大騒ぎの屋敷を再び抜け出し、途中八百屋でりんごの分のお金をそっと置き、目的地であるリンゼイ商店街へと着く頃には、すでに昼食どきになっていた。
朝から薄曇りだった空は本格的に暗くなり、ちらちらと雪が舞う。
こんな時間、こんな天気の時に外へと出るなんて、今まで経験してこなかった。
だからこそ、みなそういうものだと思っていたので、商店街の人で溢れた様子を見て驚いたものだ。
「みなさんお昼なのに、外に出てらっしゃるのね」
「当然だろ? むしろ食いモン売ってるヤツには、今が稼ぎどきだ。
ま、今日は祭りってのもあって、みんな出店で買うから、いつもよりは人が多いけどな」
「出店?」
「ほら、見てみな。いろんなモン売ってるだろ? どれか食いたいモンあるか?」
ただのテントだと思ってた場所では、色々なものが売られていた。
焼いたソーセージだったり、蒸した芋だったり、フルーツを串に刺したものだったり。
ただ、私がそれらを見た時の最初の感想は、信じられないといった驚愕だった。
なにせ、食べ物を外で食べるというのは、かなり例外的な行為であり、唯一お弁当だけが許されると思っていたのだ。
それをまさか、販売しているだけではなく、テントの下で調理まで行っているなんて、それまでの生活では考えられないことだった。
むしろ、厨房という調理を行う場所は、私が入ってはいけない場所であり、調理という工程すらも、魔術的な儀式のような、特別な人が特別な場所で行うものだと考えていたのだ。
「…………。いえ、私は遠慮しておきますわ」
「そうか? こういうの食いながら見て回るのがいいんだけどな」
そう言いながら、ひょいと串に刺さったソーセージを手にとるヴァイス。
またも勝手に取っていくその姿に、私は待ったをかけた。
「勝手に持っていってはいけませんわ。ちゃんと、対価をお支払いしないと!」
「細けえこと言うなよなー。
それによ、俺は金払おうにも、相手は見えてないんだぜ?
ま、手持ちもないけどな!」
「まったく……。ではここは、私が払っておきます」
「は? いいのかよ?」
「そうですわね……。今日のエスコート料ということにしておきましょう。
何か施しを受けた時、その労力に対する対価をお支払いするのが、この世界のルールですもの」
「なんだそれ」
当時の私は、その意味をよく理解などしていない。
ただただ父が普段言っている、お金と経済の話を、そのままオウムのように口ずさんだだけだ。
けれど、何もなしにお金を渡すのはいけないことだということは理解していた。
「ですから、お支払いは私がしますから、あなたは私の役に立ってくださいますわね?」
「まあ、別にそれはいいけどよ」
「では、少しお待ちくださいまし……」
手を離し、店主に話しかけようとする私だったが、離そうとした手はぎゅっと握りしめられ、解けなかった。
振り返りヴァイスを見れば、目を合わせないようそっぽを向いて、ソーセージを頬張っている。
「あの……。手を離していただかないと、お支払いができませんわ」
「…………。お前、鈍臭いからさ。手を離したら、そのまんまどっかに行っちまいそうだなって」
「なんの心配をしているんですの? そんなことありませんわ。
それに、どんなにうまく隠れたって、あなたを見つけるのは得意なのはご存知でしょう?
迷子になったとしても、見つけて差し上げますわ」
「ん……。あれ? それ、俺が迷子になるってことかよ!?」
「ふらっとどこかへ行ってしまうのは、あなたの方が得意でしょう?」
「まあ、そうかもしれねえけど……」
少し不服そうに、少し恥ずかしそうに。でもほのかに嬉しそうな表情を浮かべ、ゆっくりと手は離された。
それは、かくれんぼで一番最初に見つかった時の、あの顔と同じだ。
彼にとって、迷子になった時に見つけてもらえることの意味、それは私とは大きく異なっている。
もちろん当時の私に、それらを理解できていたはずはないのだけど……。
「おじさま、おひとつ頂きますわね」
「まいど! おっと、こりゃおめかしして、可愛らしいお嬢さんだ。
祭りは楽しんでるかい?」
「ええ。これから見て回るところですの」
「そうかい。そんじゃ、一本おまけだ。楽しんでいきな」
「あら、ありがとう。それでは、お金はここに置いておきますわね」
人生初めての買い物が、このソーセージとなった。
私はお小遣いの金貨を一枚置き、おまけとしてもらった一本を手に持ち、すぐにヴァイスへと振り返る。
そして再び手を繋ぎ、お揃いのソーセージを一口頬張るのだった。
「っと、お嬢ちゃん、これじゃもらいすぎ……。
あれ? どこいった?」
目の前にいる私たちは、彼の視界にはもう入っていない。
初めてのお使いは、お金の価値をわかっていないがゆえに、少々払いすぎてしまい失敗していた。
けれどその時は、これから見るすべてが初めてなんだと、感動にも似た感覚を持ち、些細な失敗など気づいてすらいなかった。
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