「魔剣には、鎧と盾が存在するのじゃ」
魔剣が売れない、というか手放せないことを知って、失意の底にいたわたしにフェアリスはそう言った。
正直どうでもよかった。
一体どこまでこのフライパンと距離を離せるのか調べる方が大事だった。
それで分かったことがいくつか。
フライパンは、その姿が見えなくなると飛んでくる。
その際には、わたしとの距離も重要のようだ。
たとえば樹の後ろにフライパンを隠しても、飛んでくる様子はなかった。
自分ですぐ取れるような距離だと、フライパンは安心して落ち着いているようだ。
ちょっと寂しがり屋のペットみたいで可愛く思えてきた。
後は叩いた時のこと。
どうやら叩く時のこちらの気合い次第で威力が変わるらしい。
軽く小突くように叩くと、普通のフライパン程度の威力だった。
気合いを入れて振りかぶって叩くと、意味が分からないぐらいの威力が出た。
なので、叩く練習をしておかないといけない。
うまく威力を調整出来るようにしておく必要がある。
わたしが検証を頑張っている時に、魔剣の精霊は何をしていたのかというと横になってダラダラしていた。
ちょっとは魔剣のことを教えてくださいよと文句を言ったら、魔剣がフライパンに変わったせいで色々変わってしまっているから分からないと怒られた。
その犯人はわたしなので何も言えなかった。
「というわけで捜しに行くぞ、メルル。感覚的に、この森のずっと奥にある」
「え!? わたしもう帰りたいんですけど!?」
「は? バカなのかキサマ。魔剣は鎧と盾が合わさって初めて本当の力を出すのじゃぞ」
「要りませんよそんな力! これでも十分なんですって!」
思い切り振りかぶれば小さい隕石の衝突レベルの威力が出る。
これ以上の力なんて要らない、ぜんぜん要らない。
「バカめ、何が十分なものか。魔剣じゃぞ? 誰もが喉から手が出るほど欲しがるものじゃぞ。キサマを殺して奪いに来るぞ、人間も魔物も……そしてもちろん――『魔神』もな」
その対策のためにも、魔剣を完全復活しなければならない。
精霊フェアリスがそう言った、その時だった。
「――その話、聞き捨てならないな」
可憐と言うには凜々しすぎる少女の声。
現れたその少女は聖職者……という以外に言い方がない。
まんま修道服のようなヴェールをして、聖職者の服を着ている。
この樹海の中にあって、まったく泥色に染まっていないのが不思議だ。
異様なのは、彼女が装備している巨大な槍だ。
馬上で使うランスに似た、円錐状の武器を担いでいる。
「だ、誰ですか!?」
まったく気配を感じなかった。
その格好とは裏腹に、まるで野生の獣だ。
強烈な眼光に、思わず射すくめられる。
「私は『神殿騎士』エステル・スピアーズ。魔剣捜索の任を受け、このアビスバレーにやってきた者だ」
神殿騎士といえば、大国並の戦力を誇る大騎士団だ。
世のため人のために力を振るい、強き悪を挫き、弱きを救う。
正義の象徴と言っても過言ではない。
「え、えと……わたしは」
「いや、そちらは名乗らなくても結構」
「へ?」
「こそ泥め。魔剣を盗んだ者の名など聞いても意味が無い」
「えっ」
「今からお前は、この『聖槍』に貫かれて死ぬのだから」
「ちょッ!?」
突然の殺害宣告である。
いくらなんてもムチャクチャだ。
出会っていきなり殺されるなんて、魔物じゃあるまいし。
「むっ、『聖槍』か……ッ!」
フェアリスが相手の武器を見て言った。
「なんですか『聖槍』って!」
「魔剣ほどの力はないが、アレも魔神を倒すために作られた伝説の武器じゃ。気を抜くなよ、キサマには鎧が無い。盾も無い。アレが当たれば一発で死ぬるぞ」
「ま、待って待って! 突然色々言われましても頭がついてこれません!」
「ハアァァァッ!」
エステルと名乗った神殿騎士が、勢い良く突進してきた。
修道服のスカートがひるがえり、一瞬ふとももが露わになる。
聖職を名乗りながらこんな服装である。
まったくけしからん!
