誰もいないリビング。
テレビをつける訳でも無く、ゆっくりとソファーへ腰を落ち着かせる俺は、左腕の端末から表示させたディスプレイを漠然と眺め続ける。
垂れ流される動画配信サイトの映像は、俺が操作せずともオススメを頼りに次の動画へ進んでいく。
楽しさを求めて見ている訳じゃない。
他にやることが無いから、見ている訳じゃない。
流れる映像は俺の視界に入っているだけで、移り変わる背景程度にしか思えなかった。
「ハイリ、パラドックス。それにアイツが言ってた、カラーズって何だよ」
堂々巡りを繰り返す俺の頭の中は、どこか懐かしさを覚える少女のことで一杯になっていた。
ハイリと名乗った少女の正体、パラドックスメダルの特異性と可能性。
提示されたタイムパラドックスを使う条件、彼女を殺す事。
そしてハイリがミア先輩から出てきたメダルを見た時に触れた、カラーズ。
一度に押し寄せてくる情報量の多さに、体よりも先に気力が尽きてしまった。
「泉と森川がアルカにやられて。パラドックスのホルダーを見つけられたら、頼み込んでハイお仕舞い。そう考えてたの、楽観的過ぎたって事かよ」
世の中、そう上手く事が進むことは無い。
言葉の上では分かっていても、実際にそうなってしまうと応えてしまう。
「人なんて、殺せる訳ねぇだろ」
友達二人を傷つけたアルカにさえ、心のどこかでは死んで欲しいと思いはしたが、殺したいとは思わなかった。
そんな俺が、見ず知らずの少女を手にかける?
無理に決まってるだろ。
「先輩ならどうすんだろ」
それを聞いてどうなるのか。
腹の内が決まるとは到底思えない疑問が浮かび、馬鹿らしいと頭を振って自分の考えを一蹴する。
「……そうだよな。迷ってる時点でどうかしてるよ、俺」
なんでパラドックスのメダルに固執する必要があるんだろうか。
泉と森川の傷を治すだけなら、他のメダルでもいい筈だ。
なにも人殺しと二人を天秤にかける必要は無い。
ハイリの説得は諦めて、管理局でも何でもいいから二人を治せるメダルを探そう。
心の奥に引っ掛かりを覚えながらも考えをまとめようとする俺は、次の瞬間に家の外で何かが落ちる音を耳にする
「リツ……? 何でメダルを使ってんだ。それに背中にいるのは、エリーザさんか……?」
視界に映らない速度で家の前に現れたリツは、メダルを使った状態――金髪碧眼のメルヘンチックな姿になっていると思いきや、限界が来たように元の姿へと戻っていく。
背中に担いでいる少女に見覚えが無かったが、天使の印象がある姿からエリーザさんだと推測する。
「おい、何でメダルを使ってるんだ。また別のホルダーと戦ったとは言わないよな」
「お兄ちゃん! 良いから早くエリーザさんを中に運んで!」
何事かとリビングの窓を開け、ぐったりとしているエリーザさんと疲労困憊のリツを見た俺は、募っていく不安に声が震える。
剣幕に叫ぶ妹。
何があったのか分からないが、迷ってる暇は無いとリツに代わってエリーザさんを抱える俺は、一目散に家のリビングに戻ってソファーへと寝かしつける。
やたら未来な翼が邪魔になるかと思ったが、俺がお姫様抱っこをする際に彼女の背中へ収納された為、苦労することは無かった。
「それで。お前ら何があったんだ」
「よく分かんないホルダーが管理局の人に喧嘩を売って、私たちが戦って、そしたらエリーザさんが……!」
「落ち着け。落ち着いてくれ。何が言いたいのか分かんねぇ」
ふらふらとリビングに上がり込み、俺に今まであった事を捲し立てるリツは、冷静に話をできる状態では無かった。
エリーザさんは青い顔で息を乱し、明らかに危険な状態だ。
リツも全身に力が入らないのか、俺に縋りつく手に握力を感じない。
「エリーザさんが敵にメダルを入れられて。管理局が見てるから大丈夫だって、落ち着く場所に行けって言われて。だから、だから家に来たの!」
「管理局が見てるって言っても、カルパレさんがすぐ来るのか? それとも別の誰かか? ああ、くそっ……! 話が見えねぇ」
ボロボロと泣きじゃくる妹の話を聞いて、俺が分かったのは三つだけ。
二人が敵のホルダーに負けた事。
その際にエリーザさんが敵に何かを仕込まれた事。
そして管理局にそういう仕組みがあるのか、エリーザさんの指示に従ってリツが家に連れてきた事。
「こういう時は先輩に――」
俺が端末へ手を伸ばした時、ふと一つの考えが過ぎってしまう。
