「休む間もなく、また移動……」
愚痴を言う。
言わざるを得ない。
わたしは今、川の急流の上にある橋を歩いている。
橋は簡素なもので、木材をつるで結わえられている古いタイプのものだ。
歩く度にギィ……という音が鳴り、ゆらゆらと揺れる。
普通に怖い。
川に落ちたら一巻の終わりだ。
わたしは泳げないのです。
「魔剣の『盾』を手に入れないといけないからな。急がねばならん」
エステルがわたしの手を取って前を歩く。
川が怖いわたしに配慮してくれたのだが、これじゃまるで幼児のお散歩だ。
「うぅ……なんでこんな目に……」
「やかましい。いいからサッサと歩かんか!」
「あわわわッ! ちょ、ちょっと押さないでくださいよ!」
ぐらぐら揺れる橋の上で、フェアリスに背中をぐいぐい押される。
「ほ、ホントにこっちで合ってるんですか?」
先頭を歩くネルに聞く。
彼女は長老に言われて、魔剣の『盾』を保管している場所へ案内してくれている。
里にはネルの他に、動ける者が残っていなかった。
働き盛りの者達はみな、魔人や魔物の侵入を阻止すべく動いているとのことだった。
里に老人しかいないのはそういう理由だった。
そういうわけで、ネルがわたし達の案内役を引き受けることとなったのだ。
「だ……大丈夫ですメルルさま。この先には滝があるのですが、そこが目的地です」
「うぅ……滝かぁ」
滝壺に落ちる想像をしてしまった。
足が震える。
「で……でも、おかしいですね。わたし達が『鎧』を取りに行くのと同時に、『盾』を取りに行った里の者がいるのですが……」
「里には、帰って来ていなかったな」
エステルが、ネルの懸念を言い当てる。
「はい。どんなに遅くなっていたとしても、そろそろ引き返す彼らとすれ違ってもおかしくないのですが……」
ネルが道の先を見据える。
かなり先の方が見えるが、そこには誰の姿も見られない。
「……何事もなければいいのですが」
ネルは、わたし達と出会わなければヒュドラに『鎧』ごと呑まれていた。
魔物の動きが普段と違ったらしい。
おそらくは魔人のせいだという。
強い魔人がやってきたせいで、元々アビスバレーにいた魔物達の行動が変化してしまった可能性が高い。
ヒュドラは自分の縄張りの範囲でしか生活しない魔物だったらしい。
しかし、おかしなことに、その縄張りだったところから離れた場所――つまり、魔剣の『鎧』を祀っていたところに現れたのだという。
アビスバレー最強の魔物だったヒュドラ。
そのヒュドラがまるで逃げるかのように、縄張りから移動していた。
ネルからその話を聞いた長老は、間違いなく魔人のせいだと断言していた。
そんな事情があって、わたし達が直接『盾』を取りに行くことになったのだ。
◇ ◇ ◇
それからしばらく歩き続けて、ようやく滝に出た。
瀑布の音は壮大で、自然の大きさを身に染みて分からせられる。
飛沫はまるで霧のように立ちこめて、冷たい空気が歩いた体に心地良い。
滝の手前には、大きな遺跡があった。
石の遺跡だ。
周囲には石柱が群になって立っている。
こんな大きな石を、どうやってここまで運んできたのか分からない。
石には草木が覆い茂って苔がついているが、建設当時はさぞや立派なものだったのだろう。
アロアロ族が誇る古代遺跡、そういう感じの遺跡だったのだろう。
しかし。
今はもう――メチャクチャに壊されている。
「……そん、な……」
ネルが立ち尽くす。
今にもヒザを屈してしまいそうな雰囲気だ。
「この尋常ではない壊れ方……最近だな」
飛び散った石の欠片を握りしめて、エステルが壊れた遺跡を睨む。
「……メルル、気をつけよ」
「……はいッ」
いつも悪そうな笑みを浮かべているフェアリスが真剣な表情でわたしに注意を促す。
わたしも素直に聞いて、周囲に気を配る。
どこかに魔物が潜んでいるかもしれない。
滝の上か、あるいは滝壺か。
遺跡の石が積み重なった場所か、周囲の森の中か。
滝の音で耳から来る情報は限られる。
なので視界を最大限に活用して、辺りの様子を探っていく。
