悪役令嬢は凄腕スナイパー【連載版】

「たとえ私に破滅の道しかなくとも、この国だけは護ってみせる」
島 一守
島 一守

30見守る者

公開日時: 2021年11月3日(水) 21:05
文字数:2,310

 コンコンと、静かに父の執務室の扉を叩く。

扉の前で佇む執事は、私たちの存在に気づいていない。

けれどノックされた先の部屋では、確かに音が聞こえていたようだ。

静かに扉を開ければ、父はこちらを見つめていた。

当然、ヴァイスが共にいるのだから見えてはいないのだろうけれど……。



「ヴァイス、あなたたちは外へ……」


「おい、一人で大丈夫かよ?」


「これは、私が話を付けないといけないことですもの」



 静かにそう告げれば、ヴァイスはエイダ親子と共に廊下へと出てゆく。

屋敷に来た時から驚きの連続だったエイダたちだったが、なおも変わらず困惑の表情で立ち去った。



「エリヌス、そこにいたのか。

 ふふっ……。まさか、かくれんぼで執務室に隠れていたとは、誰も気付くまい」



 突然目の前に現れた娘に、冷静な反応を見せる父。

けれどそれが、騒ぎを大きくしないための父の方便であることは、当時の私であっても気付いていた。



「…………。お父様、お話がございます」



 ただの官僚で、たまたま功績を残し、王女の婿となった。ただ運に恵まれた、平凡な能力しか持たぬもの。

父への周囲の評価は、仕事ぶりが当たり障りのない平凡なものであるがゆえに、低く見積もられていた。

その平凡さが、腐敗の蔓延るこの国の中枢では異常なことを、当時の私含め誰も気付いてはいない。


 だが、父は彼らが思っているほど、愚かではない。

それは当時も今も、変わらぬ父の異常性だろう。

その日一日のことを包み隠さず話した時、父は小さくため息を漏らすだけだった。



「知っていたよ。君たちが屋敷を抜け出したことはね」


「まさか、お父様もヴァイスが見えるのですか!?」


「いや、そうではないさ。ただ、異常なことに気付くことができるのだよ。

 おそらく、これが私のスキル。異常であることに気付くだけの、平凡なスキルさ」


「異常であることに気付く?」


「君のお友達は、私にも見えない。けれど、何かおかしいということは気付くことができるのさ。

 だから君が屋敷を抜け出した時も、君がいないことに気付いていたのさ」


「でしたらなぜ……」


「屋敷の外を探すよう命じなかったのかって?」



 私は、コクコクとうなづく。

叱られたかったわけでも、その時止めてほしかったわけでもない。

ただただ、父の行動が理解できなかったのだ。



「それが、異常なことではないからさ。

 いつまでも幼いままではいられない。

 いつか君も、屋敷の外へと出てゆく日が来る。

 それまでに、ちょっとしたいたずら心や、冒険心。

 あとは少々の反抗心が、そういったことをさせる。

 それが娘の健全な成長であり、異常なことではないと、私のスキルが語っていたのさ。

 だから止めなかった。ただそれだけのこと。

 それがどんなに、父親として寂しく感じることであってもね」



 父は私が屋敷に籠りきりの生活をするではなく、「見えない誰か」とであっても、楽しく過ごしていることを喜んでくれていたのだろう。

そしてそれによって、本来叱るべきことをしてしまうのも、成長だと目を細めていたのだ。


 けれど当時の私には、言葉上は理解できても、父の心のうち全てを理解するのは難しかった。

親としての気持ちを察するには、幼すぎたのだ。

しかし少なくとも、父が寂しく思っていることだけは、その表情から伝わっていた。



「お父様がそのように考えているとも知らず、勝手なことをして申し訳ございません」


「気にすることはないさ。エリヌス、外は楽しかったかい?」


「はい……」


「だったらいいんだ。君が楽しい日々を送っているなら、私はそれで十分だ」


「…………」


「では、連邦から逃れてきたという二人を……」


「お父様、その前にひとつ、よろしいでしょうか」


「どうしたんだい?」


「もし、ご迷惑でなければ……。次は、お父様とお祭りに行きたいです」



 父は私を見る目を見開き、一瞬動きを止める。

驚きと不意打ちに、エイダたちの処遇を決める考えも止まったかのようだった。



「ははは……。君は、私が寂しいと言ったから気を遣ってくれているんだね。

 気にすることはない。離れてゆく子を見守るのもまた、父親の務めというもの」


「いえ、そうではありません。私が、お父様とゆきたいのです。

 それとも、お父様と一緒に過ごしたいというのは、おかしいことなのでしょうか……」


「本当に君は……。嬉しいことを言ってくれるね。

 ふふっ……。では今度は私も、仕事のふりをして、こっそり屋敷を抜け出すとしようか」



 父は満面の笑みでそう言い放つ。今思えば、これが父の異常な私への執着の原因だと思う。

もちろん当時の私は、知るはずもなかったけれど。

だが、それによって救われたのも確かだ。きっと、父が公正な判断を下すことに執着していたら、今の私は、学園にすら通わせてもらっていなかったのかもしれないのだから。



「では、二人を部屋へ入れておくれ。あとのことは、私に任せておきなさい。

 外に行って疲れただろう。エリヌスは部屋で休むといい」


「はい。よろしくお願いします」



 上機嫌に筆を取り、書類を作り始めた父に小さく頭を下げ、部屋を出ようとドアノブに手をかける。

ひんやりと冷たい感覚に、この後の母のお説教を思うと、背筋を冷たい感覚が走った。



「エリヌス、どうしたんだい?」


「えっ……。あの、その……。お母様にも言わなければと思いまして……」


「ああ、それならこちらから伝えておくよ」


「でも……」


「心配はいらないさ。波風立てずに物事を運ぶのは、私の得意とするところだからね」



 上機嫌で小さくウインクする父の姿に、母のお説教の想像より冷たいものを感じたのは、それが初めてのことだった。

残念ながらそれから先、その冷たさを幾度と感じることになるのだが……。当然、その時の私は知るよしもなかった。

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