そうと決まれば即行動と、父の動きは早かった。
即座にフェリックスへと使者を送り、その日のうちに面会することとなったのだ。
それはいい、それはいいのだけど……。
「エイダ、どうしてこんなことになったのかしら?」
鏡の前で、私は専属メイドに問いかけた。
鏡の中の私は、白く煌めくドレスを身にまとっている。
歩くごとに揺れる長く、そして緩く波打つ金髪に合わせるように、薄水色のレースが揺れるドレスだ。
夜の仕事のための作業着である、黒いピッタリと身体にフィットした服を気に入っている私にとって、こんなのは動きにくいだけで、なんの意味もない服に思えた。
「お相手も貴族ですので、身だしなみは整える必要がございます」
「それにしたって、これでは舞踏会に行くような格好ではないですの」
「イクター様のご指示にございます」
「はぁ……。お父様にも困ったものね」
これは、貴族の権威を示すための服ではない。
ただただ父が、可愛らしい娘自慢をしたいがための服だ。
昔から変わらず、父は私と行動を共にする際は、必ず着飾らせるのだ。
そして、会話の節々に私のことを自慢するような、そういった発言をする。
ヴァイスがいたにも関わらず、さっきも所々出ていたくらいなのだから。
だから、いつしか私は父と距離を置くようになった。
いつまでも、可愛い可愛い幼い私でいたくなかったから。
父も少しはその気持ちに気付いてくれていたら……。
そんな期待は無駄だと、今思い知ったのだ。
私の内心などつゆ知らず、着替えた私を見た父は、目尻を緩める。
それは馬車に揺られている時も、相手の屋敷に到着しようとも変わらなかった。
相手方の執事が迎えにきた時ですら、緩み切った顔だったものだから、口には出さなかったが、相手は驚いた表情をしていたものだ。
「お待ちしておりました、イクター様」
表情を悟られないようにか、深々と頭を下げる執事。
おそらく、彼は何度も父と顔を合わせているのだろう。
その上で、仕事中の顔と、今の緩み切った顔のギャップに驚いたのだ。
「かしこまらなくてよい。突然押しかけたのはこちらだ」
「滅相もございません。イクター様の御用命とあらば、いつなんどきであろうとも、お迎えさせていただきます」
当然の反応だ。突然押しかけたとはいえ、こちらは公爵家。
それに不快感を表せる相手など、王家と教会以外には存在しないだろう。
「では、ご案内させていただきます」
フレックス氏の本心がどこにあるかは定かではないが、執事は淡々と自らの仕事をこなす。
静かに、気品あふれる足取りで、屋敷の玄関へと歩みを進めた。
外から見た屋敷は、石造りの四階建て。庭は広く、周囲も鉄柵で囲まれている。
庭といっても、木々が生えているわけではなく、低木と噴水がある程度で、他は手入れの行き届いた芝生だ。
潜入するとなれば、障害物のない見通しの良い庭は、なかなかに難易度が高そうだ。
当然ながら、屋敷を囲む柵には定期的に護衛が巡回しており、隙を見せることはない。
潜入ルートを考えるのは私の仕事ではない。
けれど、無意識に仕事をこなす際の手順を考えてしまうのだ。
そして今も、まだやると決めたわけではないのに、考えを巡らせてしまっていた。
もし相手が考えを改めるようなら、私の出る幕はない。それを見極めるために、私はここにいる。
改めて目的を思い返してみても、潜入する前提の下見感覚は抜けなかった。
意外と私も、夜の仕事に毒されてしまっていたようね。
廊下は冷たい外観とは打って変わり、赤い絨毯と蝋燭が照らす、暖かい雰囲気だ。
各所に水瓶が置かれていて、涼しげな水がたっぷりと蓄えられている。
「そちらは、防火用の水瓶でございます」
物珍しそうに見る様子に気付いたのか、執事は一言告げた。
「そうでしたの。これほどの数を揃えているので、もしやコレクションかと思ったのですが……」
「もちろん、相応の品ではございますよ。
けれど、主目的は防火用にございます。
毎日水を入れ替えておりますので、飲むこともできますがね……」
「この屋敷には、フレックスの職務室があるのでな。
重要書類を焼失となれば一大事。防火は最重要というわけだ」
「なるほど、そういうわけでしたのね」
つまり、最悪の場合この屋敷に火を付ければいいわけだ。
最も厳重に対策する先、それこそが弱点でもあるのだから。
「こちらで少々お待ちください」
通された先は、応接室。
座らされたソファーも、部屋を照らすシャンデリアも、配置された棚に並ぶ品々も……。
なにもかもが豪華な内装は、素人であっても金がかかっているのがよくわかる。
それらが、人の道を踏み外して手に入れたものだと考えれば、煌びやかな品々から、人々の恨み節が聞こえてくるようだ。
「突然で準備ができていないのは分かるが、待たせるとは珍しいな……」
差し出された紅茶を飲みながら、父は言う。
「あら、そうですの?」
「ああ。いつもなら、本人が玄関ホールまで来るほどでな。
あまりのマメさに、仕事をしていないのではないかと疑うほどだ」
「ははは、そのように思われても仕方ありませんな」
ガチャリと開いた扉から、でっぷりとした人物は笑いながら部屋へと入ってきた。
無駄に豪華すぎる屋敷と同じく、無駄に高いものだと分かるほどの服を着ている。
しかし、さすがに宝石をゴテゴテとあしらった装飾品は身につけてはいない。
なにせこちらは公爵。どれほど金を持っていたとして、こちらより目立ってはいけないのだ。
それが貴族の間では当然の、暗黙のルール。
「おっと、まさか聞かれているとはな」
「いえいえ、お気になさらず。
イクター様、今夜はおいで頂き、誠にありがとうございます」
膝をつき、深々と頭を下げる。
彼がこの屋敷の主、フェリックス・リバー。そして、ミーさんの退学の原因となった男。
「うむ。頭を上げよ」
言葉を待ち、フェリックスは頭を上げる。
その顔は、貼り付けたような営業用の笑み。
本心は笑っていないことは、目を見れば明らかだった。
「突然の訪問、失礼したな。紹介しよう、娘のエリヌスだ」
「エリヌス様、フェリックス・リバーと申します」
「ご丁寧にありがとう。エリヌス・ラマウィですわ」
「これはこれは……。お噂はかねがね伺っておりましたが、まこと美しいお方……」
「そうだろうそうだろう!」
「お父様ったら……」
いったい普段、どのように娘自慢をしているのか不安になる受け答えだ。
こんな見え見えのリップサービスに乗せられるほど、父は単純な人ではないと思うのだけど……。
「しかし、エリヌス様をお連れになるとは、今回のご用件と何か関係が?」
「うむ。エリヌスも、今年から聖アーテル学園に通うようになったのだ」
「もう、そんなに経つのですな……。
よくお話は聞いておりましたが、いやはや、よその子の成長は早いなどと言いますが、まことその通りで……」
「そうだな。結局会わせることもなく、今日が初めてとなったほどだ。
それでだな、この子が学園で良からぬ噂を耳にしたのだよ」
「良からぬ噂、ですと?」
その先は父に話した通りだ。
鉄の死神の噂。そして、死神が狙う者についての噂。
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