登校中、馬車の中での執事の小言にも似た言葉の数々を聞き流し、学園へ到着する。
腹に一物抱えた従者など、隣に連れて歩く趣味はない。そんな私の内心など、彼が知るはずもなかった。
だから馬車に閉じ込めてやったのだ。これが私にとって、一番良い選択だ。
そして王子の最期を見届けなくて済むのだから、彼にとっても一番良い選択だ。
「お嬢様、良い一日を」
「ええ、あなたもね」
よい一日、か……。今日これから起こる事を知る私にとって、最も遠い言葉だ。
御者は小さく会釈し発車する。見送る馬車の中では、閉じ込められた執事がいまだに扉を叩く音がした。
そこへ、いつもの気配が背後に迫る。
「よー、エリーちゃん。朝からご機嫌ナナメだねぇ?」
いつもの声、いつもの調子。けれどその声を聞いたのは、久々だった。
いったい夏休みの間、何をして……。いえ、何をしでかしたのかしらね。
「そんな相手に遠慮なく声を掛けるなんて、とばっちりを受けたいのかしら?」
「いんや、そうじゃねえさ。ただ、いつものメイドも居ないようだし? 俺がボディーガードしてやろうかなってね」
エイダが居ないことに気付くのは当然として、この男のことだ、この機に乗じて何をしでかそうというのか……。
もしくは、エイダが夏休みを取ることになったのも、この男の差し金か……。
いえ、さすがに考えすぎね。色々なことが重なって、少し気が立っているのが自分でも分かってしまう。
「お気遣いありがとう。けれど、学園内は王宮の次に安全な場所よ」
「今のところは、そうかもしれねえな」
今のところは、という言葉には同意見だ。今日、必ず事件は起こるもの。
けれどどうしてヴァイスがそれを知っているのか。もしくは、別の事件を起こすつもり?
まさか、王子を狙う犯人がヴァイス? いえ、ありえないわね。この男、自分の手は汚さない主義だもの。
彼に何か吹き込まれた人が、口車に乗せられて凶行に及ぶというのはありうる話だけど……。
余計なことを考えたくないのに、全てに疑心暗鬼になってしまう。
なにを聞いても、何を見ても、全てが悪い方へ流れているように感じてしまう。
そんな思考の渦の中、ねちっこく、何かを企む声が耳に届いた。
「ん-? あれって……。お前さんの王子様じゃねえの?
んで、隣に居るのは……。おっと、これは見てはいけないモノだったかな?」
その先に見えた二人組の後姿は、私の良く知る人物たち。
一人は許嫁であるオズナ王子。そしてその隣には、ピンク色の髪の女。
二人が並んで歩いていた。とても仲が良さそうで、王子は笑顔で話しかけているのだ。
その様子は、平民が王子に取り入っているというよりは、逆に王子が彼女に言い寄っているようで……。
「平民が王子と同伴登校とは、いったいどんな手を使ったんだ?」
「…………」
白々しいヴァイスの言葉に、私は答えない。なぜなら、全てを知っているから。
二人が知り合ったのは、この男の差し金。そしてそれもまた、この世界の道筋通りの展開。
その先にあるのは、セイラが身を挺して王子を守るという未来。けれどそれだけが変わるのだ。
『オズナ王子には消えてもらう』
暗号文の内容は、それぞれの思惑が、それぞれに絡み合った結果。
その中には、当然私の思惑もまた含まれていた。これは、私が招いた結果でもあるのだ。
「おいおい、そんな怖い顔すんなよ。宮廷の次に安全な場所で、暴行事件とかやめてくれよ?
んなもん、この国の安全性が疑われかねないからな!」
「そうね。そんなことする気も、必要もないもの」
「そそ、前に言ってたもんな? 学園内での流血沙汰は許さないとかなんとか」
「…………」
そんなことを言ったような記憶がおぼろげにある。
いえ、この男が言うのなら、この男の記憶力と、嘘をつかない性質からして、私は確実にそう言ったのだろう。
「おいおい忘れたのか? 借金取りに追われてた先輩と会った時の話だぞ?
それとも、俺がやるのはダメでお前自身ならいいみたいな? 二枚舌かよ」
「勝手に話を進めないでいただけます?」
何の気なしに発した言葉。けれどそれを今思い出すのは、心苦しかった。
今日この日、どこかの時点で確実にそのような事態が起こることを、私は知っているのだから。
「ま、どっちにしろ好きにすりゃいいさ。お前さんの人生、お前さんの好きにすりゃいい。
誰かの言いなりなんざ、つまんねえだろ?」
「…………。そうね、私は私の思うように、正しいと思う行動をするわ」
そうだ、なににも縛られる必要はない。お母様の意向でさえ、身をひるがえしかわしてきた。
ならばこの世界の運命というものにもまた、抗ってみようじゃない。そう、王子が凶弾に倒れるという運命に。
「ありがとう、ふっきれたわ」
「えっ……。お前が俺に礼を言うなんて、今日は鉄の雨でも降るのか?」
「そうね、そうかもしれないわ。だからどうしたというの? 鉄の雨が降るのなら、防げばいいだけよ」
「は? おまえ、気でも狂ったのか!?」
いつもならありえない発現に、ヴァイスは混乱している。けれど私は、それどころではない。
いつ、どのタイミングで本物の「鉄の死神」が狙ってくるかを考えなければならないのだから。
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