金属と金属がぶつかり合う甲高い衝撃音。
腕で身を庇う暇も無く袈裟斬りにされた胴体は、傷一つなくミア先輩の剣を受け止めている。
今も出続けている冷気をマルクトの装甲に直に当てられ、関節部分の動きが鈍くなるも依然やる気は削がれない。
「今、安心したでしょう。シンリ」
少なくとも俺は大丈夫だ。
殺意を向けられているのに安堵を覚える俺に、先輩は呆れた声を上げる。
次が来る。
そう身構えた俺は昨夜の二の舞は嫌だと身を引こうとするも、どういう訳か杭を打ち込まれたように足が動かない。
どうしてと考え込む前に、足元に意識を向けた時点で答えが出た。
大気中の水分が霜として降り、動いたことで罅が入った氷が俺の脚にへばり付いている。
ミア先輩の高振動の長剣に気を取られている内に凍てついていた足元は、今も静かに俺の自由を奪っていく。
「君のメダルは確かに厄介だ。使用者を守る鉄壁の装甲。生半可な攻撃じゃ傷もつかない。けどそれだけだって、シンリも分かってるでしょう?」
「そうですね。俺、この一枚しかメダル持ってませんし。先輩みたいに強い訳じゃない。だからやることは一つなんですよ」
歩くたびに氷が剥がれる音がするはずが、ミア先輩からは聞こえない。
聞こえているのは長剣の振動と先輩自身の声だけ。
振動を操り、凍結の精度と隠密性を高めた先輩を相手に、何もできない俺は啖呵を切る。
何もできない木偶の棒だからこそ、もっと俺に注目しろ。
「――リーディング。グレーテル、アカズキン!」
メダルが砕け、何かを生成する音が俺の後ろから聞こえる。
次に訪れたのは俺ごと飛び退く先輩に放たれた、赤い炎。
冷気を飲み込み、夏の暑さとはまた別の熱気により俺は体の自由を取り戻す。
「アッッッツッ! リツお前! 少しは加減しろバカッ!」
熱湯を背中にぶっ掛けられた感覚の俺は妹に訴えかけるも、背後から飛び出したリツに無視される。
視界の端に捉えるのがやっとの速度で駆けるリツは、左目を赤く光らせ、右手には見慣れない赤いライフルを持っていた。
アリス、シロウサギ、グレーテル、アカズキン。
都合四枚のメダルと、ミア先輩以上の数のメダルを使っているリツは、左手から放つ熱で冷気を払いながら、更なる加速をする。
もはや俺も先輩も影すら追うことが難しい速度を出すリツは、彼女のがら空きとなった背中に到達した瞬間。
右手に持ったライフルの銃口を向け、照準を定める。
先輩が排出した一枚のメダルと、それを止めるため走る俺に気づかぬまま。
「選抜せよ、女帝」
取り出されたメダルは右手に持った長剣の鍔に嵌め込まれ、効果を十全に機能させる。
スライムの如く液状化する刀身は、女帝が嵌められた長剣以外にも適用され、柄を振ることなく不定形の刀身が宙を駆ける。
金切り声を上げる刀身は銃口を向けるリツの不意を打ち、銃身を遥か上に弾くどころか、木の枝のように幾つも刃を分岐しリツへと襲い掛かっていく。
「――いッッつぁぁぁぁああああっ!」
「リツ! くそっ、先輩止めろ!」
全身を切り裂かれるリツから、血液に似た液体が飛び出し聞くに堪えない悲鳴が上がる。
俺は止めようと走るが、屋上にばら撒かれた刀剣たちにも例外なく女帝の効果が付与され、絶叫する液体金属が悉く行く手を阻む。
傷一つ付かないが衝撃は伝わり、ミア先輩の剣技も漏れなく使われる為、的確に動きが封じられてしまう。
「止める。止める、ね……。なら二人ともメダルを捨ててよ。アルカはもういない。パラドックスのホルダーだって、メダルを使わなくても探せる。こんな力を持ってるのは、わたしだけでいい」
