「ミー、うちのことは心配しなくていい。
特待生になれたんだ、学園を楽しんでおいで」
そう言って送り出してくれたお父さんだったけど、私には学園を楽しむ余裕なんてなかった。
周りは貴族ばかり。特待生だといっても、貴族にとって平民なんて、その辺の野良犬と変わらないんだろう。
貴族の人たちに、友達と呼べるような人も居ない。
他の特待生も居たから、ひとりぼっちなんかじゃないけど、貴族は同じ部屋にいても、見えない壁の向こうの人たちなんだって思ってた。
けど、あの人だけは違った。
貴族だからって偉そうにするでもなく、威圧するでもなく……。
まあ、実際偉いんだろうし、平民に舐められちゃいけないとか、そういうのもあるんだろうけど……。
でもあんな人は、初めてだった。
「エリヌス様……。素敵な方でした……」
「ミーってば、その話ばっかりだねぇ」
いつも昼休みを一緒に過ごすクラスメイトに、ため息をつかれてしまった。
けれど公爵、つまり貴族の中でも国王家の次に力のある家に生まれながら、平民にもお優しいなんて、憧れを抱かないわけがない。
「凛とした佇まい、素早い行動力。そして男性にも臆さぬ、強い方……」
「でも年下なんだよね?」
「あれほど出来た方なら、年齢なんて些細な問題でしょ!?」
「そりゃまあ、そうだろうけどさ」
「はぁ……。お近づきになりたい……。
けれど相手は公爵様。私には、お礼の花を贈るのが精一杯……」
「ミーにしては、頑張ったほうかもね」
少し言葉に棘を感じたけれど、その通りだと思う。
誰かに相談するとか、誰かを頼るとか、そういうのが元々苦手で、神頼みしかできなかった私。
人と関わるのも、あまり得意ではないと自分で分かっている。
その上、相手はあのエリヌス様なんだから……。
「でもさ、このままでいいの? ウジウジ昼休みに語るだけでいいの?」
「でも、私なんかがエリヌス様に……」
「いやいや、これ以上ないチャンスだよ?
卒業しちゃったら、絶対に接点ない相手なんだよ?」
「そうだけど……」
「学園の生徒であるうちは、建前だけとはいえ、生徒同士は同じ立場なわけよ。
なら、この機会にコネ作っとくのも悪くないんじゃない?」
「そんな風に思ってるわけじゃないの!!」
「ごめんごめん。ま、あたしが口出すことじゃないけどね?
けど、今しかないのは確かだよ? 共通の話題は、熱いうちにしか使えないんだから。
時間が経つほど、話しかけにくくなるよ?」
「うぅ……。でも、どうすれば……」
「そうだなぁ……。うん、お昼一緒に食べようって誘えば?」
同じく特待生のクラスメイトは言うけれど、他人事だから言えることだよねぇ……。
けど何も行動しなければ変わらない、それもその通りだ。
エリヌス様は、見ず知らずの、たまたま会っただけの私のために行動してくれた人。
そんな風に私もなりたい。それなら、ちゃんと行動起こせるようにならなきゃね!
◆ ◇ ◆
翌日、私はエリヌス様の昼食にお邪魔しようと、一年生のフロアへとやってきたのだった。
さすがに貴族だからって、昼食がフルコースなんてことはない。少なくとも私の見ている範囲の貴族は。
なので、きっとエリヌス様も私たちと同じように、お弁当のはずだ。
うーん……。でも相手は公爵様だし、やっぱり専属のコックが居て、別室での食事とか……。
いやいや、ここまで来て引き下がれないわ。
やめておく理由なんて探せばいくらでもあるけど、頑張って一歩踏み出さなきゃ!
そう思い、一年生たちをかき分け廊下を進めば、神々しいまでに美しい、流れる金髪が一瞬視界に入った。
たとえ一瞬でも見間違いようがない。エリヌス様だ。
彼女は廊下の角を曲がり、すぐ見えなくなってしまう。
追いかけようと早足で進めば、その先の部屋に入ってしまった。
そこはお手洗い。さすがに、この中に入って行って、昼食のお誘いなんてのはやめた方がいいだろう。
もちろん、貴族専用なんてことはないし、女の子同士だから問題もない。
けれど、お手洗いの最中くらい、誰にも邪魔されたくないのは、私だって同じだ。
入り口近くの壁にもたれ掛かり、私はエリヌス様が出てくるのを待つ。
そうしていると、なにやら中が騒がしくなった。
「――――! ――――!!」
会話の内容は聞き取れないけれど、エリヌス様の声だ。
何か問題があったのかと、そっと中を覗く。
そこで見たものは、パンっと軽い音と共に、桃色の髪の女生徒を平手打ちするエリヌス様の姿だった。
「っ……!?」
おもわず声が出そうになり、口を押さえる。
見てはいけないものを見てしまった。そう思い、覗いていた顔を引っ込める。
一体なにが……?
