空を飛ぶこと、それは人間誰しも一度は夢見る魔法だろう。
けれどそれは、自分の力で飛んだ場合に限る。もしくは、心から信頼できる相手と一緒ならの話。
今の私は……。
鉄の死神に抱えられ、謎の魔道具の出す虫の羽音を大きくしたような音を聞きながらの空の散歩。
エージェントPの眺める景色はこんなものなのかなどと、呑気に思いを馳せられる状況ではない。
けれどなぜか、恐怖心は抱かなかった。
『さて、あの面倒なのも巻けたようだし、この辺りで降りるとしようか』
「へっ……?」
その声に眼下の商店街を見下ろせば、なにか叫びながらきょろきょろとあたりを見回すヴァイスの姿が小さく見えた。
あれで一応、私のことを心配してくれているようだし、探し回ってくれている……、のだと思いたい。
なんか私より、証拠品の杖や鉄の死神本人を探しているような気がしないでもないのは、日ごろの行いというものだと思う。
そうしている間に徐々に高度を下げてゆき、私たちは商店街の一角のオレンジの瓦屋根の上へと降り立った。
屋根が斜めになっているのもあるけれど、今まで浮いていたのもあってか感覚が狂い、少しふらついてしまう。
そんな私の背に腕を回し、鉄の死神は私をがっしりと受け止めるのだった。
『まったく、君のようなお嬢さんをこんなことに巻き込むとは、彼もひどいものだ』
冷徹で冷酷な暗殺者とは思えない、紳士的な振る舞い。強大な魔力を持ち、そして私を片手で抱えられるほどに力もある。
そんな目の前の彼が、なぜ悪事に手を染めたのか……。私はそれが気になってしまったのだ。
「あの……。どうして私を助けたんですか?」
『君は部外者だ。私の標的でもなければ、敵でもない。ただそれだけだ』
「邪魔をしたのに……?」
『あの程度で邪魔になるとでも?』
「そう、ですか……」
『質問は以上かな? では、それを返してもらおうか』
手を差し出し、未だ私の胸に抱えられている杖を返すよう促す鉄の死神。
これを返してしまえば、彼はまた今までと同じように犯行を繰り返すだろう。それは少なくとも、私の今までの常識では悪いことだ。
けれど、短い間ではあるけれど、彼と関わったことで、彼に彼なりの正義があるのではないかと思ってしまったのだ。
それを私の狭い考えで否定してしまうのは簡単なこと。でも、それだけじゃいけないとも、心のどこかでひっかかった。
「もうひとつ……。どうしてあなたは、こんなことをやっているのですか?
今日の人だって、悪いことしてる人かもしれないけど、だからって……」
『…………』
しばらくの沈黙。空を飛んでいた時にうるさかった魔道具も、今は邪魔をしないよう遠慮するかのように、大人しく瓦の上に転がっている。
流れる風の音だけが、静かに私たちの間を通り抜けた。
聞いてはいけなかったのか、もしくは聞かれたなら、相手を消す必要があるようなことなのか。
余計な一言がまた出てしまったのかと、冷や汗がすっと流れた瞬間、歪んだ低い声の答えが耳に届く。
『この国の未来のためには、誰かがやらなければならないから……。そう答えておこうか』
「未来のため……?」
『いずれこの国は、貴族を筆頭に、腐敗した者たちによって破滅へと突き進む。
それを止めるため。もしくは遅らせるため。そのために私は動いている』
「今回の人も……?」
『そうだ。ヤツは偽札を製造している組織のトップだった。
誰かが無理にでも止めなければ、だれも紙幣を信用しなくなる。そうなれば、ただの紙屑だ。
実際には、偽札なのだから本来は紙屑でなければならないのだがね。
そしてそれに誰もが気づいた頃には、偽札を作っていた者たちは金貨をはじめとした硬化、もしくは金や宝石などとして富を蓄え終わっているだろう。
誰が損をするのか? それは言わずともわかるだろう?』
「私みたいな、平民が損をする? だからあなたは、民衆のために?」
『ふっ……。そんな正義の味方ごっこをしているつもりはない。
困窮した民衆が、為政者を断罪しようと暴れ混乱する。私はそれを避けたいだけだ』
「…………」
これは、彼なりの照れ隠しと取る方がいいのだろうか。
だって彼にとっては、民衆が為政者、つまり国王とか貴族を断罪しようとしたとして、それは彼が今やっていることと結果は変わらないはずだもの。
違う所と言えば、私みたいな一般人が知らぬ所で行われているということだけ。ただそれだけだ。
『これで満足かな? さあ、その銃をこちらに渡すんだ』
「じゅう?」
すっと抱えていた杖を抜き取られ、あんなに重たかったはずのその黒い筒を、鉄の死神は片手で軽々と手に収めた。
彼は杖に「じゅう」という名前を付けているのだろうか。
『君はこれを杖だと思っているようだが、そうではない』
「えっ?」
『せっかくだ、君にこれの使い方を見せてあげよう』
彼は屋根のとがっている部分から、通りをのぞき込むように寝そべり、杖を水平になるように構える。
そして細い筒のあたりと、中ほどにある装飾用だと思っていた細かい構造部分に手を当てた。
杖の側面についているもう一本の小さな筒を覗きこみながら、コツコツと右人差し指で杖の一部をつつきながら彼は言う。
『信じられないとは思うけれど、ここの引き金を引くだけで攻撃ができるのさ』
「へ?」
『なんのことやらという反応だね。まあいい、実際にやってみようじゃないか』
魔法で変声してあっても、少し楽しげな様子が伝わってくる。
人を殺す道具を触って楽しそうにするなんて、やっぱり危ない人なんじゃ……。
『おや、いい所に的があるじゃないか』
「えっ?」
鉄の死神がのぞき込む筒の先には、見覚えのある人影があった。ヴァイスだ。
私を探しているのか、今も走りながらきょろきょろして、名を呼んでいるようだった。
「的って!?」
『さて、楽しい楽しい的当ての時間だ』
「待って!!」
私の制止虚しく、鉄の死神が引き金を引いた瞬間轟音が鳴り響き、私は耳を塞ぐことしかできなかった。
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