ピクリとも動かないアルカに触れ、生死を確認しているミア先輩だったが、ふいにその手を止める。
生きていたにしても死んでいたにしても、その動きはおかしく、険しい表情をする先輩は歯ぎしりをする。
「ああ、やはり気付きましたか。ヴァルキュリア」
アルカの状態を確かめていた先輩の腕を、アルカが突然掴み取る。
ホラー映画などで見るゾンビにも似た動きで、のっそりと顔を上げるアルカの体は、見覚えのある粒子を散らしていた。
深い青の粒子は見間違いでも何でもなく、分解された状態のメダルと同じもので、生身の人間から発せられるものでは無い。
「それが隠者の機能?」
「これも隠者の機能ですよ。知覚偽装を有した影武者。これがまた、なかなかどうして便利な物で」
ボロボロと粒子へと還りながら話すアルカは、すでに体の半分以上が空へと吸い込まれている。
晒される機械の体は隠されることなく、置き土産と言わんばかりに手の内を明かしていく。
「……シンリ。今すぐ家に帰って」
「待ってください。先輩はどうするんですか!?」
アルカとの会話を一方的に打ち切り、どこかへと駆け出すミア先輩を呼び止める。
状況が掴み切れない俺は戸惑うばかりで、一人で行こうとする先輩の背中が遠く感じる。
アルカを探しに行くのだけは分かるが、何故俺を置いていくのか。
足手まといなのは百も承知だけど、それでもここまで来たら最後まで付き合わせて欲しい。
「わたしはアルカの本体を押さえる。シンリはリツの所に行って! アイツが持っていた運命の輪は、碌に知りもしないわたしたちを探し当てた。リツの所にだって行ってるかもしれない!」
「――……ッ! なら、先輩も」
言うだけ言って走り去っていくミア先輩に、俺は最後まで言葉を言い切ることは出来なかった。
悲しいくらいに早く遠ざかる背中へ俺の手は届かず、空を切った手を強く握り締める。
先輩もこっちに来てください。
そう言いたかったのに、口にすら出来なかった俺は、きっと弱いからだろう。
戦乙女の手を取るには力不足と、前に進まない足が思い知らせてくれる。
「先輩も、無事でいてくださいね」
無力さを噛み締めている間にミア先輩の姿は見えなくなっていて、俺は自分の家へと踵を返す。
左腕の端末を使い、メッセージの送信をしながら走る俺の中では、幾つかの不安が渦巻いていた。
*
月明かりの射さない住宅の陰で、座り込んでいるアルカはうっすらと目を開く。
流れ込んでくるミアとシンリの情報にため息を吐くと、被っていたフードを下ろし首を鳴らす。
腰を上げて歩き出すアルカは、思案を巡らせるも芳しくない表情を浮かべる。
「困りましたね。セフィロトはまだしも、このままだとヴァルキュリアに見つかるのも時間の問題。もう一人ホルダーがいるようですが、そちらはまあ、後で良いでしょう。女帝は取り返したかったですが、今は身の安全が先ですね」
警戒すべき相手の情報を得られたのは上々だが、少し煽り過ぎたと反省するアルカは、今まさに自身を狩ろうとする死神を想像すると、立てていた予定をいったん放棄する。
隠者による他メダルの併用は確認できた。
運命の輪の機能は実に素晴らしく、その応用性の高さは多岐に渡る。
吊られた男は戦闘用としては出力の低さが不安の種だが、ホルダーを相手にしなければ問題は無い。
これらを使った先の戦いと同様のものを幾度かこなし、より高度な運用をと思っていたが、何やら触れてはいけないものに触れてしまったようだ。
安全を確保し、より自由度の高い力の行使を。
それが私が求めるメダルの利用法。
「虫から始まり、小動物を使い、人への試行は終了した。残るはその力を如何に御するか」
一歩でも遠くミアから離れようとするアルカの心は、恐怖とはかけ離れ高揚していく。
何故なら、自身よりもメダルの運用に長けたホルダーから逃れられれば、相応の力を持っている実証となるから。