「ギャアアアッ!?」
と、そんなことを思っている場合じゃない。
エステルが流木のような勢いで迫ってくる。
その巨大なランスを目一杯に引いて、力を溜めている。
「ゆけッ! 返り討ちにしてやれッ!」
フェアリスがまた無茶を言う。
カウンターどころか避けることさえ出来ない速さ。
突然の攻撃だ。
体が固まってしまい、身動きが取れない。
戦闘の素人である自分にはどうすることも出来ない。
「ハッ!!」
突進しながら引いていた槍を、一気にこちらへと突き出してきた。
「ひぃッ!」
カァンッ、と甲高い乾いた音が響いた。
「へ……?」
「な……ッ!?」
エステルの聖槍が、フライパンに弾かれていた。
聖槍の先が、偶然にも丸みを帯びている部分に当たり、エステルの突進の軌道を変えたのだ。
「……パリィだと!?」
「ひぃぃ……ひぃぃ……」
腰が抜けて地面にへたり込む。
殺意がスゴい。
この女、本当に殺す気で攻撃してきた。
頭おかしい。
騎士ってみんなこうなの?
「バカな、私の突進は、大盾を持った騎士10人でも止められなかったのだぞ、それを……」
さらっととんでもない事を言うエステル。
それを弾くなんて、このフライパンはとんでもない武器だ。
「ふん……どうやら魔剣を随分と使いこなしているようだな。油断は出来ないということか」
「ちょ、ちょっと待って! わたし違います! 泥棒なんかじゃないです!」
「……なに?」
エステルの動きが止まった。
どうやら聞く耳を持ってくれたようだ。
とは言うものの、戦闘態勢は継続したままだ。
「どういうことだ?」
言葉を間違えてはいけない。
ここで下手なことを言うと、今度こそ本当に殺されてしまう。
「わ……わたし偶然魔剣を拾ったんですよ。魔剣になんて興味ないんです」
「なんだと? で、では私の勘違いということか?」
「そ、そうなんですよ! わたし、実は旅をしておりまして、でも道に迷ってここに来てしまって……それで魔物に追われている内に魔剣を拾ってしまったんです」
「……神に誓って、真実か?」
「もちろんです!」
少し違う部分はあるけど、だいたい合ってる。
わたしは無罪だ!
「そ、そうだったのか……すまない。私はてっきり……」
しめた!
このエステルという女、マヌケだ!
頭が悪いというか、素直すぎるというか。
この調子で口先だけで誤魔化していけば何とかなりそうだ。
「くっくっく……」
おっと。
思わず悪い笑みが出てしまった。
気をつけなければ。
「んん? キサマ、魔剣を売り払うつもりだとか言ってなかったか?」
「ちょっと黙っててもらえます!?」
この精霊ホント邪魔!
せっかく上手く騙くらかせる感じだったのに、今の一言で台無しだ。
「お前、まさか私を騙そうとしていたのか……?」
心を読まれたようで、ビクッとなる。
その反応を見て、エステルの表情が怒りに変わった。
「泥棒に次いで騙しまで……なんと罪深い」
「ちょ、ちょっと話し合いません? 色々と誤解があるようで……」
「黙れ、もはや容赦はしない。我が聖槍の錆となれ……ッ!」
ギラリと光るような目つきで、槍を構えるエステル。
対してわたしは、
「最初から容赦なんて無かったじゃないですか!」
回れ右!
即、走る!
こんな話の通じない人とは喋っているだけ無駄だ。
全力で逃げる。
逃げるのだけは得意だ。
あのドラゴンですら自分を捕まえられなかったのだから。
「待てッ! おのれ……ッ、逃げるなッ!!」
「待たぬか、たわけッ! 魔剣の使い手が、聖槍の使い手などに背を向けるでないわッ!」
2人掛かりで言ってくる。
ん? ちょっと待ってほしい。
エステルはいいけど、精霊は何言ってんの?
