ぼくが歌が下手になったのには、ちゃんとした理由があるんだ。それは、ぼくが小学生だった頃のクリスマスの夜の事。深夜、親がぼくの寝室に音を立てずにクリスマスプレゼントを届けてくれた日。
誤って父さんは、クリスマスソングを鼻歌で歌ってしまい。
ぼくは即座に起き出した。
サンタが来たのだと思ったぼくは、心底嬉しくなって、電気をつけてみると……。
なのに、そこには寝間着姿の父さんが気まずそうな顔をして、寝室の机におもちゃをおいていたんだ。
それ以来。
ぼくは歌が嫌いになったんだ。
当然、その頃から歌の練習もしていない。
それから、高校生になっても、歌が下手のままで、友達と一緒に行ったカラオケボックスで、あまりの下手さのために、追い出されたこともあり。
学校の体育館で、みんなと校歌を歌う時も少し距離を置かれたり。
オーディオ機器からの歌唱曲やら、街に溢れだすクリスマスソングすらも嫌いだった。
ぼくは心底。
歌からは縁を切ったんだね。
そんなある日。
突然、家のチャイムが鳴った。
ドアを開けると、清らかな歌声が玄関いっぱいに溢れ出すじゃないか?!
玄関に現れたのは、一人の少女。
サンタクロースの服装をした少女は一通り歌い終わると、ぼくにニッコリ笑って「メリー・クリスマス!」と言ってお辞儀をした。
それにしても、なんて綺麗な歌声だったんだろう。
終わってしまったのに、まだ耳の中に余韻が残っているんだ。
今まで聴いた歌なんか足元にも及ばないや。
それになんて可愛い女の子なんだろう。
ぼくはその歌声ごと少女を好きになってしまっていた。
「歌を聴いてくれて、どうもありがとう!」
そう。少女はお辞儀をしたまま回れ右をして、帰ろうとした。
「待って! 君の名は?」
「え?!」
「いい歌だね」
「ありがと」
「また来てくれない?」
「ええ……それでは、明日も来ます」
帰り際に少女が小声で何かを言った気がした。
(お代は十分に貰っていますから……)
というのが聞こえたけど、その時は気にしなかった。
そうだ!
今日はクリスマス・イブだった!
それから、ぼくは一日中。歌の練習をたくさんした。
何故かって?
そりゃ、彼女と一緒に歌うためさ。
キッチンの夕食の時も、箸をマイク代わりに歌の練習をして、親に少し迷惑したかもしれないけれど、二人共歌が「段々上手くなって来たじゃないか?」 と言ってくれた。
そして、次の日。
昨日と同じ時間が近づくにつれ、ぼくは徐々にドキドキしてきた。
歌の練習も今日は学校休んで、早朝からぶっ続けだった。
玄関のチャイムが鳴る。
ぼくは急いで、ドアを開けた。
「こんばんは!」
「こんばんは! 来てくれたんだね!」
「親から貰ったクリスマスプレゼントが奇跡って……」
「ほんと珍しいでしょ? うちはキリシタンでもないというのに……」
「へえ、その奇跡でねえ……」
「ええ。ほんと不思議。世界って、信じられないくらい不思議なこともあるのよ」
「ふーん。そっか、それで歌の仕事を……どうして、ほそぼそと?」
「ええ、内緒なの。でも、これでも生計が経ってるのよ」
家の近くにある小さな公園で、ひと仕事を終えた彼女と少しだけお話をした。公園は、午後の6時だというのに、未だ子供たちがいる。きっと、働いて帰って来る親を待っているのだろうな。 ぼくは、今日が最後だと思って、次の家にも行かないといけないという彼女を引き止めたんだ。
彼女の名前は、小早川 アリス。日本人のプロの歌手の母とヨーロッパ人のバリトン歌手の父を持つのだそうだ。
小早川さんは、小さい頃に喉の怪我をして、そのせいで歌がうたえなかったのだそうだ。ところが、クリスマスの夜にとある特別なプレゼントをされて、今では歌が信じられないくらい上手だった。小早川さんのクリスマスプレゼントは、なんと奇跡だった。でも、奇跡? というので、何のことかと聞いてみると。
