『公園』と呼ばれている場所は割と近かった。
錆にまみれたり罅が入ったり、朽ち果てた遊具が立ち並ぶそこは彼らの演練場でもあるのだろう、コンクリートには銃弾の跡が星形やジンジャークッキーのような形を精密に描いている。
ようは才能の無駄遣いだ。
待つ事暫く、曲がり角から罅割れた道路を踏み敷いて、四駆が近づいて来る。
恐らくはあれが迎えに来た車であろう。
役目を終えた少女は踵を返して帰ろうとする。
「ありがとう、そういや君、名前は?」
彼女の背を呼び止め少年は訊いた。
「ロゼリエ=ヘリオトロープ=メルクール。ロゼでいいわよ、ビッグルーキー。じゃあ、またあとで」
ここまで来たなら一緒に乗って行けば良いのにもかかわらず、それだけ言って少女は去っていく。
電操系の異能者特有の走りでその姿はすぐに背景の向こうへと掻き消えた。
彼女の消えて行った方を見送る背後で四駆が停車。運転席に座るのは、紫橙水晶と蒼灰長石の虹彩異色の少女。
年の頃は少年よりやや年上……およそ十八、十九と云った処か、白色人種の白磁の肌に宝石色の瞳がよく映えていた。
「君が、シオン=シュヴァルツァ=アイスレーゲン君……もとい、氷雨紫苑君ね。これからよろしく」
少しだけ片言な日本語で彼女は笑って手を振る。
手招きされながら少年は困惑気に眉を寄せ、助手席に座った。
そして少しドイツ語の訛りの混じった英語で問う。
「俺の本名を知っている人は、同類以外には殆ど居ない筈ですが?」
「…まぁ、黒髪は本国に存在を知られたらマズいもんね、どっかの研究者が言うにはドイツ地方の上層部が欧州連邦に秘密で受け入れた異能者開発の成果物だとか、しかも日本と交わした正式な約束じゃなくて研究所の一個人との契約。その上、契約した研究者は直後に事故死……暗殺だとも言われてると」
エンジンをかけながら彼女は言う。少年の方は黙り込んだままだ。
黒髪とは異能者開発の本国、日本で作られた異能者の称号である。髪や毛を黒くする遺伝子は西欧の異能者にとっては致死性の物であり、黒髪の人間自体が殆ど居ないから、というのがその由来ならしい。
「まあ、細かいことは支部についてからのお楽しみ、私が君の本名を知っているのは人伝てに聞いたから、今はそうとだけ言っておくよ……ああ名前で思い出したけれど、私の名前はアリシア=ディアマンド=ウェストラングレー、一応ここの支部の最高責任者ならしいよ。これからよろしくね」
責任感も減ったくれもない軽い調子で彼女はそう言いアクセルを踏み込んだ。
安全運転には程遠いスピード。心地よく廃墟群が前から後ろへと流れていく。
「ああ、よろしくお願いします」
窓の外を見やって紫苑は言った。
窓から見渡す景色のあちこちに十円禿の様な焼け跡の残る空き地と廃墟の広がる様。
それは、異能者が倒すべき存在――合成獣の生息域が程近い事を知らせる。
そのうち林立する廃ビルの山の中に入り、そしていきなり視界が開けた。
適当な所に車を留めて彼女は誇らしげに微笑む。
「ついたわよ、ここが私達の居城」
いっそ場違いなほどに小綺麗な病院らしき建物がそこに建っていた。
無機質なほど白い壁面を緑の蔦が這う。
「……随分と羽振りがいいんですね、支部でしょう?」
「当り前よ、見ての通り合成獣の生息域が近いから。……後、敬語は無しで良いわよ、言われ慣れて無いから凄くむず痒いし」
合成獣を倒せば倒すほど対合成獣協会こと通称“協会”から報酬が出る。それゆえ生息域が近い区域は狩猟場とも言われ、付近の支部と縄張り争いをすのも珍しい事ではない、だから弾薬代や人員の治療費その他で建物を新しく建てるほどの資金が溜まる事は、――それほどの余裕が支部に生まれる事は、稀なのだ。
「誰も狩りたがらない程凶悪な合成獣が多いのよ、だから日本の異能者が来てくれるのは助かるな、それも“氷雨”の強化異能者が」
「俺に期待するのは勝手だけれど、俺がそれに応えられるか否かは話が別だ」
───それに、強化異能者なんてそっちが思っている程良いもんじゃない。
口の中でだけそう独り言ちて、病院の中に入る。中身も外と同様に通路には一片の塵も無く清潔だった。
人は割といるようで、好奇心のこもった目線が幾つかこちらに向けられているのを感じる。異能は生まれてから二十代、長くても三十歳までには消えている、だからあちこちで見かける人々の大半がまだ十代であった。
そのなかで、
「や、誰かと思えば紫苑君か」
不意に背後から声。驚いて振り返れば淡金髪に海蒼色の瞳の白衣を着た女性がそこに立っていた。
見覚えしかないその姿に思わず紫苑は声を上げる。
「メグ姉ッ!」
───人伝てに聞いたから、今はそうとだけ言っておくよ、
その言葉が脳裏をよぎる。少女の言った通り紫苑とメグことマーガレット=サンマリア=ギガンチアは旧知の仲だった。
「久しぶりだな、息災だったか?」
「ああ…それは勿論」
言い淀んだ彼に彼女は一瞬目を細め、少年の姿を見やり嘆息した。
「……後で検査してやる」
少年は苦い顔をして首を振る。
「いらない。来る前に、専門医に一度診て貰ったから」
「嘘つけ、お前が自分から医者に行くもんか。というかお前の専門医は私だろう? まあ、まずはアリー……アリシアに自分の部屋とか案内してもらえ、でその他諸々用が済んだその後でいいから」
根負けしたように紫苑はその蒼色の眼を逸らす。
「……わーかったって」
白衣を翻して彼女はそこから去っていく。
その後ろ姿から目を離し紫苑は嘆息した。
強大な力はそれだけで多大な代償を要する。
まして強化異能者はただでさえ短命な異能者のDNAを人工的に操作して作られた存在だ。
自分が“特殊”であるということは知っている。
時に生活に支障が出ることも、生死に関わる問題が起こる事だって少なくない、そのための検査だ。それは知っているけれど、
本当は直視したくもない。
十分強い力を持ちながら、大事な存在を失うのをただ傍観するしか出来ないときもあるなんて、そんな単純事実を。
だから自分は自分が嫌いだ。
心の中に呟く言葉は誰にも届かない。
先を行く少女の背を前に紫苑は本日幾度目かの溜息をついた。
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