ザッザッザッ、と森の中をかき分けて進んでいく。
この辺りは、空が見えないほど木々の葉が重なり合い、密に木々が寄り添い合っているため、暗く重い雰囲気が立ちこめている。
「こ、こっちです。私の里は、もうすぐです」
「よし」
魔人がこのアビスバレーにいる。
ネルからその情報をもらったエステルは、すぐに魔剣の盾を取りに行こうと提案した。
元々そのつもりだったフェアリスは、その提案に乗り気になった。
わたしも、そのフェアリスに物理的にも精神的にもおしりを蹴られて、しぶしぶついて行っているというわけだ。
「ヒィ……ヒィ……」
「置いて行かれておるぞ!」
「わ、分かりましたって! おしりを蹴らないでもらえます!?」
早歩きの速度でも森の中を歩くのはキツい。
わたしはすぐに息が上がってしまい、その度にフェアリスにおしりを蹴られているというわけだ。
「アホめ。この状況でひとり置き去りになったら、確実に迷子ぞ? ここは森の深奥、樹海。右を見て左を見て、背後を見て、真っ直ぐ前を見て、どこから自分が来たか、ハッキリと分かるか?」
フェアリスに言われたとおり、キョロキョロと周囲を見渡してみる。
どこを見ても大きな樹ばかり。
どの樹がどうなのか、特に気にして進んでいたわけでもないので、見分けがつかない。
当然、自分が来た方向も、しっかりと定まらない。
太陽も見えず薄暗い森で、うっすらと霧も出ている。
それが余計に迷子……というより遭難の毛色を高めているのだ。
「ふ、ふたりに置いていかれたら、わたし死にますね?」
「ちなみに、わらわも道は分からんぞ。しっかりとついて行け」
「お……おしりを蹴ってくれて、ありがとうございます……」
まさかこんな言葉を口にする日が来ようとは。
わたしは足に一段と力を入れて、怠けていた歩くスピードを速めた。
それからしばらくして。
「ふむ……魔人来襲の緊急事態。それでネルが魔剣の鎧を持っていたわけか」
エステルが言った。
道中で、たどたどしい口調でネルが今のアビスバレーを取り巻く状況を説明してくれていた。
「……は、はい。でもその途中でヒュドラに見つかってしまって……」
「我々が助けたと」
「はい。そ、その節は本当にありがとうございました」
「構わない。人々を守るのは騎士の使命だからな」
「でもエステル、あなた修道女の服着てるじゃないですか」
騎士とか言いながら、そんな服を着ているとか冗談にもほどがある。
そもそも修道女って、刃物とか持っちゃダメなんじゃなかったっけ。
あの槍が刃物に含まれるのかどうかは分からないけど。
「何を言うかメルル。真の騎士たる者、服装程度で左右されるような信念は持ち合わせていな
い」
カッコいい、強そうな槍を持っているから説得力が違う。
いいなぁエステルは。
わたしなんてフライパンですよ。
おまけにエプロンドレスときたものだ。
なにこのおママゴト感。
「話をまとめると、アビスバレーに魔人が侵入してきたのを察したネルの一族は、それぞれ『鎧』と『盾』を魔人から見つからない場所にあらためて隠すようにしていたと」
フェアリスがこれまでの話の内容を精査しながらまとめていく。
ネルが頷く。
それを見て、フェアリスが更に追加する。
「なるほどの。それでネルが『鎧』を運んでいたのじゃな」
魔剣の鎧。
聞こえはいいが、今はフリフリのエプロンドレスだ。
「は、はい。さすがにアロアロ族の戦士でも、魔人には敵う術はないので……仕方なく、緊急措置ということで……私が里に持ち帰ろうとしていたのです」
魔物が跋扈する、この秘境アビスバレーで暮らしている強靱な戦士ですら、魔人には敵わない。
そんな怖ろしい敵が、この手に持つ魔剣を狙っているのだ。
背筋が凍る想いだ。
「いや、良い判断じゃった。そのおかげで、こやつが『鎧』を手に入れることが出来たのじゃからな」
「はは……今は見る影もないエプロンドレスですけどね」
「メルルよ、キサマまだ言っておるのか? いい加減諦めよ」
「……悪魔の使いにしか見えなくなりましたよ、あなたのこと……」
「くふふふ。わらわは魔剣の精霊じゃからな。多少の悪さは見過ごせ」
フェアリスは、わたしが魔剣をフライパンにしたのをずっと根に持っているのだ。
死を狙うような禍々しい想いではなく、イタズラレベルの根の持ち方だけど、これをずっと着なきゃいけないわたしの身にもなってほしい。
「『魔剣』本体は他の移動が済んだ後に、すぐにお迎えに上がる予定でした」
ネルが言う。
「でもでも、まさか500年もの間、継承されることのないままだった魔剣の使い手さまがこの土壇場で現れるとは思っていなかったので、ビックリしました」
「そうじゃろうな」
「そういえば……なぜ、メルルを継承者にしたのだ?」
エステルがフェアリスに聞く。
「お前は魔剣の精霊だ。ということは、魔剣の意思と言っても過言ではない。メルルに特別な何かを見出したということか?」
「そのとおりじゃ」
「ええ!?」
フェアリスの返答に、わたしは大いに驚いた。
「……なぜお前が一番驚くのだ、メルル」