連絡アプリを開き、先輩の端末へと電話をかけるべくアイコンへと伸ばされた指は、寸前で止まる。
行方不明となった先輩を見つけ、正気じゃ無かった彼女を助けてから数日。
俺たちの連絡を無視していた先輩が、今の俺たちに手を貸してくれるのだろうか。
塞ぎ込んでいるあの人に助けを求めていいのだろうか。
ミア先輩も、俺たちも。
どっちも助けて欲しいはずなのに。
「呼べば良いじゃないですか。呼べば必ず来ます。そういう人ですから、ミアさんは」
「ハイリ。お前、何でここに」
煮詰まった考えに囚われた俺の傍に突然現れて、勝手に俺の端末を操作し始めたのは、俺をひたすら悩ませていた元凶だった。
連絡アプリに打ち込まれた文面は実に良く出来ていて、如何にも俺が打ちそうな文言が並べられている。
「先日の事を謝りに来たのですが、どうにも非常事態みたいですね。毒か何かでしょうか。でもホルダーに毒って聞きましたっけ? 機械の体ですよね」
「えっと、えっと。エリーザさんはマルウェアメダルって」
「……よく分かりませんが、メダルの力なら問題ないですね」
俺の了承無く打ち込んだ文面を連投するハイリは、エリーザの症状を見て首を傾げる。
突然現れたにも関わらず、リツは疑問を持つどころか藁にも縋る思いでハイリに声をかけていた。
妹からすれば冷静で思慮深く見えるハイリは、今や救いの神そのものなのだろう。
「意外とメダルの事を詳しいって訳じゃないのな。知らないのに大丈夫なのか」
「カラーズを知ってたのは偶々です。誰だって良くは知らないですよ。メダルの事なんて」
そう言ってハイリの体から排出されたメダルは、バツ印をつけられた鰐のメダル。
メダルもハイリ自身にもノイズがかかり、揺らぐ空間を見ていると気持ち悪さすら覚える。
「高次元物質、論証。パラドックスシステム、セットアップ」
透き通る白い肌に異変は無い。
夏らしい薄着の衣装も変わらないし、艶のある黒髪にも何も起きない。
ただ一か所だけを除いて――。
「シンキング、クロコディルズ」
反転する右目の黒白。
それに連動して、ハイリが纏っていたノイズがエリーザさんの体に移ると、空気を切り裂く金属の悲鳴が鳴り始める。
藻掻くようにエリーザさんの体から飛び出した金色のメダルは、ノイズに呑まれ形を歪まし、金切り声を上げ続ける。
謎のメダルは四つに寸断され、立体的に捻じ曲げられたところで、細くバネ状に伸ばされていく。
細く細く糸になるまで引き伸ばされ、最後は粒子に還元されていく。
「はい、終わりです。悪さをするメダルはいなくなりましたよ」
「あ、ああ……。ありがとう……」
気が付いたら、今にも死にそうな土気色の顔をしていたエリーザさんは、落ち着きを取り戻していた。
何事も無かったかのように振り向いて微笑むハイリを見て、俺は彼女の異常性を痛感する。
メダルそのものに作用する機能は、前例としてリツのアカズキンがあるからまだいい。
ただ余りにも次元が違いすぎて、お礼以外の言葉が見当たらない。
アカズキンは銃弾を当てる必要があって、なおかつメダルを排出するだけ。
それに対して他のメダルと同様に、力を使うだけで消去まで行えるとか、パラドックスメダルの力は破格すぎる。
「ハイリ。アンタのそれは、タイムパラドックスなんて目じゃない。それがあれば――」
「泉さんたちを助けられた。そうですね。そうかもしれません。ならどうしますか?」
両腕を広げるハイリ。
エリーザの様子を窺うリツが不安そうにこちらを見る中、俺は彼女の意図を察してしまう。
それ以上言わなくても分かってる。
泉と森川を助ける最短の手段が、目の前にある事は。
「冗談、とは言いませんが。無理をする必要はありません。出来ないものは出来ないんです。さっきも言いましたが謝りに来ました。――ごめんなさい」
「何がだ。お前は何に謝ってるんだよ」
「何もかもです。その内、きっと分かります。そう五分前から決まっていますから」
そう言い残して、ハイリは体をノイズに包んで瞬きをする間に消えてしまう。
結局、彼女の言葉が理解できないまま、取り残される俺たち。
やや遠回しな言い方をするハイリだったが、ここまで来ると理解しようがない。
静まり返る俺たちの家に聞こえるのは、ハイリが送ったメッセージに反応する、ミア先輩からの着信だけだった。
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