こういうことだそうだ……。
クリスマスの日に、父親が歌いながら、銀紙チェックのプレゼントを小早川さんの目の前で開けると、盛大なクラッカーと共に開け放たれたクリスマスプレゼントは、なんと空だった。それを小早川さんのご両親は、箱の中には奇跡が入っているんだと言ったんだそうだ。
その日から、小早川さんには本当に奇跡が起きた。
怪我で痛んだ喉も治り、歌が信じられないほど上手く歌えるようになったんだそうだ。
それでも、小早川さんは奇跡という箱の中身よりも、父親のその時歌ったとても珍しい歌が、心地よくいつまでも耳に残ったんだそうで……クリスマスと一緒に歌が大好きになったんだそうだ。……ぼくとは正反対なんだね。
「決めた! 今度、一緒に歌おうよ!」
「え?! あなたと? 一緒に……なんで?」
「ぼくは、どうしても君と一緒に歌いたいんだよ。とびっきりに上手く歌うからさ」
「……うーん。いいけど。本当に上手く歌えるの?」
「ああ、これから猛練習するんだ。一番最初に君に猛練習の成果を見せてあげるんだ!」
「……そう。じゃあ、あそこで歌いましょ」
小早川さんが向こうを指差した。
そこは、大通りにあるこの街で一番大きな栗福デパートだった。
「あのデパートの前で歌を歌いましょ。私、いつもあそこで歌いたかったのよ」
「デ、デパート?」
「そう。明日のクリスマスの日の夕方の6時よ」
「あ、明日のクリスマス……の日の……ろ、6時?」
「そうよ。その時間帯が一番人が多いのよね」
「い、一番……人が多い……?」
「それじゃ。私、他の家にも歌を届けないといけないから」
小早川さんはそういうと、スタスタと公園から近くの家に向かって歩いて行ってしまった。
残されたぼくはというと、歌の猛練習をするという意気込みは、すぐに長時間歌の練習することも、そしてやる気さえも、凄く怖気づいてしまって、木っ端微塵になってしまったんだね。
しばらくして、家に帰ってきたぼくは、一人。
部屋の中で悶々とした。
彼女と一緒にいたい。
彼女と一緒にいたい。
いや、歌いたい!!
どうしようか?
どうする?
どうする?
どうしようかーーー!!
もう!! やぶれかぶれだーーー!!
こうなりゃ、家の屋根の上だ!!
家の屋根の上で、ご近所中に聞こえるくらいに大きな声で歌ってやる! 勿論、深夜まで歌い続けてやる!!
こんな大勢の人前で歌う。ということくらいで、せっかくの運命の女神さまがぼくに微笑んでくれたかのような、恋を失いたくはないんだー!
そう考えると、もう止まらない。
ぼくは、早速。自分の部屋の窓を開けて脚立を用意して、屋根の上によじ登った。
「うー、寒いー……」
12月の屋根の上は、殊の外。寒くて、月が綺麗で、そして、歌をうたうのがとても恥ずかしかった。
「すぅーーーっ。あ、あー、あー。よしっ! 歌うぞ!!」
ぼくは、喉にありったけの集中をして、綺麗な声をだそうとした。
でも、なんか変?
変な声??
音痴に近いなあ……。
それでも、しばらく歌い続けたんだ……。
下手でもいいんだ。
あの子と精一杯歌えれば……。
そして、寒くても、雪が降ってきても、身体の芯まで凍えてきても……。
すると、いつの間にか、眠くなって来たんだ。
眠い。
眠い。
眠いんだ……。
ぼくは歌い疲れて、屋根の上に横になっていた。
シンシンと降る雪が頬に当たって、溶けだして、今まで上気していた顔の熱をここぞとばかりに奪っていく。
目を閉じると、体中がガタガタ震えだしているような感じがして、そして、身体全体が凍ったように静かに麻痺してきたんだ。
…………
「メリークリスマス!!」
「……うん?」
ぼくは野太い声で、目を覚ました。
目を開けると、そこには赤い服を着たおじさんが突っ立っていた。そこで、辺りを見てみると、ぼくはどうやら、自分の家の屋根の上で寝ていたようだ。
あれれ?