「ふざけんなよ、先輩。先輩にだけ危険な事やらせて、俺たちだけ安全な場所に居ろってか」
「それの何がいけないの。君とリツはわたしより弱いんだから、大人しくしていて欲しいんだ」
「ああ、弱いよ。腕相撲に負けて、柔道で負けて、剣道で惨敗して。運動で何一つ先輩に勝ったことは無い。だけどな!」
倒れ伏すリツが放置され、その分の攻撃が俺に集中する。
掴むことすら許されない流体の斬撃が俺の動きを止めている間に、音も無く冷気が脚を凍らせていく。
既にミア先輩の中で俺たちの対処法は確立していて、事は順調に進んでいるのだろう。
俺は動きを封じてしまえば、それで終わり。
リツは速さと豊富なメダルという、先輩自身に似た戦い方だから、自分の苦手な分野を攻めれば終わり。
俺がこのまま負ければ、訳が分からないままメダルを取られ、先輩は何処かへ居なくなる気がする。
何も真実を知らされないまま泉が助かって、メダルやホルダーなんてものを忘れて昔の生活へと戻っていく。
今も守られているんだなって意識だけ残って。
いつも俺たちに手を差し伸べてくれるミア先輩の姿を、見かけることも無いまま――
「勝てないからって先輩に守られる気は無い! 俺が先輩の手を取ったのは、守られたいからじゃない! だから勝手に振り解こうとするな!」
メダルを使うホルダーに関わるのは危険だ。
そうミア先輩の忠告を聞いたうえで、彼女の手を取ったのは俺だ。
昔の俺も、自分の弱さを晒す為だけに先輩へ挑んだ訳じゃない。
「数少ない俺が握れている手なんだ。どうしても俺の手を払いたいなら、殺してみろよ」
「――……やっぱり」
斬撃の雨の中、体が熱いまま冷えていく俺の頭は、曖昧にしていた俺たちと先輩の関係を決定づけていく。
いくら先輩が拒否しても、いくら俺たちが弱くても。
死なない限り切れることが無い、不可視の縁。
逃げても手を掴んでやる。
振り払っても、嫌だと言われても、俺たちの先輩は一人しかいないから。
「やっぱり、そうするしか無いのかな」
今まで感じた事の無い殺意の塊が、飽和する斬撃と冷気を飲み込み俺の体を宙へと弾く。
昨夜にも感じた気持ち悪さを感じながら、屋上から放り出された俺が見たものは、横振りされた片刃の大剣。
先輩がよく使っている長剣を四本ぐらい束ねたサイズ感で、それを通して体内に振動を送り込まれたのだろう。
内臓を掻き回され意識が混濁する俺は、なすがままに校庭へと落ちるが、その間も校舎全体に撒かれた長剣たちの追撃は止まらない。
今度は斬撃では無く、流体のまま全身に纏わりつく刀身たちと共に落ちた俺は、揺らぐ意識のなか体を無理矢理動かそうとするが、ピクリとも動かなくなる。
「コイツら液体のまま先端だけ剣に戻って、地面に突き刺さってるのか。トリモチかよ」
ミア先輩から離れた影響で急速に凍ることは無くなったが、流動する刀身は起き上がる直前で硬直し、上半身を起こすのがやっとだ。
まだ斬撃の雨の方がマシだったなと舌打ちし、遠目で屋上にいるミア先輩へ見上げると、嫌な予感が膨れ上がっていく。
見た事の無いメダルがもう一枚。
割れた盾を手にする女性が描かれた、鋼色のメダル。
まだ持ってるのかよとぼやく俺は、一つの事を思い出していた。
アルカと対峙した際に先輩が使わなかった、フリストとは違うもう一枚。
俺と相性が悪いと言っていたメダルを使うなら、殺すときでは無いだろうか。
「選抜せよ、ランドグリーズ」
