「これで魔剣の『鎧』は手に入れた。残るは『盾』のみじゃな!」
フェアリスが言う。
さっきまで散々笑っていたからか、テンションが高い。
「ハァ……」
わたしの気分は駄々下がりだった。
何年も前の、幼女の頃のわたしならいざ知らず、この歳でこんな幼女服を着るはめになるなんて思いもしなかった。
成長の乏しい体で良かったと思うべきか、普通に似合っているのが、まだマシだ。
いや、似合いたくもないのだが。
「……よしッ」
しかし、ずっと落ち込んでなんていられない。
グッと拳を握りしめる。
こんな森だ。
ここには人がいない。
ここが秘境『アビスバレー』で良かった。
言うなれば恥ずかしがるような相手がいないのだ。
目の前にいるのはお気楽天然女のエステル。
魔剣の精霊のフェアリス。
そして、いつもオドオドしているネル。
ここには、この3人しかいない。
もう十分に辱められた。
ここは気分を入れ替えて、気にしない方向で行こう。
そうしよう。
「盾も取りに行くのか?」
エステルがフェアリスに聞いた。
フェアリスは頷き、言い放つように口を開く。
「当然じゃ」
「……もう、どうにでもして」
早々と諦める。
ここまで最悪なことが連続したのだ。
もうそろそろ大丈夫だろう。
次は盾だという。
盾なら、鎧ほどおかしなことにはならないはずだ。
「行くなら早くした方がいい。魔物の大群が、このアビスバレーに向かっているという情報があるんだ」
「魔物の大群が!?」
思わず叫んでしまう。
だって、自分の故郷が魔物の大群に襲われたと聞いていたのだ。
事実は少し違ったようだが、魔物に王国が滅ぼされたのは間違いようのないことだ。
さすがのわたしでも気が気じゃない。
「おそらく魔物達の狙いは『魔剣』。だからこそ『聖槍』の使い手である私が、秘密裏にアビスバレーに来て『魔剣』を回収する予定だったのだ。魔物に強大な力をみすみすと渡すわけにもいかないからな。まぁ……色々と予定は大きく変わってしまったが」
エステルがわたしを見る。
正確にはわたしが持っているフライパンを見ている。
つまりは、それをかすめ取ってしまったのがわたしだ。
魔物もエステルも狙っていた魔剣。
わたしは、これ以上ない最悪なタイミングで来てしまったのだ。
「それに、『魔人』もいたという情報もあるぐらいだ。誤情報だったら良いのだが、しかし万が一ということもある。さっさと取るものを取って、このアビスバレーから退散した方が無難だ」
「……魔神、ですか? え?」
何だろうか。
魔神。
まじん。
エステルがそう言ったのに、どこかニュアンスが違うような気がした。
わたしが思ったそれとは違う、まじん。
「メルル、先ほどは人の魔物は特別に強いと教えたな。覚えているか?」
「え? ええ。最低でも侵蝕率は【40%】以上になるって……」
【30%】のヒュドラで国が滅ぶレベルの強さだ。
【40%】だとすると一体どれほどの強さなのか、わたしには想像すら出来ない。
「人の魔物の強力さ、厄介さ、そして凶悪さ。それらを考慮したうえで、普通の魔物とは一線を画す人の魔物……やつらのことを、我々は、絶対に倒すべき大敵として定め、こう呼ぶ」
エステルが聖槍を一度振るい、気合いを入れ直す。
丁寧に、間違いなく、その脅威をわたしに伝えるために。
「魔の人と書いて――『魔人』と」
「魔人……」
魔に染まった堕ちたる神、魔神。
それに連なる眷属である、魔人。
「そうだ。やつらがもし、このアビスバレーに来たとしたら、大変なことになる。もし仮に、グレア・ブレイディアのような魔人だったなら、我々の戦力では敵わない」
「…………」
滅んでしまった故郷のレクセス王国。
魔人が滅ぼした、わたしの故郷。
わたしの義母と義姉が、わたしの国を滅ぼした。
そんな恐るべき魔物が、このアビスバレーに来てしまったら。
