『そういえばシオン、君ってさここに来る前何してたの?派遣っていったら弱小支部のモヤシが鍛え上げか体の良い処分の為に来るものだけど』
そんな気がしない、とアンジェリナは隣を歩く少年を見遣って言った。
実の所、彼女は彼をあまり知らない。
人事ファイルは名前と異能の種類と血液型とか、最低限の情報しかない杜撰すぎる文章で、そもそも昨日まで五人でやる仕事だったのだ。
余りに急過ぎる予定変更を普通にやってのけるのはアリシアの美点であり汚点でもあった。今更如何とも言わないが、───というか言ったらきっと“そんな臨機応変に動けない奴はいらない”とか言われそうだし。
というので実力の程は殆ど信用していなかったのだが、先程までの動きを見ていれば黒髪が強いというのは本当だったらしい。………それはそれで少し嫉ましいが、異能者の強さなんて基本的には遺伝に依るものだ。
それは自分だって、そしてここに居る他の4人もそうである。他人の事は言えない。
『幼年学校出てからは協会直属の探索者をしてた、だから急に異動になって割と驚いてる、ずっと単独で戦っていたから』
アリシアの犠牲者はここにも居たようだ。
とは思いつつ、アンジェリナは内心驚いていた。
先程の戦闘の様子、とてもではないが単独での戦いに慣れた者の動きではない。癖はあるが他者との連携を考慮に入れた動き方だ。
その疑問を感じ取ったのか紫苑は続ける。
『……黒髪は最初に異能の制御と他の奴との連携ができるように教え込まれるから』
3歳までに異能の制御を出来るように教育され、6歳までに他の黒髪との中で、ある程度動けるように躾られる。
それが出来なければ、飼育されている合成獣の生き餌にされる上に名前すら貰えない、それ故にこの国で黒髪と言われる者共はそれぐらい朝飯前だ。
幸か不幸かは知らないが。
山狩りしつつポイントF2、F1と歩いて行っても工場と思しき物は見あたらず、そのまま夜になった、とりあえずは目標達成と言ったところか。
山岳地帯の夜は冷える、道中昔使われていたであろう山小屋を見つけたので、疲れ気味の一行はそこまで戻って持ち主がいないのを良いことに埃まみれのその小屋に不法侵入し、拾ってきた乾いた木の枝を備え付けの暖炉に投げ入れ燃やして暖をとる。ようやっとごはんの時間だ。
兵粮には1日分、二回の食事と一回の間食が詰まっている。
EPAといわれるそれは主菜と副菜、缶詰パンやハードビスケット、スプレッドやマーマレードなど塗り物、インスタント飲料、ビターチョコレートやチューインガムなどがセットになっているのだ。
「これあっためたほうが絶対美味いよな」
副菜か主菜かは知らんがビールよろしくキンキンに冷やされた缶詰の中身は黄色の液体──コーンポタージュである。中身を開けて一部固体になっているのを見つけ、うへぇと紫苑は眉根を寄せる。
「こんな12月のクソ寒い時期につべたいコンポタ食えるかよ、スライスアーモンド持って来たからソイツかけて食おうぜ」
こいつは何をバックパックに詰めてきたんだとアホを見るような目の紫苑を余所にリオンはさっさと他のやつの分まで温め始めた。
そういやコイツは妹と二人暮らししてたんだか、スライスアーモンドというところもセンスの良さと自炊経験の長さを表している。
疲れと空腹もあいまってか、食べ終わる頃には皆眠たげな顔をしていた。
という訳で、晩飯も早々に6人は2時間ごとに不寝番を交代する事を決めて寝る事にした。
暖炉の火の傍、銃器の分解整備を終えて少し退屈しながらロゼリエは2時間が過ぎるのを待つ。
時計を見やれば後五分、もう少しだ。
次の当番である紫苑を起こそうと思って傍へと寄る。
彼は子供のように身を縮め、得物の刀をまるで安心毛布のように抱きしめて寝袋に包まっていた。
寝息に合わせて少し苦しげに聞こえてくる微かな寝言。
───しぐれ……ごめん………ごめんな。
フランス人である彼女は日本語を解さない、けれどその言葉に含まれた誰かを悔やむような、それでいて自分を恨むようなその響きは確かに心に伝わった。
悪い夢でも見ているのだろうか。
意外だな、と思う。あんなに強くて、人柄も良さそうで、だから眠る時まで悩むところなんて何も無いのだろうと、そう思っていたから。
「………大丈夫?」
うぅ……と微かに呻く声がしてうっすらと少年は瞼を持ち上げる、そこから覗く蒼金石の深い蒼。
それが腕時計を見て見開かれる。
「……っ悪い、3分遅れたな、当番変わるよごめん。……大丈夫って?……別になんでも無いよ、十分寝たから」
「………そう?ならいいけど。ちょっと私も起きていよっかな、なんだか目が冴えちゃったし」
そう言って少女は居住まいを正し、もう少しだけ起きていることにした。何処か惹かれるものを、この少年に感じたから。
ちょっと待って、冷えるだろ。と紫苑は何か自分のバックパックをゴソゴソやりはじめる。
中から出したのはマーマレードと紅茶の粉、先程のEPAに入っていたものだ。
ソレに脱脂粉乳をぶち込んで、お湯と蜂蜜をほんの少し投下すればあったかミルクティーの完成。
ほかほかと温かそうな湯気を立てているソレは、すでに飲むのにちょうど良い温かさになっていた。
口に入れれば蜂蜜とミルクのまろやかな甘味と柑橘類特有のさっぱりとした香りが口に広がる。それもしつこくなく心地よいぐらいの配合で。
美味しい。
