金属とはまた違う、聞きなれない竹刀が打ち合う高い音。
試合をしている二人の掛け声以外は、観客の声がうるさい程にざわついている。
真剣に試合をしている二人なんて目にもくれず、黄色い歓声だけは一人前に発声する。
外と繋がる扉を開放し、大型の扇風機まで導入されている武道場を覗き込むと、外にまで聞こえてきた通り試合をする二人を囲むのは、剣道部ではない女子生徒たち。
部活や他の用事のついでか、それともわざわざ見に来たのか。
真夏の暑さなんてへっちゃらだとばかりに、試合をしている人に熱をあげている。
「……みゃー先輩は今日も平常運転と。まあ、そういう人だから人が集まるんだろうな」
高校に入り、初めての夏休みになって数日。
仲の良い先輩のファンだというクラスメイトに、先輩を紹介してくれと頼まれた私は、ジリジリと照り付ける太陽を恨めしく思いつつ、件の先輩に声をかけに来ていた。
その当人は今剣道部の助っ人で練習試合に臨んでいるのだが、こうなるととても声をかけにくい。
黄色い声をあげている女子生徒のほとんどは、私のクラスメイト同様に先輩のファンだろう。
試合が終わった辺りにでも声をかけようと思っていたけど、まかり間違って抜け駆けと思われたら非常に面倒だ。
「藤木さんとの約束まで時間はあるし、それまで待ってた方がよさそうか」
テキトーに外で待ってようと考える私は、ひっそりとその場を後にする。
これが私――相坂律の日常。
病院暮らしの母に代わり家を守る兄を持ち、女子生徒に人気な先輩とは中学の頃からの付き合い。
高校の頃から目まぐるしい程に訪れるちょっと刺激的な展開も、夏休みにもなれば落ち着くと思っていた矢先に、告白の手伝いとかどういうことか。
疲れもするし、嫌な気分にもなったことはある。
けれども事あるたびに刺激的な話題に溢れる私の生活を、非日常と思ったことは無かった。
個人が所有するあらゆる情報を管理する、ナノマシンなんて言う便利アイテムが平然と受け入れられている今の世の中。
人間関係のあれやこれやで一喜一憂するほど――
「リツ、お待たせ」
「――……ひゃああぁぁぁぁッ!」
武道場から離れ校庭近くの階段に座っていた私の頬に、冷たい何かが引っ付けられる。
突然のことに声をあげ、何事かと後ろを振り返ると冷えた缶ジュースを持った女子生徒が立っていた。
慌てていたのか夏の制服を着崩している彼女は、肩で息をしている。
ポニーテイルにされた黒いショートヘア、深緑の瞳で真っ直ぐこちらを見つめてくる端正な顔立ちは、可愛らしさではなく、綺麗や格好良いと言った方が納得するだろう。
そこへ逆三角形と言える体格の良さと長身は、より美形としての質を高めている。
「何だ、みゃー先輩ですか。ビックリさせないでください」
「ゴメン。考え事していたみたいだから、ちょっと驚かせようと思って。コレはあげるね」
「ありがとうございます。……って待ってください。何で私が来てるって気づいたんですか」
私がみゃー先輩と呼ぶこの人は、桜庭美亜さん。
一応日系北欧人でミア・ハーゲンと別の名前も持っているが、知り合いは大抵日本の名前で呼んでいる。
みゃー先輩に手渡されたリンゴジュースは、ここまでしなくても良いのにと思うほど冷え切っていて、真夏の熱で水が滴るほどに汗をかいていた。
渡してきた本人もさっきまで試合をしていたので、待ち惚けをしていた私以上に汗をかいている。
そう。
みゃー先輩が私の待っていた剣道部に助っ人で入っている先輩で、クラスメイトの告白相手なのだ。
「見に来てたよって、剣道部の部長が教えてくれてね。部活なら平気だよ。元々用事があるのは伝えてあるから」
「あれ、おかしいですね。連絡を入れた時、一緒に要件も書いたはずなんですけど。あの……みゃー先輩、いい加減自覚してください」
私を抱えるように一つ上の階段へ腰かける先輩は、平然と話を進めているけれど、私からすればあまり笑えない状況だ。
今の私たちは一見、仲の良い先輩後輩が仲睦まじくジュースを飲んでいる光景に見えるだろうし、実際そうだ。
だけどその手の人たちからは、嫉妬や嫌悪の対象になるらしく、高校入学から今まで覚えのない敵意を向けられてきた。
中学のとき、兄伝いに知り合った私たちは妹分とよく一緒に遊ぶお姉さん的な認識で、何故か同じくらいみゃー先輩と一緒にいる兄より、私の方が恋仲と思われることが多い。
当の本人には私が敵意を向けられる理由を教えてはあるのだが、馬の耳に念仏でお気楽に過ごしている。
「それは友達からも言われたけど、そもそもわたしは恋人を作る気は無いからね。こうしてリツやシンリと一緒に、のんびり過ごせるだけで充分」
「ひゃー先輩は、相変わらずヒェンタルイカれへまふね。とても妹分の危機を前にひてるとは思えまへん」
私の一束に結った茶髪でパタパタと遊んでいると思ったら、今度は私の頬を餅のようにこねては引っ張る先輩。
これから来るはずの私のクラスメイトが見たら、どうなるか。
何もないか、複雑な顔をされるか、恐ろしい笑顔を向けられるか。
そんな事を考えていると、口に含んだリンゴジュースの冷たさを超える寒気が背筋を襲う。
「告白というなら、リツもじゃないか。きっと今日もだろう? リョウタの相談にシンリたちが乗っているのは」
「確かに今日は全員バイトが休みらしいですけど、年中そんなことしてる訳ないですよ」
「そうでも無いみたいだよ」
みゃー先輩の左腕についた腕時計型の端末から、パネル状のホログラムが展開される。
それは私の目の前にスライドしてくると、一つのメッセージが見やすい大きさにまで拡大された。
――今日、リツちゃんへの告白会議をするから、是非ミア先輩も案を出してくれ!
