行きとは違い、里への帰り道は静かなものだった。
木とつるで出来た橋を渡る時も、怖さなんて微塵も感じなかった。
それよりも、このどうしようもない感情の行き先を探していた。
「ネル、大丈夫?」
「は、はい……すみません」
わたしとは正反対で、ネルは終始フラフラしていた。
覚束ない足取りだった。
「…………」
エステルはずっと押し黙っていた。
帰り道、エステルの口から漏れた「また……間に合わなかった」という言葉を、わたしは聞き逃さなかった。
「……私の」
里に近くなった頃。
立ち止まったネルが、ポツリポツリと語った。
「……父だったんです。あそこにいたひとりは……」
「…………ッ」
今度こそ、わたしは絶句した。
本当に何も言えなかった。
「幼い頃に母が死んで、里のみんなと一緒に……父が私を育ててくれました」
「そう……だったんだ」
「涙は……出ないものなんですね。それとも……私が薄情なだけなのでしょうか」
自嘲に近い吐露だった。
わたしは即座にネルの肩を抱いた。
「そんなことないですよ。うまく言えないけど……そういうのは人それぞれだから」
そんな言葉が精一杯だった。
ネルをギュッと抱きしめる。
わたしは口下手だから、何を言っても伝わらないと思ったから。
優しく、でも力強く、彼女を抱擁した。
「メルルさまは……お優しいのですね」
ネルはそう言って、わたしの胸元に頭を委ねた。
「魔剣の継承者が、あなたで本当に……よかったです」
ネルはまるで甘えるかのように、その頭をわたしの胸元にすり寄せた。
◇ ◇ ◇
里を見た瞬間、血液が沸騰するような感覚がした。
「――――ッ!!」
ダッと走った。
エステルも、ネルも同じように走った。
「くそぅッ!!」
はしたない言葉だが、そう言わざるを得なかった。
だって。
「魔物め……ッ!!」
里が真っ赤に燃えていた。
里のテントには火がついて、轟々と赤い炎が立ち上り、真っ黒な煙が空に上がっている。
周囲の木々にも燃え広がっていて、もはや延焼を止めることは出来ない。
羊や牛、そして犬が殺されている。
つい数時間前まで、元気に草を食んでいたり、わたし達に向かって吠えていたのに。
「みんな……みんなッ、ああ……そんな……ッ」
ネルが悲痛な叫び声を上げている。
もはや彼女の精神状態も限界だ。
「く……ッ!」
そこには、先ほどの遺跡のように、幾人もの人間が倒れ伏していた。
つい数時間前まで、元気だった老人達。
その全員が、血を流して倒れている。
「くそ……ッ!!」
エステルが倒れている老人達の様子を確かめている。
彼女の反応から、もうみんなの息がないことが分かった。
しかし、ひとりだけ。
「長老ッ!!」
長老が、ピクリと動いた。
「おお……ネルか、よかった……無事じゃったか……」
つい数時間前のセリフとまったく同じだったが、その頃と違うのは長老がもう瀕死の状態だということだ。
「い、一体どうして……何があったのですか……ッ」
ネルが長老をゆっくり起こす。
長老は口から血を流しながら、息も絶え絶えで話していく。
「ま、魔人……じゃ」
「魔人ッ!? 魔人が、ここに!?」
長老が、ゆっくりと頷いた。
「ネル……これを」
長老が、服の中に隠し持っていた何かを出した。
「こ、これは……」
それは丸めた鞭だった。
どこか不思議な感覚がする。
「魔剣を守る役目を持った我ら一族が、代々扱っていた伝説の武器……『魔神』と闘った我らの祖先が使っていた鞭……」
「……『神鞭』ッ」
「ふふ……恥ずかしながら、もはやわしでは扱い切れなんだ……だから、ネル……これをお主に託す」
「だ、ダメです。臆病者の私なんかが、これを持つなんて……」
「戦士達は皆、魔人に殺されていたようじゃ。我ら一族は……もはやお主しかおらぬ。ネルよ……そう自分を卑下するでない。お主は、神鞭を扱う才能がある。それも……一族の中でも最も、な……」
「そ、そんなことはないです……ッ! 私に神鞭を使うなんて……無理です……ッ、だって私は……闘いが……」
「怖いか……?」
長老の言葉に、ネルが頷く。