いえ、でもきっと見間違いよ。だって、あんなにお優しいエリヌス様が、人を叩くなんて……。
もし見間違いじゃなくたって、きっとなにか事情が……。
思いなおし、深呼吸してから、もう一度覗きこむ。
次に見たものは、さっきのことがまだマシだと思える光景だった。
お付きのメイド服の女から、水の入ったバケツを受け取り、相手に向かって中身をぶちまけたのだ。
相手は何も言わず、されるがまま。うつむき、ぽたぽたと髪から雫を落としながら、肩を震えさせていた。
冷たいものが背中を伝ったような感覚を覚え、私は逃げ出した。
廊下の隅に逃げ込んで、あれが一体なんだったのか考える。
けれど、どう考えたって……。
「見ちまったか」
突然の言葉に、びくりと体が飛び跳ね、硬直する。
「ひぃっ! なっ! 何も見てませんっ!!」
「おいおい、どんだけビビってんだよ、ミーセンパイ?」
ばっと後ろを振り返れば、ニヤニヤとした表情の男が立っていた。
情報屋として名の通った男、準男爵家のヴァイスだ。
「なっ、なんのことですかっ!? なにも見てませんけどっ!?」
「ホントに見てないやつってのは、わざわざ見てないとは言わないんだよなぁ」
ねっとりとしたような口調と表情。
それは、闇へと引きずり込もうと画策する、悪魔のような笑みだった。
「なっ、なんですか! 何が目的なんですかっ!?」
「まあまあ、落ち着きなよセンパイ。アレは、一年じゃ知らないヤツはいねえ話さ」
「アレって……」
「お慕いしているエリヌス様の、裏の顔ってヤツ?」
「っ……!」
信じたくなかった。受け入れたくなかった。
けれど、この男の口から出た言葉なら、信じる他ない。
彼は情報屋。嘘は信頼を崩す。だから、彼は絶対に嘘は口にしない。
……と、言われている。
「ま、信じなくてもいいさ。現実から目を背けるのも、賢い生き方だしな」
「あなたは……。あなたは、知っていながらなぜ止めないんですか?」
「え? なんで俺が止めねえといけねーの?」
「だって……」
「だって、なんだよ? 俺には関係ないことだろ?
アイツがなにしようが、アイツの勝手さ。もちろん、俺がなにしたって、俺の勝手だしな」
「けどっ……」
「けど、なんだ?」
「もう、いいです……」
結局、私の思い違いだったのだ。
エリヌス様も、他と同じ。ただの貴族でしかなかったのだ。
たまたま私は、情けをかけられただけ。
ただなんとなく、そういう気分だったから助けられただけなんだ。
「教室に戻ります。さよなら」
「おい待てよっ!」
重い身体を引きずるように帰ろうとする私に、ヴァイスさんは腕を取ってひきとめた。
「離してっ!」
「おいおい、せっかく俺が声かけてやったんだぜ?
情報のひとつくらい買ってけよ。安くしとくぜ?」
「いりません!」
「センパイ、まだ自分のスキル分かってないだろ?
いくらで買う? 早めに買っとく方がお得だぜ?」
「いらないって言ってるでしょう!?」
「なんだ、せっかく安くしてやろうと思ったのにな。
そうだな……。それじゃ、こういう情報ならどうだ?」
「何もいらな……」
「エリーちゃんが、あのピンク髪をイジメてる理由……。
いらねえか。そっかそっか、残念だなぁ」
「えっ……。理由があるんですか?」
「おっ、食いついたな? いくらで買う?」
理由、そんなものあったって、やっていることは変わらない。
理由をつけたって、罪が軽くなるわけじゃない。
「…………。内容次第です」
けれど、すがりたかった。
正当な理由なら、きっとこの肩にのしかかる失望という重荷を、捨て去れる気がしたから……。
本日より第二章スタートです。
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