悪役令嬢は凄腕スナイパー【連載版】

「たとえ私に破滅の道しかなくとも、この国だけは護ってみせる」
島 一守
島 一守

02更衣室に潜む影

公開日時: 2021年11月15日(月) 21:05
文字数:1,958

 翌日、情報屋は上機嫌だった。

自身の思い通りに事が運ぶこの瞬間こそ、彼にとって最も心地よい瞬間なのだ。

それがたとえ、王子とその許嫁が共にプールへと向かうだけという、ほんの些細な事であっても。



「こんにちは。ご機嫌いかがでしょうか、オズナ王子」


「っ……! 君は、夜の……」


「情報屋のヴァイス。覚えていただけると光栄です」



 プールの横に設置された更衣室に待っていた人物に、オズナは顔を強張らせる。

その様子に、王子に付き添っていた執事は、すかさず王子を守る体制へと入った。

ピシッと制服を堅苦しい様子で着込んだ男は、小さなため息と共に言葉を漏らす。



「おやおや、随分と警戒されてしまいましたね」


「…………。大丈夫だ、下がれ」



 執事は一瞬戸惑うも、命令通り下がる。

けれど王子はそれだけでなく、視線と首の動きだけで、部屋から出ろと促した。


 二人きりになり、空気が重く沈む。

部屋の外のプールではしゃぐ生徒たちの声も、夏を知らせる虫の声も、二人の間には届かなかった。

沈黙は、王子によって破られた。



「再び姿を表したということは、何かあるんだな?」


「いえいえ、問題なく事が進んでいるかを確認しにきたまでです」


「ほう……。ずっと、私たちを見ていたと?」


「ふふっ……。私も、そこまで無粋なことはしませんよ。

 もちろん、せっかくのプールデートに割って入るつもりもありません」



 ニヤニヤとした面で紡がれる言葉に嘘はない。意図的に主語が抜かれていただけだ。

ヴァイス本人が割って入ることはない。けれど、他の人間を差し向けないとも言っていないのだ。



「デートなどと……」


「おや、まだ否定されるのですか?」


「私は昔のように、共に楽しい時間を過ごせればと……」


「それを世間一般では、デートと呼称するかと……。まあ、呼び名はこの際いいでしょう。

 いかがでしたか? 午前の学園案内は」


「…………」



 王子は威嚇するようにヴァイスへ向けていた視線をそらし、少し表情を曇らせた。

ヴァイスもまた、営業用に貼り付けた笑みを崩し、少々心配げなふりをする。



「おや? あまり芳しくなかったと?」


「いや、問題ない。問題はないのだが……」



 それはまるで、自身に言い聞かせるような言葉。

記憶の中の様子と、変わってしまった今の彼女の様子。

そのふたつの生合成がとれず、王子はいまだ戸惑っていたのだ。



「どうぞ、私めにご相談下さい。

 必要であるならば、お望みの情報をご提供いたしましょう」


「…………。それには及ばない。だが……」


「だが、なんでしょう?」


「エリヌスの様子が、昔と違っていて……」


「なるほど、その点が気になっていたのですね」



 ふっとヴァイスの表情が、貼り付けられた営業スマイルへと戻る。

言葉に嘘はなくとも、この男の表情、仕草、全ては計算ずくだ。

そして次にかける言葉もまた、事前に用意されたものだった。



「王子がロート連邦へと旅立たれたあと、エリヌス様は随分と活動的になられたそうですね。

 最近までは、身体を鍛えるのも兼ねて、弓の稽古をしていたとか……」


「彼女のことも調べているのか」


「もちろん。情報屋ですから」


「そうか……」


「…………。もしや王子は、今のエリヌス様にご不満がおありで?」


「そうではない。そうではないのだが……」



 王子は苦しんでいた。

周囲の者たちはみな、自身を王子として見ている。

ゆえに、悩みを打ち明けることのできる相手などいない。

そして、今のエリヌスに不満があるなどと、まるで病弱のままでいてほしかったなどと捉えられる言葉など、発せるはずがなかった。

その心の隙間に、ヴァイスは入り込んできたのだ。



「苦しいのなら、心の内を打ち明けてみるとよいかと存じます」


「誰に打ち明けろと言うのだ? まさか、情報屋にタダでくれてやれとでも言うのか?」


「ええ。私は情報屋です。ゆえに情報を売ります。

 けれど『誰にも売るな』という条件を提示されたなら、当然守ります。商売ですので」


「口止め料が必要と……」


「それでは少々印象が悪いですね。

 ここはそう、『相談料』と呼びましょうか」


「…………」



 意地汚い。そう思いながらも、王子が他に縋れる相手はない。

ただ目の前の、商売だと言い切るがゆえに、信頼たり得る可能性のある男に、その身を委ねるしかなかったのだ。



「…………。この10年で、エリヌスに何があったのかを調べてくれ」


「おや? 相談はよろしいので?」


「それはお前の情報屋としての技量を知ってからだ」


「ふむ……。賢い選択ですね。さすがは次期国王様。

 一国民としては、喜ばしい限りです」


「そのような戯言でなびくと思うな」


「ええ、もちろん。それでは、また次の機会に」



 にやけづらの情報屋は、再びすっと背景に溶けるように姿を消した。

残された王子は、胸のモヤモヤが膨れていくのを感じながらも、プールへと向かうため、外ゆきの表情を作り上げたのだった。

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