赤い服のおじさんがにっこりと頷くと、隣にいるトナカイが、赤い鼻を鳴らしていななかせ、ソリの上にある幾つもの大きな白い袋の一つに首を向けた。
赤い服のおじさんは、トナカイが首を向けたその大きな袋の一つからマイクを取り出した。
「これは特別だよ。クリスマス! プレゼンーーート!! さあ、このマイクは君のものだ!!」
大抑にそのマイクを赤い服のおじさんが、差し出してきた。
そして、おじさんは涙目のぼくに向かってウインクした。
ぼくは、立ち上がって、おじさんからマイクを受け取ると、泣いて喜んで飛び上がった!!
「やったーーー!! ありがとう!! サンタさん!! 本物のサンタさんだ!! ぼくにも、今でも夢を見ているんじゃないかとか、天国へ行ってしまっているのかもとか、とにかく信じられないけれど、すっごい奇跡が起きたんだーーー!!」
サンタさんは、ぼくににっこり微笑むと、トナカイの引くソリに乗って、空へと帰って行った。
それからのぼくは、部屋へ帰ってからというもの歌をうたいたくて、しかたがなかった。
ストーブを付けて、時計を見たらもう深夜の3時だった。けれど、サンタさんからもらったマイクを使って大きな声で歌いだした。
すると、マイクからは自分の声なのに自分の声じゃないみたいな声が流れだした。それは、清らかな聖歌を歌っているかのような声で、よく知っている歌詞の羅列が……テンポ。リズム。声量。歌詞へと乗せる感情の機微。全てが完璧すぎて、まんべんなく部屋中を満たしていく。
まるで、部屋という空間が、真の暗闇の底から瞬き光の輝きの直撃を受けたかのような。闇の底から爆発し、光が発散し、邪なものが消滅し、そして、静寂の中を奏でられる歌だけの神聖な空間へと変貌したかのようだった。
歌い終えたら、ぼくは静かに泣いた。
生まれて初めてだ。こんなにも歌いたくなったのは、明日という日が、とても楽しみだ!!
そして、こんなにも、とても嬉しい気持ちでいっぱいになったのは……。
クリスマスの日の栗福デパート前 午後6時
ぼくは一睡もしていないけど、全然眠くもなくて元気だった。どうやら、栗福デパート前は、許可を取れば様々なイベントができるようだった。白いロングコートを着た小早川さんが、店内から歩いて来た。
ぼくは黒のジャケットを着ている。
「許可を取るのは簡単だったわ。さあ、いくわよ! 調子はどう?」
「うん! 僕の方は大丈夫! いつでもどうぞ!」
小早川さんと一緒に気合いを入れ直した。
これからここで歌うんだ。
よしっ!
ぼくが歌い始めると、小早川さんも歌い。栗福デパート前をいっぱいにした。
なんと、小早川さんの歌う歌とぼくの歌は、事前に打ち合わせもしていないのに……。
同じ歌だった。
歌詞もリズムもテンポも速さも同じ。
歌が届いた人々の注目する目も同じだった。
まるで、完璧なコラボレーションだった。
ぼくたちが歌い終えると、突如、ぼくたちは栗福デパート前を包み込む拍手喝采の渦に巻き込まれてしまった。
「うふふふ」
「あははは」
小早川さんが笑っている。
ぼくも笑っている。
「凄いわ! とても素敵だったわ! それにしても、私と互角に歌えるなんて!」
「いや、あははははは。あ、そういえば、ぼくはお金支払ったっけ? ぼくの家で歌ってくれた時に?」
「え? ああ。それなら、いいの。もう、お代はあなたのご両親から貰っていたから」
「そうなんだね! 父さんと母さんにも感謝だよ!」
「また、歌いましょ。丁度、今の仕事でコラボ相手を探してたの」
「それは願ったり叶ったりだ!! やったーーー!! ラッキー!! これからもよろしくー!」
ぼくは感謝したんだね。
クリスマスの夜空に。
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