何故だか故郷の山、その狩小屋で過ごした何時かの日々を思い出す。いつか誰かに振舞ってもらった、そんな気がして懐かしさでいっぱいになった。
黙ったままでいるのもなんだか気不味いので両手でカップを持ったまま少女は問う。
「そういえばさ、日本ってどんなところなの?」
「ちっとばかし合成獣の多いただの島国。まあこっちだとおっきいスーパーじゃないと味噌も醤油も米もないけど、こっちで食べられるものは大体あの国にもある、ってそれぐらいしか違わない」
「ふうん、自炊するの?」
「少しはね」
弟妹を食べさせて来た身なので料理が下手とは信じたくないが、かと言ってそれで食べて行ける程の腕前ではない。
それでも大侵攻の時は良いように使われていたのでまあまあと言ったところだろう。
「ロゼリエはするのか?」
「私はからきしダメ、前にレアチーズケーキ切り分けようとしてラズベリーチーズケーキにしちゃったから包丁すら持たしてくれない」
それはそうだろう。
ちなみに食べれなくなったデ●ルのレアチーズケーキは後で彼女が泣く泣く弁償する羽目になった、まぁ当たり前だ。
「今度教えようか?ある程度はできてた方が役に立つよ、生活技能」
「ふうん、じゃあ今度時間があったら頼むかも。そうそう気になってたんだけどさ、わざわざこの国まで来たのってどうして?あっちの方がよっぽど国防しっかりしてるし合成獣に食い殺される人も少ないのに」
「ああそれね。よく聞かれる、でもこっちの方が住みやすくて。向こうじゃ異能者は人間扱いされないから」
「それはこっちでも変わらないじゃん、身分証明書に準人間って書かないといけないんだし」
生物学的には二つの生物を交配させて生殖能力を持つ子供が産まれればその二つの生物とその子供は同じ種族の生物、と定義されている。
例えば、驢馬と馬を掛け合わせて産まれる騾馬に子供は生まれない、ゆえに馬と驢馬は別の種の生き物であり、また豚と猪を掛け合わせて産まれる猪豚は生殖能力を持つ、故に猪と豚は同種の生物である。
なら、異能者と人間は?
答えは別種の生物である、だ。
だから彼の国では異能者は人として数えられることもなく、生物兵器に対抗するための生物兵器として使用され、破壊されていく。
それも8年前までの話。
今では脳に操縦用チップを埋め込まれた合成獣が黒髪の代わりに国防の要として使われている。
自分らはその転換期にここへ逃げだせた。
そのまま留まっていたらどうなるかって?
理科の実験で蛍光を放つ大腸菌を作った事のある人はお分かりだろう。
人工的に遺伝子を弄って造られた生命体なんて生態系汚染を防ぐ為に使用済みとなれば殺処分されるのがオチだ。
───初めての修学旅行、楽しんで来てね。
ICチップの輸出用輸送機の中、十数人の弟妹と従弟妹が乗る最後尾、この国と協定を結んで“兵器”の密輸をした、遺伝子上の母であって実の姉は下腹を己の血液で真紅に染めてそう言った。
閉まる最後尾のハッチと幾つも響く散乱銃の銃声、それに水っぽい液体の音、何がどうなったかなんて見なくてもわかってしまった。
アリシアは暗殺と言ったが、あんなの暗殺でも何でもない、ただの嬲り殺しだ。
───蒼依姉ぇッ!!
叫んだ声は聞こえなくて、伸ばした手はハッチに阻まれ届くことはなかった。
一昼夜泣きじゃくる紫暮と紫雪を抱きしめて、それで結局二人とも大侵攻の折に失った。
姉みたいに守っては、してやれなかった。
「そうだな」
それでも、その存在の証がその一部だとしても、物質として残るからこの国の方が、全身丸ごと、餌として飼い慣らされている合成獣に喰われて何一つ残らないあの国よりも、まだマシだなんて、年端もない少女に言えるわけがなくて。
だから少年は少女から目を逸らしてそう呟く他になかった。
「因みにロゼリエ、お前は何処に住んでいたの?名前からしてフランスっぽいけれど。」
「ああ、私?ドイツ地方とフランス地方の狭間にアルザスってとこあるでしょ、あそこにキャッスル・ド・フレッケンシュタインっていうお城があるんだけどそこのすぐ傍に住んでた」
「あの煉瓦造りの城の?」
「そうそうそう!行ったことあるの?」
「かなり昔に一度だけ。一週間くらいキャンプしに。城は綺麗だったけどあの時は弟とはぐれて大変だった」
「弟さんいるんだ」
「……ああ。」
正確には居た、だがそんなこと今するような話でもないだろう。
その時はちゃんと戻ってきて、次に離れたときは一部しか戻ってこなかった。
はぐらかすように少年は一つ伸びをして言う。
「鹿がうまいよな、あと魚も」
「あら、猪だって美味しいわよ、いまはもう合成獣が居着いちゃって、人が入れるような場所じゃ無くなっちゃったけど、いつか入れるようになったらまた猪狩りしたいな。その時までに料理できるようにならないと」
「じゃあ少しは今度教えてあげるよ、俺もそれ食べてみたいし」
彼女の持つ空になったマグカップを見て、そろそろ寝な、と彼女に言おうとしたところでふとバサバサバサッと鳥の羽音と鳴き声がした。
次いで獣の咆哮する音。
窓は全て黒い布を張ってあるが慌てて電気を消した。それに応じてシェアサイトが暗視仕様へ切り替わる。
人の臭いに気付いたのだろうか、こちらに向かって来る複数の気配を身に感じた。
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