「ほー、そりゃ災難だったな」
翌日のお昼休み、貰ったパンを齧る私に、悪魔のような男は忍び寄ってきた。
昼休みは定例報告会のようになっていたため、最近はもっぱら人けのないところで、一人寂しくご飯を食べている。
私の話を聞いたヴァイスは、細い目をさらに細めてほくそ笑み、メモ帳にペンを走らせていた。
私の不幸を心底喜んでいるようで、とんでもなく不愉快だ。
「他人事だと思って! ホント大変だったんだからね!」
「まあしかし、おかげでいい話が聞けたじゃねえか」
「へ? 何がよ?」
「あー……。ミーセンパイ? 俺との話、忘れてません?」
「ん? 何の話?」
「 お 前 は ア ホ か ! ! 」
いきなり存在感を増しながら言うものだから、肩がすくんでしまった。
誰がアホよ、誰が。
「なんなのよ」
「いや、忘れてるならそのままタダで情報もらおうと思ったが……。
フェアじゃないのは、俺としても気分が悪い」
「だからなんなのよ!」
「お前なぁ……。めちゃくちゃいい噂拾ってきたじゃねえか。
その地上げしてる貴族、次に狙われるに十分な相手だぞ?」
「へ? 狙われる?」
「お前なぁ……。嫌がらせ程度ならまだしも、火をつけるなんざ、証拠が上がれば投獄だ。
たとえ下っ端にやらせたとしてもな。なんたって、放火は重罪。
貴族じゃなきゃ死罪、貴族でも投獄は回避できねえ。
そんなヤツ、鉄の死神が放っておくと思うか?」
「あー、なるほど? というか、放火ってそんなに重罪なの?」
「そりゃそうだろ? お前もパン屋で働いてるなら聞いてるはずさ。
火事を防ぐために、各家庭でパンを焼くのを禁止してるって話」
「あぁ、あの形骸化した組合制度ね」
「この国の法律は、えらく火事を嫌っている。
ま、歴史的に何度も火事で街全体が崩壊してるからな。
今じゃ石造りの建物も増えたが、あの商店街みたいに古い場所は、今でも木造密集地さ。
今回は助かったが、燃え広がれば、石造りだからと平気でいられるかどうか……」
「えっ……。それってかなりヤバかったってこと!?」
「そうだな。お前らお手柄だぞ?」
「そっかー。なんかよく分かってなかったけど、それならよかった」
「おかげで、あのピンク髪の女は目立っちまって、まーたエリーちゃんはご立腹だろうけどなぁ」
「えっ!?」
ヴァイスはケタケタと笑う。
まさか、良かれと思ってやったことが、あの二人の溝をさらに深めるなんて……。
でも、さすがに火事を見過ごせないし、今回ばかりは仕方ないか。
本当はうまく、二人の仲を取り持ちたいのだけど……。
「そんじゃ、その辺の話詳しく分かったら教えてくれ。
といっても、どこの貴族かはこっちで調べるけどな」
「詳しくって?」
「なんでもいいさ。庶民の話を拾うのがそっちの仕事。貴族方面を調べるのが俺の仕事。
それに、そいつばっかにかまけてるわけにもいかねえしな。
他のヤツが先にヤられる可能性だってある、というよりは、その方が可能性が高い。
色んなトコに情報網は張り巡らせるんだな。おまえさんのスキルを使ってでもな」
「って、スキルわかんないんだから無理なんだけど!?」
「そっかー。たいへんだなー。がんばれー」
「ちょっとぉ!? いい噂掴んだんだから教えてよ!!」
「まだそれだけじゃ足りねえぜ? もっと頑張りな、センパイっ!」
ヘラヘラしながら、ひらひらと手をぶらつかせながらヴァイスは去ってゆく。
まったく、勝手な人だ。というか、あれで一応貴族なんだよね……。
最近全然気にしてなかったけど……。まあ、本人も気にしてなさそうだからいっか。
それにしても、どうすればいいんだろう?
紙袋に手をやれば、中にはパンのミミが入っている。
小さくちぎり地面へと撒けば、鳩たちがバサバサと空から舞い降りてきた。
「ねえ、君たちならどうする?」
『んー? よくわかんねー?
それよりパンうっま! マジうっま!!』
「そだねー。鳩さんに聞いた私がバカだよねー」
『そうさ。ボクたちは気ままに空をゆくただの鳩だもん。
おいしいごはんがあれば、それで十分なのさ!』
「いいなー君たちは。私も自由気ままに生きたいよ」
『キミも空を飛んでみるかい? たのしいよ?』
「空とぶスキルがあったら、一緒に空の散歩と行きたいもんだねぇ……」
『飛べるようになったら教えてね! 案内してあげるよ!
それじゃ、ごちそうさま! またねー!』
「うん。またね、鳩さんたち」
バサバサと鳩たちは空へと舞い上がる。
まったく、羨ましいかぎ……。
「なに一人でブツブツ言ってんだよ」
「ひゃぁっ!?」
後ろから声が掛かり、私は跳ねるように立ち上がった。
がばっと後ろを向けば、そこにはニヤケづらのヴァイスが立っている。
「なっ! 何よ!? 驚かさないでよ!!」
「いやー? センパイってば鈍感だからさー?
現行犯の方がいいかと思ったんだけどねー?」
「何がよっ!?」
「えっ、まさか本気で気付いてないのか?」
「もう! わけわかんないんだけど!?
なんか言うことあるなら、さっさと言いなさいよ!」
「言うと有料情報になるんだが? それでもいいのか?」
「はあ!? ホントに意味わかんない人ね!」
「そうかいそうかい。ま、せいぜい頑張りな」
ヴァイスはまたも、へらへらと笑い、後ろの空に溶けるように姿を消すのだった。
はあ……。ホントになんなのよアイツ……。
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