「こんのクソ馬鹿者が――――ッ!!」
「いだだだっだッ! 痛い痛い! 髪ひっぱらないでくださいよぉ!」
「やかましいわ! キサマ、よくもッ! よくもぉッ!」
「ひぎゃあああああああああッ!?」
魔剣の精霊、否。
フライパンの精霊が怒っていた。
それはもう烈火の如く。
「うっ、うっ……そんなに怒らなくてもいいじゃないですかぁ……」
「ハァ!? 口に気をつけろよ薄ら馬鹿が。キサマのせいで、わらわの『魔剣』が……こんな情けない姿に……」
フライパンをその小さな指で弾くフェアリス。
キンッ、という虚しい音が鳴り響く。
フェアリスのその背中はどこか物悲しい。
とんでもなく悪いことをしたような気がしてくる。
「……む?」
フェアリスが空を見上げた。
「気をつけろ、メルル」
「え?」
次の瞬間、何か巨大なモノが、降ってきた。
ドズン……ッ、という轟音。
木々が折れていく音。
立ち上る土煙。
その中に、もう二度と見たくないシルエットがあった。
「さっきのトカゲに見つかったぞ」
「も、もっと早く言ってくださいよぉ!!」
ドラゴンだ。
ガケの上からわたしを見つけて、丸呑みにしようと追ってきたのだ。
すぐに逃げなくては!
「まぁ待て」
「ど、どいてください! 顔の前を飛ばないで……じゃ、邪魔ですって!」
「落ち着け」
「これが落ち着いていられますか!」
「ちょうどよい、そのフライパ……『魔剣』の試し斬りをしてみよ」
「今フライパンって言いかけませんでした!?」
「言ってない」
「いいえ、言いましたぁ!」
「やかましい!」
「いだっ!?」
パァンと頬を叩かれる。
けっこう痛い。
手が小さい分、威力が一極化してハチに刺されたみたい。
この精霊、理不尽です!
フライパンにしちゃった罪悪感なんてどっかに行ってしまいました。
「見たところ、侵食率【10%】程度の雑魚じゃ、たいした魔物ではない」
「し、侵食率……ってなんですか?」
「……む? まさか、侵食率を知らんのか?」
「知りませんよ、なんですかそれ」
「魔神の怨念に侵食された指数じゃ。まさか……『魔剣』が封印されている間、現代では、そんな情報も失われてしまったのか? それともキサマがアホなだけか?」
「わたしはアホじゃありませんーっ!」
「ふむ……」
「……って、魔神!? 魔神って言いました!?」
聞き捨てならない言葉だった。
遙か昔、この世を恐怖と絶望の底に陥れ、人類を絶滅の寸前にまで追いやった伝説の魔神。
魔神は倒されたが、その怨念は今もこの世界に蔓延っている、というのを聞いたことがある。
『ガルァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』
「ギャアアアアアアッ!? ドラゴンいたんでしたーッ!」
咆えて突進してきたドラゴン。
全力で横に飛ぶ。
さっきまで大木をへし折ってきた突進だ。
こんなのに当たったらケガじゃ済まない。
「ほぅ、うまく避けたな! なかなかの運動能力じゃ」
「避けなかったら死んでましたって!」
「バカめ、その魔剣で対応すればよいじゃろう。情けない姿になったが、力は健在じゃ。こんなトカゲぐらいわけはない」
無茶を言う。
「こんなフライパンでどうしろって言うんですか!? 料理しか出来ませんよ!」
「ぶっ叩けば良いじゃろ? そういう形になったのじゃ、斬ることは出来ぬじゃろうが、叩き潰すことは出来よう」
無茶を仰る。
「こやつからずっと逃げていたじゃろ? こやつはノロい。図体だけデカいトカゲじゃ。攻撃手段さえあれば殺れるじゃろ。そして、キサマはその攻撃手段を手に入れた」
「それが、フライパン……?」
「ま~け~んッ! 魔剣じゃ!」
「で、でもこれ剣じゃない……」
「それはキサマのせいじゃろが! いいから行けッ!」
「あいたッ!?」
頬にドロップキックされた。
なんともアクロバティックな精霊だ。
理不尽な上に無茶ばっかり。
『グルルルルルル……』
「ヒェ……!?」
フェアリスに蹴られて、よろよろ、と前に出てしまったのが運の尽き。
そこはドラゴンと目と鼻の先。
『ガァアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』
大きく口を開けたドラゴン。
このまま突進されたらそのまま一気に胃の中だ。
「ううぅ……なんでいつもこんな目に……」
なんて不幸。
なんて不憫。
味方だと思っていたフェアリスに突き出されて、そこには死の入口が大きく口を開いている。
フライパンで叩き潰せとか言われたけど、そんなの出来るわけがない。
フライパンですよ?
調理器具ですよ?
意味が分からない。
バカじゃないの?
「さぁ、力を見せてみよ! やらぬと死ぬぞッ!」
後ろから無責任な応援。
前からは凶悪な牙と口。
もうワケが分からなくなって、目がぐるぐるしてきた。
「もう、どうにでもなれぇえええッ!」
ヤケクソだった。
目をギュッと閉じた。
手に持ったフライパンを振りかぶって、そのまま振り下ろす。
すると、
『ガッ……ォオオオオオオオオオオオオオオオッ!?』
悲鳴のようなドラゴンの声。
そして、おそろしく重厚な打撃音。
これまで聞いたことのないような、とんでもない音だった。
いや、近いのは聞いたことがある。
それは雷だ。
ゴロゴロといった遠雷の音じゃない。
落雷が近くに落ちた時のような張り裂けるような爆音と、人の身では決して耐えられないだろう衝撃波。
それを何倍にも増したような、これまで体験した中でも最もおそろしいもの。
フライパンで叩いたとは思えない、何か常識とか物理法則だとかを逸脱したような音だった。
「くふふふふッ! やるではないか、メルルよ!」
しばらく目をつむっていると、フェアリスの声が聞こえた。
「……え?」
自分の体を確認する。
腕はある。
足もある。
体も、頭も、全部ちゃんとある。
手には例のあのフライパン。
「わたし、生きてる……?」
てっきりドラゴンに丸呑みされたとばかり思っていたが、どうやら違うようだ。
ゆっくりまぶたを開いて、前を見る。
「……え?」
森が、なかった。
「へ……?」
ドラゴンの姿も、どこにもない。
大きく地面がヘコみ、クレーターのようになっている。
その衝撃のせいなのか、周辺の木々が皆、おそらくドラゴンも、消し飛んでいた。
まるで隕石が降ってきたかのような惨状だった。
「ま、まさか……これ、わたしが?」
「キサマ以外に誰がいる?」
「…………えぇ……?」
フライパンを叩きつけただけだ。
ただ、それだけで。
「……地形が、変わってるんですけどォ!?」
すさまじい大破壊が実現してしまった。
「見たか、これが――『神殺しの魔剣』の力じゃッ!」
フェアリスは当たり前のように、そう言った。
わたしは、とんでもないものを手に入れてしまったのかもしれない。
神殺しの魔剣。
その名のとおり、魔神を殺した伝説の剣。
今さらながら、それをフライパンの姿にしてしまったことに、わたしはとんでもない罪悪感を覚えるのだった。
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