「……誰しも、闘いは怖い。歴代の使い手も、わしも、そうじゃった……」
「長老……」
長老が、ネルに鞭を握らせた。
震える手は、もはや最後の力を振り絞ったかのようで。
「メルルさま……すみませぬ。何のお力にもなれず……」
「長老さん……」
「恥ずかしながら……年寄りの、いいえ、我が一族の最後の願いです。どうか、どうか……ネルをよろしくお願いいたします。このコはきっと……あなたさまの役に立てます。ですから、それまで……どうかネルを……」
途中まで喋って、咳と共に喀血する長老。
「任せてください。ネルは、必ず……ッ」
わたしが長老の期待に添えるよう、言葉を紡いでいくその途中で。
「…………」
ニコリ、と。
しわしわの顔を更にくしゃくしゃにした笑顔で。
「長老……?」
彼はその命を終えた。
「長……老……あ、ああ……ッ」
炎の熱気で、一陣の風が吹き荒れた。
火の粉が舞い踊る。
渦を巻く風と共に、炎の赤が揺れに揺れる。
「ぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!」
ネルが細い声で、叫ぶ。
その掠れた悲鳴のような叫びは、彼女の悲痛な心境を、十分に語るに足るものだった。
「…………」
ネルの慟哭を耳にしながら、この里の人々に想いを馳せる。
さっき会ったばかりの人達だ。
彼らとの思い出があるわけじゃないし、そこまで関わり合いがあったわけでもない。
でも。
それでも、胸が苦しくなった。
エステルもわたしと同じく、下を向いて表情を隠していた。
きっと、同じような思いなのだろう。
ネルに至っては、どれほどの悲しみか。
「おっ、おっ! イキテル、ニンゲン、みっけ!」
ネルの悲しみを台無しにするような、そんな野太く低い声が、里の奥から聞こえた。
ズシンズシンと音が鳴る。
その声の主が、歩いてきた。
重苦しそうな体躯。
脂肪がたくさんついたような、太い体だ。
その肌は緑色で、ヌメヌメした表面をしている。
3mほどはあるのだろうか。
巨大なカエルが、二足歩行でやってきた。
「…………魔物って、喋るんですね」
わたしは驚きを通り越して、冷静にフェアリスに聞く。
彼女はこくん、と頷く。
「そういう個体も存在するのじゃ」
「私がやろう」
エステルが聖槍を構えた。
しかし、わたしはそれを手で制する。
「すみません、今回はわたしに譲ってもらっていいですか?」
「…………ふむ?」
「ちょっと聞きたいことと、やりたいことが、ありますので」
出来るだけ冷静に、表面だけ取り繕う。
エステルの返事を聞く前に、わたしは魔物の前に出た。
「……あなた、ここの人達を殺した魔人の仲間ですか?」
「おっ、おっ! そう、そう! おで、ガイゼルさまの、ナカマ!」
どうやら聞く耳もあるようだ。
言葉も通じた。
「ガイゼル……それが魔人の名前ですか」
「おっ、おっ!」
カエルの魔物は、ニタリと笑って答えた。
不愉快な笑みだった。
「それで、魔人のガイゼルさんは、どこに?」
「おっ? そこの、ジジイ言った。魔剣、あの山ふもと、ある」
長老を指差して魔物が言った。
指と言っても水かきのような手だったが。
「……なるほど」
魔剣はわたしが持っている。
山、というのは木々のずっと向こうにチラリと見えている高い山のことだろう。
つまり、長老は魔人を騙したのだ。
先ほどのネルとの会話が出来たのは、長老の機転のおかげだ。
わたし達が帰ってきて、魔人といきなり出くわす危険な可能性を、その命で以て摘んでくれたのだ。
感謝しなくてはならない。
「もっ、もっ! もういいか? おで、おまえら、コロしたい」
気色の悪い笑みを浮かべ、長い舌をベロリとなめ回す魔物。
ボトリ、と涎のような粘着質な液体が、地面へと落ちた。
「あ! あとひとつだけ、いいですか?」
「なっ、なっ、なんだ?」
わたしはフライパンを構えて、言った。
「もし、あなたが生きていて、ガイゼルさんに会ったら伝えてください」
「えっ、えっ?」
「魔剣の使い手がすぐに行くから、首を洗って待っていろ――――って」
