翌日、情報屋は上機嫌だった。
自身の思い通りに事が運ぶこの瞬間こそ、彼にとって最も心地よい瞬間なのだ。
それがたとえ、王子とその許嫁が共にプールへと向かうだけという、ほんの些細な事であっても。
「こんにちは。ご機嫌いかがでしょうか、オズナ王子」
「っ……! 君は、夜の……」
「情報屋のヴァイス。覚えていただけると光栄です」
プールの横に設置された更衣室に待っていた人物に、オズナは顔を強張らせる。
その様子に、王子に付き添っていた執事は、すかさず王子を守る体制へと入った。
ピシッと制服を堅苦しい様子で着込んだ男は、小さなため息と共に言葉を漏らす。
「おやおや、随分と警戒されてしまいましたね」
「…………。大丈夫だ、下がれ」
執事は一瞬戸惑うも、命令通り下がる。
けれど王子はそれだけでなく、視線と首の動きだけで、部屋から出ろと促した。
二人きりになり、空気が重く沈む。
部屋の外のプールではしゃぐ生徒たちの声も、夏を知らせる虫の声も、二人の間には届かなかった。
沈黙は、王子によって破られた。
「再び姿を表したということは、何かあるんだな?」
「いえいえ、問題なく事が進んでいるかを確認しにきたまでです」
「ほう……。ずっと、私たちを見ていたと?」
「ふふっ……。私も、そこまで無粋なことはしませんよ。
もちろん、せっかくのプールデートに割って入るつもりもありません」
ニヤニヤとした面で紡がれる言葉に嘘はない。意図的に主語が抜かれていただけだ。
ヴァイス本人が割って入ることはない。けれど、他の人間を差し向けないとも言っていないのだ。
「デートなどと……」
「おや、まだ否定されるのですか?」
「私は昔のように、共に楽しい時間を過ごせればと……」
「それを世間一般では、デートと呼称するかと……。まあ、呼び名はこの際いいでしょう。
いかがでしたか? 午前の学園案内は」
「…………」
王子は威嚇するようにヴァイスへ向けていた視線をそらし、少し表情を曇らせた。
ヴァイスもまた、営業用に貼り付けた笑みを崩し、少々心配げなふりをする。
「おや? あまり芳しくなかったと?」
「いや、問題ない。問題はないのだが……」
それはまるで、自身に言い聞かせるような言葉。
記憶の中の様子と、変わってしまった今の彼女の様子。
そのふたつの生合成がとれず、王子はいまだ戸惑っていたのだ。
「どうぞ、私めにご相談下さい。
必要であるならば、お望みの情報をご提供いたしましょう」
「…………。それには及ばない。だが……」
「だが、なんでしょう?」
「エリヌスの様子が、昔と違っていて……」
「なるほど、その点が気になっていたのですね」
ふっとヴァイスの表情が、貼り付けられた営業スマイルへと戻る。
言葉に嘘はなくとも、この男の表情、仕草、全ては計算ずくだ。
そして次にかける言葉もまた、事前に用意されたものだった。
「王子がロート連邦へと旅立たれたあと、エリヌス様は随分と活動的になられたそうですね。
最近までは、身体を鍛えるのも兼ねて、弓の稽古をしていたとか……」
「彼女のことも調べているのか」
「もちろん。情報屋ですから」
「そうか……」
「…………。もしや王子は、今のエリヌス様にご不満がおありで?」
「そうではない。そうではないのだが……」
王子は苦しんでいた。
周囲の者たちはみな、自身を王子として見ている。
ゆえに、悩みを打ち明けることのできる相手などいない。
そして、今のエリヌスに不満があるなどと、まるで病弱のままでいてほしかったなどと捉えられる言葉など、発せるはずがなかった。
その心の隙間に、ヴァイスは入り込んできたのだ。
「苦しいのなら、心の内を打ち明けてみるとよいかと存じます」
「誰に打ち明けろと言うのだ? まさか、情報屋にタダでくれてやれとでも言うのか?」
「ええ。私は情報屋です。ゆえに情報を売ります。
けれど『誰にも売るな』という条件を提示されたなら、当然守ります。商売ですので」
「口止め料が必要と……」
「それでは少々印象が悪いですね。
ここはそう、『相談料』と呼びましょうか」
「…………」
意地汚い。そう思いながらも、王子が他に縋れる相手はない。
ただ目の前の、商売だと言い切るがゆえに、信頼たり得る可能性のある男に、その身を委ねるしかなかったのだ。
「…………。この10年で、エリヌスに何があったのかを調べてくれ」
「おや? 相談はよろしいので?」
「それはお前の情報屋としての技量を知ってからだ」
「ふむ……。賢い選択ですね。さすがは次期国王様。
一国民としては、喜ばしい限りです」
「そのような戯言でなびくと思うな」
「ええ、もちろん。それでは、また次の機会に」
にやけづらの情報屋は、再びすっと背景に溶けるように姿を消した。
残された王子は、胸のモヤモヤが膨れていくのを感じながらも、プールへと向かうため、外ゆきの表情を作り上げたのだった。
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