なんの捻りの無い兄の友人からの連絡は、実に出会ってから十回以上も告白を続ける人らしい、真っ直ぐな文章だった。
「うわぁ……。お兄ちゃんと森川さん、早く泉さんを説得するなりして止めてくれないかな」
「それは無理だろう。リョウタはその程度で止まる男じゃない」
止まらないのは分かっているし、彼の熱意は充分に伝わっている。
最初は突然の事で嫌と言ってしまい、しばらくはそれが尾を引いて告白を断っていた。
その後にあった試行錯誤されたデートは本音を言うと楽しかったし、付き合っても良いと思った時もあったけど、その頃から泉さんの様子が変になり、ここぞというところで帰ってしまう。
好きか嫌いかで聞かれたら、嫌いではない。
でも好きかと言われたら腑に落ちない感覚がある私は、こちらから付き合うかどうかを聞く気分にはなれなかった。
「リツが本当に好きな相手が出来れば、流石のリョウタも止めるんじゃないか?」
「みゃー先輩もじゃないかな。好きな人が出来れば、今日みたいな不毛な告白もじゃない?」
どちらも終わりを知らない告白の雨を抱えている。
なのに私たちは未だ"恋"を知れず、現状維持の平行線。
どんな日常を過ごしても、私にとっては恋が一番の非日常なのかもしれない。
「あの……相坂さん、桜庭先輩」
「藤木さん!? ちょっ、みゃー先輩和んでないで一旦離れて!」
気が付いたら目の前にいたサイドテールの女子生徒が、不安げにこちらを見つめていた。
藤木若葉さん。
クラスメイトではあるけれど、別のグループの子であまり話したことは無い。
困惑している表情はどう言った意味なのか今は考えたくないので、過去に泉さんが提案していた告白会議の記録を見て、こんなこともあったねーと思い出に浸るみゃー先輩を引きはがす。
「……そんなに驚かなくてもいいよ。来る前から答えは分かってたし。これは決別。先輩を諦めて、私がまた別の道を歩むための」
「藤木さん、だっけ。なら正面から来なよ。わたし、そういう子は好きだよ」
藤木さんがみゃー先輩に告白を断ることを前提に、気持ちを切り替えるため来たと聞いて私は胸を撫で下ろす。
その横でまた人に好かれそうな答え方をしているみゃー先輩は、こういう人だと分かってはいるが何度も言うように自重して欲しい。
意を決して来た藤木さんも顔を赤らめて満更でもないし、気持ちが鈍るかなと思ったけれど顔を横に振り、しっかりとみゃー先輩へと向き合う。
ギュッと握り締められた両手と、真っ直ぐな視線は彼女の意思を強さを表していた。
「……一年の藤木、藤木若葉です! 桜庭先輩、好きです! 付き合ってください!」
「うん。気持ちは本当に嬉しい。だけどごめんね。君のその思いは受け取れない」
真っ向から攻めて、真っ向から受け止めて。
それでも届き切らない想いは、夏の空へと儚く霧散する。
お守りとして持っていたのか、開かれた右手から出てきたのは銀に光る一つのコイン。
女王様を表しているのか、ティアラを被った女性が描かれているコインは今時珍しいと思うと同時に、何故か目を背けたくなる程の忌避感が湧き出てくる。
「――……残念。ごめんなさい、相坂さん。こうなると分かっていたはずなのに、無理につき合わせちゃって」
「う、ううん。別に良いよこれくらい。それよりも手に持ってるコインって、お守りか何か?」
「うん。ある占い師さんから貰ったんだ。気休めにって」
頭では分かってはいても心はそうもいかなく、藤木さんは今にも泣きそうな表情で、痛々しく私たちに笑いかける。
ピシッと何かに罅が入る音は、彼女の手元にあるコインのものか、それとも彼女の心自身もか。
目元から零れる涙の一滴が銀のコインへ落ちた時、待っていたとばかりにコインは自らの体を分解し銀色の粒子をまき散らしていく。
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