空は夕焼け色に染まり、俺と妹が住む家に沈む空気とは相容れない調理音が鳴り続ける。
決して固くは無い包丁が食材を刻み、熱されたフライパンに引かれた油は、香ばしい匂いを立てて食材を焼いていく。
コトコト煮える鍋は様子見のために蓋が開かれると、部屋全体へ静かに空腹を促す香りを運んできた。
特別良い匂いが漂う訳ではなく、食材も調理法も調理器具も全ては一般家庭の範疇だが、逆にそれが沈む心に安らぎと活気を与えてくれる。
リビングのソファーの端に座り、左手首に着けた端末からディスプレイを表示して、何の気なしにオススメの広告から動画を見て回っていた俺は、顔を上げてキッチンへと視線を向ける。
反対側で同じように膝を抱えて座る妹も匂いに釣られてか、視線が漫画の映っているディスプレイとキッチンを行ったり来たりしている。
「シンリとリツが話を聞きたいってことは分かった。少し長くなるから、ご飯でも食べながら話そう」
そう言ってキッチンに立ったミア先輩は、俺たちとは別の意味で浮かない表情をしていた。
アルカのせいで吊られた男になった泉を、俺が助けられなかったのと同じ時。
リツもクラスメイトが女帝というメダルの怪物にされていたらしいが、そっちはどうにかなったようだ。
事件が起きてから一週間経った今、泉は意識が戻らず病院のベッドの上で、森川は声が出なくなり家で静養しながら経過観察。
リツのクラスメイト、藤木は目立った症状は無く警察からの事情聴取のみで終わっている。
気を失っていたリツも大した怪我は無く、俺もミア先輩も事件に巻き込まれたにしては怪我一つ無かった。
不可解だったのは無傷な俺たちが犯人として疑われそうなものなのに、警察は軽い事情聴取のみで終わらせたこと。
特に責められることも、憐れられることも無かった俺は腑に落ちないまま日々を過ごし、リツ曰くこれらの事情を知っている先輩へ聞くことにした。
「では、いただきます」
「いただきます。――じゃあ先輩。話してもらいますよ」
「いやいや、待ってよ兄ちゃん。早すぎだって。一口も食べてないよ」
調理を終えてミア先輩が運んできた料理は、サラダ付きのハンバーグに豆腐となめこが入った味噌汁。
俺と先輩のハンバーグにはソースだけがかかっているが、リツの分にはスライスチーズが半分溶けた状態で乗せられていた。
半ば癖で食事の挨拶をする俺は、箸を取りながら先輩へ本題を投げかける。
早すぎるとツッコミをいれるリツだが、肝心の先輩はのんびりと味噌汁を飲んでは一息つき、焦ることなく話を進める。
「気持ちは分かるし、別に気にしないさ。それともリツは食べ終わってから聞くかい?」
「……いえ。そこまで引っ張られるのはちょっと」
「だろう? まあ、わたしも説明がうまい訳じゃないから、語弊とかが多くなるが深くは考えないでくれ」
そう言ってミア先輩は作った料理に手を付けつつ、右頬の辺りから一枚のメダルを飛び出させる。
見間違いでも何でもなく、明らかに彼女の体から直接飛び出てきたメダルは、空中に浮いたままクルクルと回っている。
大量の剣に囲まれた女性が描かれている、鋼色のメダル。
アルカが泉に渡した物とも、俺が出した水晶のメダルとも違う先輩のメダルは、好戦的な印象ながらも何処かへ導いてくれそうな雰囲気を纏っていた。
ゲームや漫画に使われる、戦乙女っていう奴だろうか。
「コレが何なのかは詳しくは知らないけど、シンリもリツも含めて、わたしたちはコレを使いこなせる……そうだね。超能力者と言っておこうか」
「待て。リツお前! お前もメダルを使えること、俺は聞いてないぞ!」
「頭の回転が悪い兄さま。この話を一緒に聞いている時点で、それくらいは察してよ兄者」
呼び方が色々あるのなら全部試したいじゃんと、よく分からない理由で俺の呼び方を一々変えるリツは、ニマニマとこっちを見て笑っている。
こういう時はふざけている余裕がある証拠なので、兄としては安心だが別の問題が発生しているのは間違いない。
先輩がメダルを使えることは、リツが助かっている辺りで予想は付いていた。
だがリツがここで一緒に話を聞いているのは、巻き込まれた側として話を聞くだけかと思っていた。
「つーか超能力者って。そのメダルの力であれだろ、……変身みたいなのをするんじゃないのか?」
