暗く半分だけ閉ざされた視界に突如一条の光が射す。
それで初めて自分がまだ生きていると判った。
「君、名前は……?」
突如降ってきた、誰かも知らない女性の声、殆ど何も考えず答えたつもりだったが自分の声は聞こえない。
代わりに聞こえたのは水の中に溺れていく様なごぼごぼという音。
不意に胸が痛んで、何か鉄錆臭い液体が喉元から迫り上がって口から溢れた。
息が出来ない、苦しい、助けて。
思っても声すら出ない。
何処か近くで甲高い電子音がした。慌てたような女性の声がその後に続く。
手を何か暖かい物で包まれるような感触と共に彼女がしたのは質問。
「君は、何かを失っても生き延びたいか…?もしもそうなら私の手を握り返してくれ、違うなら手を離せ」
消えそうになる意識の中で脳裏を過るのは、死んだ家族の口癖だった。
―――死なんでな、最後まで生き延びて―――
自分がどう答えたかなんて覚えていない。確かなのは、口に突っ込まれた管の苦みと何かを吸い出される感触。それを最後に自分の意識は再び闇の中へ戻っていった。
灰色の鉄骨が曇天に延び、罅割れた道路を雨水が穿つ。
その中を往くのは禽と蛙を足し合わせ、大型車両ほどに巨大化させた様な異形共の姿。
その名を第三次世界大戦の折に作られた最凶といわれている生物兵器で合成獣とも言う。
「数が多いね……」
呟く声はそこから3キロ程も離れた廃ビルの屋上から。
アサルトライフルを抱えた十代もまだ前半――大体十二才かそこらの少女が呆れた様に呟いた。
パチリと少女の手から紫電が弾け散る。
あの異形に対抗するために人類が得た力、異能力と呼ばれるものだ。
それが緊張によって一瞬制御を失い暴走した。‥‥‥良くない兆候である。
僅かながら汗ばんだ小さな手で彼女は、身を包む“協会”の制服の胸元にある北斗七星の記章を握りしめた。
『まあ、いつも通りで大丈夫だよ、これ終わったら“家”に帰って祝杯でもあげようぜ』
それを知ってか知らずか、片耳に引っ掛けたインカムが同じ班の班長の少年の声を伝える。
あとはあの異形共がこのビルの傍を通るのを待ち、ハチの巣にすればいい。
それだけだ。
そう思い、気を落ち着けるために目を閉じたその時、階下でパンと乾いた銃声が鳴り響いた。
程なくして、その音が届いたのか異形共の目線がこちらへ向く。もとが生物兵器なだけあって合成獣は五感と運動性能に優れている。こちらが立てた銃声にも気が付いたのだろう。
「……ッ!!マズい気付かれたッ!!」
今までのろのろと歩いていた異形が突然に走り出す。
『仕方ねェ、殲滅領域をD-85-37へ変更。構えッ、撃てッ!!』
少年のやけっぱちな怒声が無線を走る。
同時、幾条もの火線が廃ビルから、キルゾーンへ伸びた。
勿論少女も、床に伏せて引金を引き続ける。ちなみに生物兵器に対して生身のまま武器を用いて戦うのは、機動性がある程度限られた戦車などを使うより、彼等にとっては生身で戦ったほうがより身軽で安全だからである。
発射された弾の速度は、狙撃銃の規格外とも言える速さ。
異能者たる彼等の持つ異能は、電子操作系と言われる電気を操る力が殆どだ。それによって電磁的に弾を加速させているという訳である。
フレミングの法則の恩恵を受け、本来の何倍もの速度に加速した5.56mmNATO弾は、その弾速の二乗に比例した破壊を周囲に撒き散らした。
蛙禽の体に穴が開き、血の華が廃墟群と曇天の無機質な灰白色を彩っていく。
けれど、仲間の多くを失いつつも異形…合成獣の群れはキルゾーンを全力で駆け抜けていく。
仮にもWW3時には現代戦車と通用する戦力となされた合成獣だ。
優に時速は200km/hを超える。
――これはキツいかもな。
そう思った時、それまで無言を貫いていた観測手の少女が“………あ……。”と小さく声を漏らした。
「どうしたの……?」
引き金を引く手はそのままに少女は問う。
流れるような手つきで次弾の入ったマガジンを装填して先を促した。
「……ひと、……異能者が……蛙禽と接近戦してて………」
さしもの少女も流石に驚いて息を呑んだ。手元が狂って撃った弾が近くの街路樹に当たり、一抱えほどもあるその幹を吹き飛ばす。
