カノのパン屋さんは、いつだって人気の店だ。
今日だってひっきりなしにお客さんが来ては、山のように積まれていたパンは風に吹かれる砂山の砂のように、どんどんと低くなってゆく。
そしてパンを持った人たちは、ずらりとレジへと並び、その光景で焦った私が目を回すのだ。
けれど、それもいつまでも続くわけではない。
日が傾き、商店街の建物たちの影が背伸びをするような時間にもなれば、少しづつ少しづつお客さんは減っていき、間もなく閉店時間だ。
「ありがとうございました~」
最後のお客さんを出口で見送り、私は扉にかかっていた「OPEN」の看板を裏返した。
あとは店の片づけをすれば、パン屋のお手伝いは終わりだ。
ちらりと向かいの建物の屋根を見上げれば、一羽の鳥がこちらを見ていた。
その首に巻かれた、青いリボンを夕風にたなびかせながら。
「あっ……」
「ミーちゃん、お疲れさん」
「ひゃっ!? あ、カノさん。お疲れ様です」
突然かけられた声にびくっと振り向けば、そこにはパン屋の店主のカノさんが満面の笑顔で立っていた。
今まさにポッポ君、もといエージェントPに声を掛けようとしていたところだったから、寸前で止められたのは助かったけど……、絶対挙動不審に見えてるよね……。
「どうした? なんかあったのか?」
「あーっと、えーっと……。ハトがいたので……」
「ああ、セイラが言ってたハトか」
ちょっとー!? なんで今日の朝のことが、速攻でカノさんにまで知られてんですか!?
なに? 意外とこの親子仲良いの!? あったことすぐ報告するくらい、とっても仲良しさんなの!? あんなに無愛想なくせに!?
って、そうじゃない! 今はうまく誤魔化さないと!
あの子たちはただの野良猫と野良鳥、そういうことになってて……。
あと、前々からこっそりご飯あげてたことにしたんだっけ?
「えぇ!? 知ってたんですか!?」
「知ってたというか、今日の昼にアイツが戻ってきた時聞いてな。
朝から持ってったリボンを付けてやったんだってな。言ってくれりゃ、もっと上等なモン用意したってのに」
「いえ、そんな面相もない! というか、秘密にしててごめんなさい」
「いいってことよ。ウチがパン屋だから隠してたんだろ?
ま、店に立つときはいっつも念入りに手洗いしてるし問題ないさ。
なにより貴族様御用達店ならともかく、ウチみたいな庶民はの店は、来る奴らもパンがネズミに齧られてたって気にしやしないしな!」
「いやー、それは気にした方がいいかと……」
本気なのか冗談なのかわからないのは、その程度の衛生意識でやってる店が実際にあるからなのよねぇ……。
ウチの母親も、料理する前に買ってきたものはちゃんと見定めて、食べられないところを判断して切り落とす作業をしてるみたいだし。パンだってカビたのくらい売ってる店があっても不思議じゃないのよ。
でもその点カノさんの店は庶民向けなのに、誠実な商売をしていて、どのパンも焼きたてのおいしいものばかり。それに他のパン屋さんでは見ない、変わったものも多いし。
だからこそ人気店で、毎日忙しいんだけどね……。
「で、贔屓にしてる猫ってのはどこだ?」
「え?」
「俺はハトと猫ならもちろん猫派だ! 犬と猫でも当然猫だ!」
「猫がお好きなんですねぇ……」
「おっと、せっかく猫様に顔合わせするなら、献上品持ってこないとな!
そうだ、ソーセージロールに使うソーセージがあったな。ちょっと待ってな!」
「あの、ちょっとまって……」
止める間もなく、ぴゅーっと店へと駆け込むカノさん。大柄で巨人と見紛うほどの人なんだけど、そんな人だって下僕へと堕としてしまうのが猫の魅力なんだろう。うん、適当言った。
まだこの場に居ない猫のためにおやつを用意するんだから、猫派の人ってなんであんなに過激派のオーラを持つんだろうね。謎だわ。
まあ猫も、パンを貰うよりソーセージの方が嬉しいだろうし、それ自体は別にいいんだけどね。
メニューにセイラさん発案の、ソーセージロールがあって良かったねぇ。エージェントNも喜ぶだろう。
「彼も変わりませんねぇ……」
「えっ?」
背後からの突然の声に驚きながら振り向けば、そこには短く切られた金髪の男性が微笑みながら立っていた。
身長はカノさんと比べて少し低いけど、すらりとした体つきではあるものの、痩せこけているというよりは、鍛えているが故のしなやかな体格の人だ。
ん-、カノさんを見たあとだから細く感じてるだけな気もする。薄手の長袖長ズボンに隠されていても、日々トレーニングを積んでそうなオーラが見えるもの。うん、適当言った。
そんな彼は、目を細めカノさんの去っていた方を見つめる。さっきの言葉からも、カノさんの知り合いっぽいんだけど、誰だろう?
少なくとも、レジ打ちしてる私が知らないんだから、御贔屓にしてもらっている常連さんってわけではないと思うんだけど。
「それにしても、カノもめげませんね。また猫に逃げられて、しばらくションボリするのでしょうか」
「あの、どちら様でしょう?」
「おっとこれは失礼。わたくし、アークと申します。
カノとは昔からの知り合いでしてね。久々に様子を見に来たのですよ」
「そうだったんですか。私は、カノさんのお店でお手伝いをしている、ミーと言います」
「これはこれは、手紙で話は聞いておりますよ。とてもいい子が手伝ってくれていると」
「そっ、そうなんですか!? でもそんな私なんて……」
「ふふっ、そう謙遜せずとも。わたくしが今回こちらに来たのは、あなたと会ってみたいというのも理由のひとつなんですから」
「え? 私ですか?」
「はい」
じっと私を見つめる透き通った緑色の瞳は、まるで私の心の内まで見通そうとしているようだった。
まさかこれが……、モテ期!? ないかー。
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