ぶるり、と身が震えた。
「あ、あの……エステルさま」
「どうした? ネル」
それまで黙って聞いていたネルが、おずおずと話しかけた。
「……もう、侵入されています」
「……なに?」
「わ……私達一族の警戒網に、かかったので間違いありません」
ネルは震える声で、懸命に伝える。
「……魔人は、もう、このアビスバレーに存在しています」
◇ ◇ ◇
「おいおい、頼むぜ人間」
アビスバレーの樹海の中で、大変なことが起こっていた。
「ア……ぐッ……」
ネルと同じような衣装を着た男が、血だらけになっている。
そして、その彼の首を掴んで離さない男が、ひとりいた。
「そろそろ教えてくれてもいいんじゃねェの?」
貴族がパーティで着用しているような、背広の服を着ている男。
ざんばら髪で、少年ほどは若くはなく、それよりももう少し上、青年といった歳の程か。
人とほとんど変わりない姿。
しかし、その瞳の雰囲気は、明らかに異質だった。
「ナァ、『魔剣』はどこだ?」
その瞳は、輝くような血色の紅蓮。
そして、白眼の部分が、深く沈むような闇色の漆黒だった。
「……誰が、キサマなどに教えるか……『魔人』め」
「チッ、テメェも死ぬまで言わねェタイプなのかよ」
魔人と呼ばれた背広の青年が、不機嫌そうに言った。
「オレァよ、さっさとこんな森しか無ェクソ辺鄙なところからおさらばして、人間がいっぱいいる国とかで大暴れしてェんだよ」
「うグッ……ッッ」
魔人が男の首を強く握る。
ネルと同じ衣装を着た、一族の男は苦しげに息を吐く。
「テメェらが教えてくれたら、オレァすぐ帰れるんだよ。ナァ頼むよ、教えてくれよ『魔剣』の場所をよォ?」
怒りを抑えたような小声で、一族の男の耳元でささやく魔人。
極限の脅しである。
しかし、
「……そう言われて、誰かひとりでも……我ら一族の者が、魔剣の場所を喋ったか?」
男は怯まない。
口から血を流しながら、不敵な笑みで魔人に聞く。
「…………」
魔人が黙る。
それはつまり、誰ひとりとして彼らに情報を渡していないということ。
そして、
「我らは誇り高きアロアロ族の戦士だ。我らは魔剣の守手。たとえ一族の全員が死に絶えようとも、キサマに話すことなど何も無い」
今まで魔人が問い詰めた相手は全て、死んでしまっている。
それを知ってなお、血塗れの男は不屈だった。
「…………ッ」
次の瞬間、ドズッ、という鈍く重い音が響き渡った。
「ガッ……ぐ……ッ、ガハッ……ッ」
「ア、また殺っちまった」
魔人の手が、一族の男の胸を貫通していた。
「最後のひとりだったってのによォ……あーあ、なんでオレをイラつかせるようなことばっかり言うんだ? 何なんだお前ら、頭おかしいのかよ? 全員こんなヤツばっかりかよ。クソ、せっかくの情報源が……」
言いながら、一族の男を放り捨てる魔人。
血で服が汚れたからか、ポケットから出したハンカチで腕を拭き続けている。
「ァ……ぐゥ、長老、みんな……すまん、逃げ……て、くれ。ネル……鎧は、頼んだ……ぞ」
「……んん? 誰だそりゃ? ナァ、もしかして、そいつが魔剣を持ってんのか?」
小さく呟いていた男の言葉を、耳ざとく聞いていた魔人が近づく。
「おい聞いてんのか?」
しかし、既に男は絶命しており、何の返事も返ってこなかった。
「…………チッ、人間はすぐに死にやがる。まぁいいや、ちょっとは楽しめたぜ。弱いなりにテメェはお前らの中で一番強かったからな」
魔人はそう言いながら、死んだ男の頭を足でグリグリと踏みつけた。
「さぁて、次はどうしようかねェ」
凶悪極まる魔人は、アビスバレーの森の中へゆっくりと入っていった。
大量の血の匂いをさせながら。
どうしようもない暴力と共に。
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