「―――は……?……うそでしょう?」
もしそれが本当だとすれば、そんな事を好んでしようとする馬鹿者は自殺祈願者か完全に正気を失った者だけだろう。
一度撃つのを止め、少女は対戦車ライフルのスコープの倍率を落とし周囲を確認した。
そして気付いた。
銃では決してあり得ない、巨体を中心から真二つに割られ事切れた蛙禽の残骸を。
そして、異形の合間を駆ける黒い残像を。
それを認めて少女はさらに目を凝らす。
異能によって動体視力を増幅された視界の中でかろうじて捉えたのは曲芸舞踏でもするかのように異形共の間を飛び回り切り結ぶ黒い人影。
先も言ったが、合成獣の走行速度は優に時速200kmを超える。
斬りかかるのだって走行中のリニアモーターカーに直接触れるのと同じぐらいの暴挙で危険な行為である。
それをまるで何でもないかのように人影――彼は、前転し、背後からの敵の攻撃を避けて跳躍。華麗な月面宙返りを決めて、背後を奪い首を落とす。
その攻撃の遠心力さえ利用して、彼は背後に迫ってきたもう一体の合成獣の目を、脳味噌ごと自分の得物で貫いた。
まるで曲芸舞踏のような自由奔放で、かつ急所を一ミリも外さずに貫き斬る、正確無比な動き。
それによって、キルゾーンを抜けた合成獣も次々と解体させられ土に還っていく。
滑らかな切断面は凍り付いて、霜が降りたようになっていた。
――“分子運動減速系”、通称“減速系”と呼ばれる異能の一つで、周囲の熱を奪い物を凍らせたり、空気等の気圧を下げたり出来る異能である。
「誰か知らないけど、助かったな」
残るは数匹、未だ他の人員が仕留め切れていないのだ。
けれど、今の自分には彼らの動きがとても遅く見えた。
軽く息を溜めて数回撃発。
ゆるゆると発射された5.56NATO弾が合成獣の急所、心臓部と頭部、脊柱部を一発ずつ撃ち抜き、人影から距離を取るようにしていた異形達の息の根を止める。
―――これで殲滅完了。
彼女はふう、と息をついて銃爪から指を降ろす。
刹那、日本刀を腰に佩き手荷物のスーツケースを持った黒い髪の人影がこちらに向かって来るのが、異能を解除し再び早送りされていく世界の中で垣間見えた。
♰
『最後の射撃は“ベラトリクス”お前か?ついでにただの銃撃で合成獣の体を真二つにしたのも。腕上げたな、正直最年少とは思えないぜ』
全てが一通り終わって、インカムからは少し安堵したような少年の声が聞こえた。
「私が真二つにしたのは、街路樹と蛙禽の足と翼だけよ。あとは急所を蒸発させただけ」
片耳に引っ掛けているそれを外して少女はひょいとそれをあらぬ方へ投げる。
「名乗りなさいな、悔しいけど半分はアンタの功績よ。」
弧を描き落下するそれを途中で受け止めるのは彼女より頭一つ分だけ背の高い華奢な人影。静かな声で彼は告げた。
「……本日付でお世話になります、シオン=シュヴァルツァ=アイスレーゲンです」
見えもしないのに律儀に通信先の相手に一礼する彼に少女は笑いを噛み殺した。
長く伸ばし、後ろで結った髪の毛束が肩から落ちてゆらゆらと揺れる。
顔を上げた少年は欧州では珍しい消炭の黒髪に、蒼瑠璃を思わせる深蒼色の大きめの眼という、東洋系の顔立ちをしていた。
年の頃は十五か十六か、女顔で童顔なのでもう少し年上かもしれないが。
胸元の記章は北斗七星―――同じ所属だ。
そういえば今日はまた新しい異能者が来るとかなんだとか、支部長も言っていたか。
返されたインカムを再び引っ掛けると少し困ったような顔で少年はこちらを見返してくる。
「……ええと、迎えの車がD-34エリアの『公園』に行くからそこで待ってろ、と言われたんだけど、案内して貰っても大丈夫……?」
不安気にスーツケースを握りしめたまま問うてくるその様は、先の殺戮の嵐を起こした張本人とは、まるでかけ離れて見えて。だからその差に少女は笑みをくすりと漏らした。
♰
第三次世界対戦後、暦は代わって、彩暦128年。
嘗て、ドイツと呼ばれていた国の近く、
これは、EU連合国北方辺境のウェストミールという都市荒野に住みにし猟狼達の物語。
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