◇ ◇ ◇
アビスバレーの樹海内にある一番高い山。
その麓で、魔人ガイゼルが憤っていた。
「何の気配もねェじゃねェかッ!!」
魔人ガイゼルが地団駄をすると、ズシンッという重い音がして、大地が大きくヒビ割れた。
近くにいた何十という魔物達が、彼の機嫌が悪いのを恐れていた。
「あのジジイ……騙しやがったな?」
ビキビキ、とこめかみに血管を浮かばせて、怒りの表情を見せる魔人ガイゼル。
その時だった。
「ア?」
凄まじい風切り音。
何か巨大な砲弾のようなものが飛んで来る音だ。
すぐ後に、本当に巨大なものがガイゼルのすぐ傍を通り過ぎた。
その巨大なものが地面にぶつかった瞬間、爆撃のような音が響き渡った。
莫大な土煙が周囲を覆い尽くす。
「…………」
土煙が消えた頃、そこにあったものを見て驚く。
「テメェ……どうした?」
飛んで来たのは、カエルの魔物だった。
飛行能力は無かったはずのカエルの魔物が飛んで来た事実に、ガイゼルは不穏な何かを感じた。
「ガ……アガ……」
「おい、オレが聞いてんだ。さっさと答えろ」
魔人ガイゼルが、カエルの魔物を踏みつける。
「アグ……ゥ、つ、ツヨイ……バケモノ……」
「アア?」
「マ……魔剣の……ツカイテ、ガイゼルさま……狙テル」
「魔剣の使い手だと!?」
「……アギャッ!?」
カエルの魔物が、ガイゼルに頭を踏み潰された。
突然のことで、周囲にいる魔物達も驚きを隠せない。
「アッ、殺しちまった。つい力が入っちまった」
ボリボリと頭をかいて、魔人ガイゼルはひとり考える。
「コイツはあの村に置いていったやつだな……ってことは、オレに挑発カマしてきやがった魔剣の使い手ってやつは、そこにいるってことか……」
結論が出て、怯える魔物達に向き直る。
「テメェ等、あの村に行って魔剣の使い手を連れて来いッ! オレァここで待つ。死体でも生きていても構わねェ。とにかくそいつをオレの前に連れて来いッ!!」
怒号のような命令に、魔物達がビクリと震えた。
そして、
「行けッ!!!」
「ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
魔人ガイゼルの号令によって、
何十もの魔物達が地響きを鳴らしながら、メルル達がいる村の方へ走っていった。
◇ ◇ ◇
「まるで雪崩のような音だな」
エステルが言った。
「うまく伝わってくれたようで、よかったです」
わたしは思惑通りにいったことを確信した。
この怒濤のような吼え声と、地鳴りのような地響きは、魔物達が怒ってこちらへ向かってきている証拠だ。
「くふふふ。ようやく魔剣の継承者としての自覚が出てきたようじゃな」
フェアリスが本当に嬉しそうに笑っていた。
「魔人を挑発して、どうするつもりだ?」
「エステルもきっと同じ気持ちでしょ?」
「なるほど、理解した」
エステルが納得したように頷いた。
ネルだけは、呆然と立って不思議そうな顔をしていた。
「え、えっと……」
どうしたらいいか分からないといった表情のネル。
だから、わたしは彼女に優しい声で、言う。
「ネル」
わたしは背伸びをして、
ネルの頭にポンと手を乗せて、そのまま撫でた。
「は、はい……」
「今、魔人に宣戦布告をしました」
もう片方の手で、フライパンを握りしめる。
想いが力になる、この魔剣。
異常なほど、力が湧いてくる。
「なので、ここで待っていてください」
「え、え……?」
「あなたの一族の仇は、わたし達がとります」
「メルルさま……」
ネルの一族を殺した相手。
その魔人に報復を。
絶対に許せない。
「さて、行こうか。メルル」
「相手が向かってきていますが、どうします? エステル」
「当然、お前も同じ気持ちなのだろう?」
エステルの言葉に、わたしは頷く。
「――では、正面突破で」
「うむ、承知した」
弔い合戦のはじまりだ。
魔人に、人間の底力を見せてやろうじゃないか。
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