首の圧迫感が刻一刻と増していき、死が迫る危機感と理屈が分からない恐怖で呼吸が乱れる。
手も足も自由で何にも縛られていないのに、首が絞められる感覚がハッキリと感じられる。
喉に触れても縛っている物は無く、隣で同じく悶えている森川の首を見て、鎖のような絞め跡があることから何が起きていることだけは分かった。
見えないし触れられない鎖が、俺たちの首を絞めている。
それを操っているのは泉が変えられた吊られた男と呼ばれる、謎の存在。
「ふむ。不可視の絞殺か。おおよその機能は予想できていたが、まあ初期機能としてはこんなものか」
「ふざッ……けんなッ……! お、まえ……、泉を……!」
「ん? 死んでは無いから安心しろ。一通り検証したら解放はする。だが今までの経験上、大抵はその後に衰弱死するがな」
「クソがッ……! アル、カアアアァァァ……!」
手を口元に当てて頷くアルカは、悪びれる素振りもなく首を押さえ苦しむ俺たちを見下し、観察する。
まるで実験動物を見ている研究者で、そこには悪意ではなく好奇心と一つの落胆が見られた。
自分の予想が当たったのを喜んでいるが、それと同時に想定外の事が起きて欲しかった。
結果は上々だが期待以上のものは無かったと、俺たちの神経を逆撫でする溜め息を吐いている。
死へのカウントダウンを着々と進めている首の圧迫から逃れようと、俺は怒りに身を任せて、震える体に鞭を打ち立ち上がる。
喉が潰れようが知るかと大声で恐怖を紛らわせ、一発食らわせようと殴りかかる俺を見ても、アルカの態度は変わらない。
だからどうしたって、吊られた男すら動かさない。
「何故彼が吊られた男にされたのか、何故君たちは殺されようとしているのか。疑問が尽きぬのは無理もない。私だろうと、同じ立場なら問いただすだろう」
「――……グガァ!」
聞いてもいない事をアルカは話しながら、俺の拳をひらりと避ける。
カウンターで繰り出した奴の膝蹴りは見事に俺の腹へと決まり、一気に空気を吐き出したことで首の締まりがより一層強く感じる。
「だから答えよう。――君たちがここにいたからだ。彼が吊られた男を引き、君たちはそれ以外を引いた。つまりは運命。他に理由なんて無い」
「僕、たちが……ここに、いたから。たっ、た。それだけ、ですか」
「そう言ったはずだが? ここで会い、会話を交え、私のカードを引いた。それ以外の縁は無いはずだが」
吊られた男で一気に首を絞め上げることはせず、絞め殺される恐怖を与えてくる奴だが、余計な加虐趣味は無いらしく、地面へ崩れ落ちる俺に追撃を加えてくる様子は無い。
それどころか、俺たちを殺すことに特別理由は無いとふざけた事を言い始める。
通り魔でさえ抵抗されにくい相手を選ぶ傾向があるっていうのに、カードを引いたからって理由で殺すとか、頭がイカれているにも程がある。
「しかし成る程。加減をすれば多少の会話は可能。応用も利く機能と見た。然らば気になるのは最大出力か」
「おまえッ……なにを……!」
殺人犯に聞くまでもないが、どうしても声に出してしまう。
それ以上は聞きたくない、聞いたら俺は何もできなくなってしまう。
吊られた男が俺たちの首を手加減して絞めているのなら、その最大出力とはどうなるのか。
アルカが言うまでもなく分かっている。
「愚問。だが安心したまえ。縊死は数ある死去の中でも、安楽に近しいものだそうだ」
微笑みかけてくるアルカは、俺たちを処刑台に送る死神そのものだった。
吊られた男の握りかけていた拳が、やんわりと緩められる。
首の拘束感がほとんどなくなり、一気に流れ込んできた新鮮な空気は体中を駆け巡り、言い様の無い喜びを与えてくれる。
だけど俺たちは吊られた男の手からは、視線を外すことは出来なかった。
もう一度あの手が握られた瞬間、俺たちの命は文字通り握り潰される。
ジャリジャリと擦れる鎖の音が、ギシギシと軋む金属の体が、ユラユラと振り子のように揺れてタイムリミットを告げている。