そもそも元はといえば全部この精霊のせいじゃないか。
「こら! 止まらんか!」
精霊が顔の近くまでやってきた。
「いやですよ! 殺されちゃいますって! なんですかあの槍! バカみたいに大きいじゃないですか! こっちはフライパンなんですよ!? 痛ッ、痛いです! 蹴らないで!」
「魔剣が弱いと思われるであろうが! さっさと闘わんか!」
「フェアリスちょっと黙っててくれません!? あなたのせいでこんな目に遭ってるんですよ!?」
「……何なんだお前ら、仲が悪いのか? 魔剣の精霊のように見えるが……」
真後ろから追ってくるエステルが言う。
それに対して、嬉しそうにフェアリスが答えた。
「ふふん! そのとおりじゃ! なんじゃキサマ、聖槍の使い手のクセになかなか見所のあるやつではないか」
「え? そ、そうか? ほ……褒めても何も出ないぞ。ふふ……お前こそ、いい服を着ているな」
「ほ、ほう……? エステルと言ったか? これの良さが分かるとは、やるのぅ」
「そこ! なんで仲良くなりかけてるんですか!」
バタバタバタと樹海を走る。
掴まったら殺されるのに、このふわふわ空間は一体なんだ。
何か仲間外れにされたみたいで悔しい。
そんな時だった。
「きゃああああああああああああああッ! た、助けてッ!」
森の奥から、少女の悲鳴が聞こえてきた。
「――――ッ!」
何も言わず、そっちの方向へと足を向ける。
「む? どうしたのじゃ。悲鳴の場所へ向かうのか?」
「……当然です!」
フェアリスからの問いに即答する。
「どういう風の吹き回しじゃ? 明らかに危険そうなのに、小心者のキサマが自ら向かうとは思わなかったぞ」
「え? 当たり前じゃないですか。誰かが助けを求めているなら、手を貸すのが人間ってものでしょう?」
当然の答えだ。
助けて、と悲鳴の主は言った。
行かない意味が分からない。
「…………ふむ」
後ろで、エステルが何やら頷いた。
彼女が何を考えているのか気にはなったが、今は無視して走る。
「いました!」
止まらず走り続けてようやく見えた。
森が開けた場所。
そこに、悲鳴の少女がいた。
「あれは……」
「ヒュドラ……ッ! この森の主じゃ!」
ヘビの魔物と言えばいいのか。
首が9つある巨大なヘビだ。
胴体はひとつなので、9つに別れた首回りが太く、異様な体型をしている。
「……アビスバレーで最も強い魔物か。手強いぞ……ッ」
エステルが槍を構えて言った。
どうやらもう、こちらには攻撃してくる様子はない。
魔物が優先ということか。
ありがたい。
「マズいですね……呑み込まれる寸前ですよ、あのコ」
ヒュドラの首のひとつ、その口に――少女が咥えられている。
下半身が既に口の中に入っており、上半身で必死にもがいていた。
「どうやらあの娘はアビスバレーの原住民のようだな。それで、どうする?」
「助けましょう!」
エステルの問いに答える。
助けない理由は無い。
「…………」
「なんですか?」
「いや、盗人のくせに、人助けに迷いが無いのだな……と思ってな」
「だから盗んでないんですってば!」
『コォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』
ヒュドラが咆吼のような声を上げた。
少女を呑み込もうとしている首以外の8つが咆えたため、とんでもない音量だ。
耳が痛い。
「た、たすけ……」
ヒュドラに咥えられている少女がこちらに気づいた。
「頑張ってください! 諦めないで!」
苦しくて、痛くて、誰かに助けてほしい時。
そんな時に、誰にも手を差し伸べられずに無視されるのは辛すぎる。
でも、もし、手を差し伸べてもらえたら?
自分は助けてもらえた。
あの執事長に。
命を懸けて、助けてくれたのだ。
あの人がいなかったら、今の自分はいない。
間違いなく死んでいた。
「絶対に助けてみせますからね!」
自由になってから、あの人のようになろうと誓った。
たとえ怖ろしい魔物が相手でも、それでも。
どうやって助けるかなんて二の次だ。
誰かを助けるためなら、もう二度と、絶対に逃げないと誓った。
他の何かから逃げるのは別にいい。
恥でも何でもない。
でも、誰かが助けを求めているのなら、手を差し伸べる。
それが、このメルル・クック第二の人生の――――絶対に曲げない誓いなのだ。
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