「いやいや、だってわたし剣を扱ったことすら無かったんですよ? それなのに、わざわざわたしを選んだってことなんですよね?」
「うむ。あれ? わらわ、言わなかったか?」
「何も聞いていませんよ!?」
「そうか……くふふふ。キサマ、自分の特異性を知らぬのか」
「と、特異性ですか……?」
「興味深いな。どういう特異性なのだ?」
エステルが聞く。
わたしの横を飛ぶフェアリスが、得意気な顔をする。
「聞いて驚け。こやつはな、侵蝕率【0%】なのじゃよ」
「……?」
何を言っているのだ、この悪魔精霊は。
魔神の怨念。
それに侵蝕されて魔物になる。
それは人でも動物でも、植物ですら変わらない事実。
何度も聞いたその事実。
わたしは魔神に何の影響も受けていない。
それはわたし自身が一番知っている。
わたしは魔物じゃないのだから。
「……ゼロだと!?」
「ぜ、ゼロ……つまり、魔神の怨念に、何の影響も受けていないってことですか?」
「そのとおりじゃ!」
エステルもネルも、なんでこんなに驚いているのだろう。
フェアリスもなぜか得意気にしている。
「え? 魔神の怨念に影響を受けてないって当然じゃないですか?」
口に出して聞いてみる。
しかし、返ってきたのはお叱りの言葉だった。
「そんなわけがないだろう!? 魔神の怨念は世界中に広がっているのだぞ!? 侵蝕率【0%】……この世界のどこに魔神の侵蝕を受けていない生き物がいるというのだ!」
エステルの言葉に、ネルがこくこくと頷いた。
「……え? じゃ、じゃあエステルもネルも、魔神の侵蝕を受けているってことですか?」
「私の侵蝕率は【9%】だ」
「わ、私は、【15%】です」
「そ、そうなんですね……みなさん知っているものなんですね」
速攻で返答がきてビックリする。
そうなんだ……みんな自分の侵蝕率って知ってるものなんだ……。
「エステルより、ネルの方が侵蝕率は高いんですね? ちょっと意外です」
「魔物になってからは強さの指針になるが、魔物になる以前なら、侵蝕率はその人間の意思の強さを表すものでもあるのじゃ。逆に数値が少ないほど意思が強いということじゃ。ネルは普通じゃが、エステルは中々やるのぅ。一桁台の侵蝕率は滅多にいるものではない」
「そ、そうなんだ……」
「一般的に、侵蝕率【5%】まで下がると『聖人』として崇められ、歴史に名が残るレベルだ」
「へぇ……知りませんでした」
「ちなみにじゃが、魔剣の精霊であるわらわですらも、魔神の怨念に晒されておるからのぅ」
「他にも、物ですら魔神の侵蝕を受ける。この聖槍も侵蝕率【4%】だ。普段食べている食物も、川を流れる水や雨も、そして我々が吸う空気ですらも、多少なりとも侵蝕されている」
改めて聞くと、なんてとんでもないバケモノだ。
世界レベルで侵蝕する、魔神の怨念。
それのせいで魔物が出現し、世界中で暴れ回っている。
気の遠くなるほどの大昔に実在し、今もその影響力が計り知れない魔の神。
「そして、そんな魔神の怨念の影響を一切受けていないのがメルル――キサマじゃ」
フェアリスが断言する。
「ほんの欠片も、僅かにすらも、キサマは魔神の影響を受けない『異常な特異性』を持っているのじゃ」
そうフェアリスに言われるが、実感なんてものは無い。
特異性と言われても、魔神の影響を受けないだけで、実質、わたしには何の取り柄もないのだから当然と言えば当然か。
強いて言うなら逃げ足の速さだけだろうか。
自分で言っていて虚しくなってきた。
「確かなのか……?」
エステルがフェアリスに聞く。
「信じられぬなら、調べてみたらよかろう」
「……今は『水晶』を持っていない」
「そういえば、キサマら人間は測定装置の水晶がなければ侵蝕率は測れぬのじゃったか。不便じゃのう」
「はわぁ……」
気がつくと、ネルがキラキラしたような眼でわたしを見ていた。
侵蝕率【0%】というのがそれほどにスゴいというものなのだろうか。
散々説明してもらったけど、やはり実感は無い。
「いや……そうか、確かにそれなら納得出来るかもしれない」
エステルがひとり呟く。
「あのクック城の怨念の濃さ。異常なほどに瘴気が濃かった地下牢……メルルはそこで数年も生活していて魔物になっていない。あの瘴気の濃さは、普通の人間が何の備えもなく入ったら1日経たずして魔物になるレベルの『魔境』だった」
ぶつぶつと、独り言にしては大きすぎる声量で、エステルが続けた。
「魔神の怨念の一切を弾き飛ばす特異性……侵蝕率【0%】という偉業。なるほど……魔剣の主としてメルル以上に相応しい者は他にいない」
「くふふふ、わらわがメルルを選んだ理由が分かったか?」
「ああ……彼女以外にはあり得ない。魔剣は、メルル・クックが持つべきだ」
いつの間にか、エステルのお墨付きまでもらってしまった。
「…………ええっと」
当の本人のわたしだけが、その凄さをまったく分からなかった。
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