってくれたのは、私にとっては都合がいいほどだ。
このまま二人をくっつけてしまえば、少なくとも私は王妃という面倒な立ち位置を回避できる。
だけれども、このままヴァイスの策略に乗り続けるのは、裏が分からないなら危険だ。
できるだけボロを出さないように、大人しくしている方が賢明か……。
「あの、ごめんなさい。私がもっと考えて動いていれば……」
「いえ、気にしないでくださいまし。彼の意図が分からないのは私も同じ。
今日の所は王子の目もありますし、穏便に済ませておきましょう」
「穏便に……?」
「ええ。策略に乗ってやらないのが、一番の攻撃ですわ」
「は、はぁ……」
意味がよくわからないと言いたげなミー先輩だが、私だってこの状況を呑み込めていない。
けど、ここでミー先輩を引きこんで置けたなら、ヴァイスの思い通りにはならないはずだ。
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