「みんなッ、どこ!?」
そうしているうちに、ネルが遺跡の方へ走り出す。
ただ事じゃないことが起こった遺跡への恐怖よりも、一族の仲間の心配の方が勝ったのだろう。
「ま、待て! もっと慎重に……」
ネルに続くように、エステルも走る。
わたしもひとりじゃ怖いので、同じように遺跡に近づく。
すると、
「う……」
血の匂い。
まだ新しい。
むせかえるほどの、嫌な匂いだ。
「ああ……そんな……」
今度こそ、ネルがその場にひざまずく。
遺跡には、積み重なった人の死体。
5人の死体がそこにあった。
男性女性、それぞれいる。
服装は、ネルと同じような感じだ。
ネルの様子からも分かるとおり、『盾』を取りに行ったアロアロ族の人だろう。
「仲間か?」
エステルが確認の意味を込めて、ネルに聞く。
「…………はい」
里の仲間だ。
死んでいる彼ら彼女らとは、色々と思い出もあるだろう。
ネルはショックを受けた様子で、うな垂れていた。
「…………」
わたしはネルの背中をそっと支えてあげる。
「……メ、メルルさま……」
「…………」
傷心しているネルにかける言葉は、ひとつも無い。
慰めの言葉も、励ましの言葉も、簡単に言えるようなことじゃないことだけは理解している。
ただ傍にいてあげる。
「すみません……」
「……ううん」
フルフル、と首を振る。
謝る必要なんて無い。
肩に手を添えてあげるぐらいしか、自分には何も出来ない。
それがとても悔しい。
わたしの横を飛ぶフェアリスも、この状況にはさすがに絶句しているようだ。
「エステル、どうですか?」
遺跡の中心まで進んだエステルへ声をかける。
その間も、周囲への警戒は怠らない。
「……ここを襲った魔物は、どうやらもういないようだ」
エステルのその言葉にホッとして、わたしは少し警戒を解く。
「……た、『盾』も、奪われてしまっています……」
ネルが、遺跡の一部分を見て言った。
おそらくはそこが、この遺跡最大の重要箇所なのだろう。
豪奢な意匠が施された石盤。
その中央には、大きな盾型のくぼみがハッキリと分かる。
ここに、魔剣の盾が祀られていたのだろう。
仲間の命を奪っただけでなく、魔剣の盾も奪っていった魔物がいる。
「く……ぅ……」
ネルが唇を噛みしめる。
涙を堪えているようだ。
「許せない……」
わたしは思わず、心に思ったことを口に出してしまっていた。
フライパンを握る手に力が入る。
ネルとは今日会ったばかりだけど、彼女は良いコで、年下の少女だ。
わたしが守ってあげなくては。
そういう気にさせてくれるコだ。
「とりあえず、遺体を安置させる。このままでは可哀想だ」
さすがに遺体が5人だから、里まで運ぶとなると難しい。
埋葬はそれぞれの土地の習慣に則るのが普通だ。
いかにエステルが修道女といえど、簡単に手を出していいわけじゃない。
なので、とりあえず遺体がこれ以上傷まないよう、安全な場所に置いておく必要がある。
「この石盤を使わせてもらうぞ。5人を寝かせるのにちょうどいいのだが、構わないか?」
盾が祀られていただろう石盤を指して、エステルが言った。
「は……はい。大丈夫です」
ふらふらとネルが立ち上がり、しかし石に躓く。
そんなネルを支えながら、わたしもエステルに言う。
「わたしも、手伝います」
「助かる」
言葉も少なく、しかし意思は伝わる。
わたしとネル、そしてエステルの3人は、黙々と遺体を運んでいった。
「……この身が恨めしいな。知人達の遺体を運ぶ手伝いすら出来ぬとは……」
フェアリスが小さく、呟いた。
わたしが魔剣の使い手だからなのか、フェアリスの憤りや悲しみがフライパン越しに伝わってくる気がした。
「大丈夫です。わたしが、フェアリスの分までやりますから」
「……メルル」
「大丈夫です。想いはきっと、死者に伝わるはずですから」
「すまぬ……」
フェアリスはそう言って、わたしの傍で、遺体の顔を悲しそうに眺めていた。
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