ここからでは聞こえないが、ミア先輩がメダルを使った事が分かった。
振動でも冷気でも、ましてや分身でも無い別の事象。
絶対的な防御を誇る装甲を突破する術は、先輩が持っている大剣ごと空間を歪ませている。
「これで五枚。メダル持ちすぎだろ先輩」
空元気で悪態をついてみるも、先輩の動きが止まる筈も無く、屋上の縁に立った彼女は俺に向かって跳躍する。
大剣を持っているとは思えない速度で向かってくる先輩が狙っているのは、おそらく首か胴体。
身動きが取れず装甲が受け止め切れる保証も無いのに、俺は何故か笑みをこぼしてしまった。
今後ろに、あの時の少女が立っている気がしたから――
「Rank up、イェソド」
意図せず漏れ出した言葉は、俺の体から一枚のメダルを弾き出す。
透明度の高いⅨと描かれた紫のメダルは、砕けると共に俺の両肩へ何かを作り出していく。
何ができるのか不明のまま先輩の大剣は振られ、俺は目を瞑り覚悟を決めるが、想像する喪失感が一向に来なく、ゆっくりと目を開けて横を向く。
「……幽霊の腕?」
「っ! シンリ、君のメダルだろう!」
空間を歪ませている大剣を受け止めていたのは、俺の両肩から伸びた薄紫色の腕。
丁寧に真剣白刃取りをしているのは謎であり、死を目前としているのに呆然としている俺を見てイラついたのか、先輩は声を荒立てる。
マルクト以上に何も教えてくれないこのメダルは、いくら考えても出来ることが思い浮かばず、ただ見ている事しか出来なかった。
「こんな強力なメダルを――」
何かを言いかけたミア先輩を、赤い飛翔体が背後から肩を掠める。
途端に大剣はメダルに戻り、先輩の体からは使ったメダルが次々と排出されて姿も元に戻っていく。
俺に纏わりついていた流体の刀身も、校舎全体に溢れていた冷気も薄れ、容赦の無い夏の日差しが押し寄せる。
いったい何があったんだと、飛翔体が飛んできた先を見てみると。
ボロボロになりながらも腹這いで銃身をこちらに向けるリツが見え、納得と安心が溢れかえる。
「アイツも一応無事か。銃にメダル強制排出機能が有ったとか、先に言えよ」
躊躇いなくミア先輩に銃を向けていた理由も分かり、一件落着とメダルを解除する俺の視界に飛び込んできたのは、意識を失い前のめりで倒れ込んでくる先輩。
何の気なしに受け止めてみたものの、振動攻撃によるダメージは侮れなく、一緒に倒れ伏してしまう。
整った呼吸で目を閉じている先輩を抱えたまま、空を仰ぎ見る俺は疲労感に目を閉じかけるも、視界の端に映った見慣れないメダルに目を奪われる。
「……赤透明なメダル?」
「カラーズのメダルですね。成る程。これが原因で、ミアさんはおかしくなっていたんですね」
色と透明さ以外何もない、ある意味純粋なメダル。
それが砕け果てると今度は、聞き覚えのある少女の声が耳に入る。
艶のある長い黒髪に、落ち着きのある黒瞳。
涼し気な白のワンピースを着た清楚な様相の彼女は、キィンと覚えのある金属音を連れて、太陽を遮り俺の顔を覗き込んでくる。
「お久しぶりです、シンリさん。五分前から見てましたよ」
「パラドックスのホルダー……」
再会を喜んでいるのか微笑んでいる彼女の姿は、時々ノイズが走り、数秒先ですら目の前にいるか不安になる。
存在が曖昧で、でも確かに此処にいる。
そんな不可思議な彼女を見て、俺は彼女が使うであろうメダルの種類を口にすることしか出来なかった。
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