あの夜耳に届いた言葉を、私は忘れることは無いだろう。
『この世界はゲームだ。そして君は、悪役令嬢。
主人公と、6人の攻略対象との間に立ち塞がり、行くてを阻む者』
突然のことに、言葉を発した者を見つめ、硬直していた。
そんな私のことを置き去りに、相手は言葉を続ける。
『もし、かの6人の誰かと主人公がエンディングを迎えれば、この国は変わることなく腐敗し続け、近く破滅する。
唯一の破滅を回避する方法は、主人公と6人の男を破滅させ、君が主役の“バッドエンド”を迎えることだ。
そのためには、シナリオ通り動いてもらわねば困る。バッドエンドへの道筋は、変えてはならないのだ』
思い出される言葉が頭を巡り、決意を新たにした。
必ず、この国を救ってみせる。そして、良いものへと変えてみせる、と。
だから私は演じなければならない。
悪役を、ストーリー通りの悪事とともに。
「いかがかしら? お手洗いフレーバーのサンドイッチのお味は」
「ムグッ! んんん……!!」
昼休み手洗い場で、落としたサンドイッチを無理やりセイラの口に押し込んだ。
涙目になりながらも、エイダに押さえつけられ、抵抗できず、なされるがまま受け入れている。
これも必要なこと。そう言い聞かせてもなお、罪悪感が募ってゆく……。
などということはなかった。
ただただ気持ち悪い女が、気持ち悪い表情を晒しているだけだ。
そこに私の感情などありはしない。
「おー。やってるねぇ、エリーちゃん?」
「ヴァイス!? あなた、ここをどこだとお思いで!?」
「え? 女子トイレだろ?」
「しれっと男が入ってくるんじゃありませんわよっ!!」
勢いよく脇腹を蹴ってやれば、朝と同じく、避けることもできずヴァイスは無様にうずくまる。
「今日は……。白……」
「蹴られながら、スカートの中チラ見してんじゃありませんわっ!!」
ついでに踵落としを入れてやった。
「今度はモロ見え……。てか、見えるような攻撃すんな……」
ガクッと力なく倒れるが、それでも情報収集は怠らない。本当にこの男は……。
私の下着の色などという情報は、いったいいくらになるというのだろうか……。
「で? なんの用ですの?
まさかここであったことを、弱みにできるとお思いではないでしょうね?」
ぐりぐりと頭を踏みつけながら言えば、情けない声で反応した。
「そんな公然の秘密、ネタにならねえ……。
てか、踏みつけるのやめて……」
「それじゃ、なんですの?」
「朝の続きだ……」
「!」
さっと足を外し、ヴァイスを立たせる。
ぐいっと引っ張り上げたが、この男、思った以上に軽い。
存在感と共に、質量もどこかへ置き去りにしたかのようだ。
「それを早く言いなさい!」
「言わせなかったくせに」
「場所を変えますわよ!」
「はいはい」
「エイダ、あとの処理は任せましたわ」
「かしこまりました、お嬢様」
指示をとばせば、セイラは恨めしく睨んでいた。
言葉はなくとも、手は自らの服の袖を強く握り締め、怒りを表している。
意外ね、ちゃんと感情があったなんて。人形かと思っていたわ。
「なんですの? まだ食べ足りないのかしら?
欲しがれば、まだもらえると思っているなんて、本当に卑しいですわね!
私の慈悲に甘えるんじゃありませんわよ!」
その言葉を残し、ヴァイスの手を引き私は手洗い場を去る。
悪役令嬢というのも、楽じゃないわ。
「しっかし、エリーちゃんもエグいねぇ……」
「なんですのよ!?」
「前はあんなに仲良しだったじゃ……」
「あなた、もう一度踏まれたいのかしら?」
「あっ……。なんでもないっす……」
ヴァイスは口をつぐむ。身の危険を感じたのだろう。
口は禍の元。沈黙は金。情報屋は喋ることよりも、何を言わないでおくかが大事らしい。
そんなことを、彼が昔言っていたのを思い出す。
思い出とも言い難い何かを思い出しつつ、早足で歩き続けた。
何を言わないでおくか、それはつまり、誰に聞かせたくないかと同義だ。
今回の話も、多くの人に言って回る内容ではないはず。
なので人のいない場所と考え、二人で礼拝堂へと入り、戸の鍵を下ろす。
中は重苦しいほどに静かな空気が流れ、ステンドグラスが陽の光にきらめいていた。
「それで、朝の続きを聞いてもよろしいかしら?」
「はぁ……。お前はホント、勝手だよなぁ……。
まあいい。朝の事件、色々調べておいたぜ。
殺されたヤツは、他にも裏で黒いことやってたようだな。
んで、その取引してる相手とのパーティー中にやられたらしい」
「襲撃ではなく、暗殺ですわね。鉄の死神は、今までも暗殺ばかりのようですし。
それで犯人は、その取引相手の息のかかった者かしら?」
「わからんが、ありうるな。裏切り、もしくは口封じの可能性もある。
ま、推測はやめておこう。事実だけを並べよう」
「ですわね」
「どうやら、鉄の死神は外からやったらしい。
窓ガラスに、鉄の玉と同じ大きさの穴が空いていたんだとよ」
「鉄の玉を打ち込む魔法が、そんなに遠くから?」
「普通の魔法じゃ、んなのは無理だ。だから、かなり高度な魔術師だろう。
これで犯人はかなり絞れるし、それほどの魔法なら、妨害結界でちょっと邪魔すりゃ防げるだろうな」
「えぇ。高度魔法ほど、妨害には弱いですものね」
「対象との距離が遠けりゃ、なおさらな」
「私の屋敷にも、結界を用意させますわ。
あなた、多少は役に立ちますのね」
「そりゃどうも」
「報酬は……」
「待て待て、他にも情報が……。ん?」
ヴァイスの言葉が止まる。ふいと向けられた視線に、同じように私もそちらを見つめた。
彼が話を途中で止めた理由はすぐにわかった。
並ぶ長椅子の列の中、そこには見慣れぬ女生徒が一人、気まずそうな顔でこちらを見ていたのだ。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!