正面から挑む理由は無く、力のみを行使できればいいアルカにとって、逃げ切れた実績は大いなる自信を生み出す。
「――これはこれは、管理局のホルダー殿。今日はどのようなご用向きで?」
焦らず、しかし確実に遠くへと歩みを進めるアルカの前に、一人の男が姿を現す。
滑らかな口調で言葉を走らせるアルカだが、ヴァルキュリアとの対面以上の驚愕で思わず後ずさる。
アルカの目の前に佇んでいたのは皺一つないスーツを着こなす、褐色肌の美丈夫。
アンダーフレームの眼鏡から覗く静かな青い瞳と、整った艶のある黒い髪を持つ彼は、大衆的な女性から見れば悪魔的と呼べる。
滅私奉公が似合う彼は笑う訳でも、怒る訳でもなく、ただそこに立っている。
「アルカ様。いえ、有恵様。戯れはもう御済になられましたか?」
「まさか。この程度では満ちるどころか、飢えるばかり」
アルカは彼の背後にいる組織は知っているが、彼自身をよく知らない。
ホルダーに目覚めて数日、初めて接触してきたホルダーが彼だったが、彼の組織を知る一方で彼についての情報はまともにない。
ホルダーではあるが、所持するメダルは不明。
曰く執事のような事をしているらしいが、本当のことを言っていたのかすら怪しい。
「そうですか。残念ながら、貴方様と御別れを告げに参りました」
「……ああ、合点がいきました。私はヴァルキュリアどころか、管理局の逆鱗にも触れてしまっていたのですね」
理由は不明だが、敵対を告げられたアルカはメダルを体内から取り出す。
ローブに身を包む無貌の人物が描かれたメダルを掴み、溢れ出した粒子によってその姿を変えていく。
「――高次元物質、駆動。アルカナシステム、セットアップ。隠者、吊られた男、運命の輪」
素肌を機械質に変え、フードが影を落とす顔は闇に飲み込まれる。
シンリとミアが戦った分身同様の姿になったアルカは、左腕に銀の鎖を巻き付け、腰には複雑な機構を持つコンパスを備え付けた。
臨戦態勢が整い男と対峙するアルカは、左腕をローブで隠し、攻撃のタイミングを悟らせにくくする。
下手な行動一つとればその首を折ると心に決め、注意深く彼を観察する。
「エリーザ。任せましたよ」
「……成る程。もう一人いましたか!」
害意の無い男が誰かを呼ぶ。
すぐさま反応したアルカは周囲に目を配り、運命の輪を駆使してその誰かを探し出す。
家々の陰から飛び出す様子もなく、ましてや挟み撃ちの形で後ろから迫る人物もいない。
隠者同様に、知覚を妨げる機能でも使っているのかと索敵を強めた瞬間、陰りを見せていた月明かりに異変が起こる。
雲と雲の隙間にでも差し掛かったのかと顔を上げると、まず目に入ったのは三対の未来的な翼を持つ少女。
次に月光に照らされ輝く長髪は金色で、伏せられた瞳がそっと開けられると、燃える紅が光を灯している。
両手を組み、祈りを捧げる彼女はまさに天使と言える姿で、機械的な様相を多く含みながらも神秘さを内包している。
「高次元物質、降臨」
電子回路を走らせる透明なパネルが翼を形成し、ジェット機構をも搭載する三対の翼は少女の呟きと共に赤く発光する。
赤く、赤く。
情熱迸る愛の如く真紅に染まる翼は、一部のパネルを切り離し彼女の右腕へと別の構造体を生成していく。
出来上がったのは腕へ直接備えられた、赤い直剣。
組んでいた両手を解きアルカを見下ろす彼女の姿を、次の瞬間にはアルカは影すら捉えることが出来なかった。
「ああ……。これは、出来るの、なら……。もっと、見てい……た……」
赤い一閃がアルカの心臓を貫き、魂の浄化と言わんばかりに全身を炎が包み、焼き尽くしていく。
金属質の肉体ですら融解し、残ったのは物言わぬ液状化した金属のみ。
機械天使から人間の姿へと戻る少女は、胸を痛めたかのように目を伏せ、空へと祈りを捧げていく。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!