一回、二回、三回と。
四回目の揺れで大きく開かれる吊られた男の両手は、この後に起こることを全て物語るサインで――
『一つ質問をします。死を望む者が過去に飛び、生きたいと願っていた過去の自分を殺した場合。死を望んだ自分はいったいどうなりますか?』
駆け抜ける過去の記憶。
服役中の父親も、床に臥せている母親も、体質のせいで苦労している妹も。
鮮明な色付きの光景から、色褪せた遠い記憶の物まで。
その中に紛れ込んできた俺の知らない長い黒髪の少女が、理解できない質問を語りかけてくる。
『正解は、人による。そうとしか言えません。……要するにですね』
回りくどい少女の言い回しは、新鮮なのに懐かしくて。
なんで俺が彼女を知らないのか、俺自身が不思議でならない感覚に襲われる。
何を言いたいのか分かるのに、分からない。
だけど、違うだから、要するに。
『貴方は、シンリさんは私と――』
「訳分からねえこと言ってないで、お前は俺に何をさせたい!」
少女の言葉を遮り叫んだ台詞は、俺自身が理解できない一言。
何を言いたいではなく、何をさせたいとはどういう事か。
その答えは分からぬまま、ニッコリと笑った少女がどこからか取り出したメダルを指で弾く。
キィンと、いつかどこかで聞いた金属音が、俺の耳を通り抜けていく。
『これを使ってください。そうすれば貴方は生き残れる。そう、五分前から決まっています』
ノイズが混じり、表と裏がひっくり返ったように視界が反転し少女を見失う。
俺の下に飛ばされて来たメダルは、ローマ数字の十が描かれた透明な水晶で出来ていた。
見る角度によって黒に黄色、赤に緑と四色に変色するメダルは当然の如く俺の体の中へと溶けていく。
「さようなら。……とは、残念ながら言えない様だ」
真っ暗になった俺の意識は、アルカの不服そうな声で現実へと引き戻される。
何が起きたのか、あの少女はいったい誰だったのか。
そんなことを考えている暇はもう無いのだと、無駄な足掻きをせず諦めていた俺だったが。
走馬灯でも聞いたメダルの跳ねる音がまた聞こえ、閉じかけていた目を開く。
吊られた男の体にぶつかり、勢いよく空へと飛んでいく水晶のメダル。
太陽の光を四色に分けるメダルはあの少女に渡された物と同じで、俺の視線は自然と宙に舞うメダルに吸い寄せられる。
予想外の事態だったのか吊られた男の拳は開かれ、首の拘束を解かれた俺は無意識にメダルへ手を伸ばしていた。
『使い方、分かりますよね』
「ああ、分かってる。■■」
聞き取れない誰かの名前は、きっとあの少女のものだろう。
現実的じゃない、あの少女も幻覚と幻聴の一種だ。
だけどあのメダルはこうやって使うと、記憶にはないが体が覚えている。
こんな非現実で生き延びれるのなら、俺は何だってやってやる。
「高次元物質、起動!」
落ちてきたメダルを握り締め、心に浮かんできた言葉を迷わず叫ぶ。
泉のときと同様に粒子に変わったメダルは、俺の体に明確な異変を引き起こしていく。
――人間のまま機械に。
そんな言葉が相応しい異変は、体内どころか外見にまで影響を及ぼしていた。
粒子が合わさり生み出された黒の装甲は俺の体へ装着され、装甲の内側では皮膚も肉も、骨すらも生物ではありえない金属や物質へと置き換わっていく。
ナノマシンと共に血に代わる流体が走り、細胞の一片すらも未知の物質が支配している。
生物的な丸みと機械的な凹凸を複合した容姿は、アニメや漫画に出てくる人型ロボットそのもの。
人の容姿を残しつつ無機質さを求めた姿は、黒騎士というには禍々しさを持ちすぎている。
「セフィロトシステム、セットアップ」
メダルによる変異が終わり、漆黒の機械となった俺はアルカを無視して吊られた男と対峙する。
拳を握り締め、それしか知らないと前へ踏み出した俺と同じく、奴もそれしか無いのか拳を握ろうとしていた。
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