「正確には変身じゃないんだが、シンリの認識は概ね合ってるよ。メダルを使って姿形を変える。その制御やメダルを生み出す力を持っているわたしたちは、超能力者と言えると思うが」
「兄ちゃん、さっきみゃー先輩は深く考えちゃダメって言ってたでしょう。わたしたちは不思議なメダルを使える超能力者。それで良いじゃない」
相変わらずミア先輩を可愛い擬音みたいな呼び方をするリツは、ひとまず彼女の言う通り分かりやすい形で受け取っているらしく、飲み込みが早い。
ナノマシンなんて物が一般的に出回っている世の中で、いきなりオカルトチックな話を振られたら疑いたくなるものだろう。
それでも信じざるおえない事件に巻き込まれた訳で、納得はし切れないが一応の理解は出来たから、箸を進めて続きを促す。
「うん。超能力者っていうのは分かった。じゃあ兄さんのメダルは見てないけど、たぶん全員の種類がバラバラですよね。みゃー先輩、これは何でですか」
「人の個性と同じ。わたしのは北欧の戦乙女、リツのは……たぶん童話とかその辺りだろう」
「俺のは、アルカの奴がセフィロトだとか何とか言ってましたけど」
「……シンリ。中卒で働くと言い出した時もだけど、君はわたしをよく驚かせるな」
アルカの名前を聞き、表情を険しくするミア先輩だが、おそらく俺のメダルの種類と思われるセフィロトを耳にした途端、唖然としている。
いまいちセフィロトが何なのか分からない俺は、北欧に関わるメダルを持っている事にノルウェーの血が流れている先輩らしいと思う以外は、ピンと来るものは無かった。
リツも小さい時にはよく絵本とかで童話を読んでいた覚えはあるが、それ以上の印象は無い。
「お兄ちゃんの言う、アルカって人が女帝と吊られた男のメダルを二人に渡した。その人のメダルはタロットカードって訳ね」
「ああ、そうみたいだ。アイツ、分かりやすく占い師って格好してたよ。――それはそうと。アイツがメダルを使った俺をホルダーって言ってたけど、先輩は何だか分かるか?」
「あっ、それみゃー先輩も言ってたよね」
「メダルを使う超能力者の総称だよ。メダルを持っているから、保持者。そう特別な意味は無い」
ということは、アルカは自分以外の能力者に会ったのを驚いていたのか。
ひとりでに俺が納得をしていると、隣で食事を進めるリツがチラチラとこっちを見て何かを訴えかけている。
何だと不思議に思い、再びミア先輩へ視線を戻した瞬間、妹の言わんとしていた事を急激に理解する。
先輩の話を理解するのに手一杯で、アルカの名前を耳にして苛立っている先輩に気づかなかったのは俺の失態だ。
目から光が消え、殺気すら感じる表情の死んだ先輩の語気は刺々しく、相当な怒りを買っていることは言わずもがな。
俺たちの知らない所でアイツと会っているのは確定で、先輩の性格からして卑劣な手段を取るアルカと相性が悪いのは、誰の目から見ても明らか。
昔の俺が抱いていた彼女の印象は、正義の味方。
正々堂々真っ向勝負、それに類するなら善悪問わず受け入れる先輩は男女に関わらず人気を博するのだが、怒りを買った途端にコレだ。
目には目を、歯には歯をと言わんばかりに手段を選ばない相手には、彼女もまた手段を選ばない。
「ま、まあアイツの事は後回しにして。リツ。他になんか無いか」
「そのフリは無いでしょ、お兄さま。んー、じゃあ事件が世間的に大事になってない理由って、みゃー先輩分かります?」
「……それは、ホルダーを管理している団体が箝口令を敷いているから。君たちもその内会うでしょうね」
「えっ、何となくいるのかなーって想像してた、秘密組織って奴ですか。うわぁー、本当にいるんだー」
「わたしは別の団体にいるけどね。その団体からもアルカは目を付けられているはず」
話題を逸らせたと兄妹一緒に喜べたのは束の間。
あっという間にアルカの名前が出て来てしまい、乾いた笑いをするリツはテーブルの下で精一杯足を伸ばして、俺に次の話題を出せと小突いて急かしてくる。
「あー、じゃあ先輩。なんかアイツが来た時から周りに人がいなくなってたんだが、それって理由があるのか?」
「それはメダルの影響だね。そういう電波みたいなのをメダルが出しているみたいで、自然と避けようとするらしい。虫の知らせとかが来て、触らぬ神に祟りなしってね。大抵の人は嫌だろう? 危険な場所に行くのは」
「それで藤木さんの時、誰も校庭の様子を見に来なかったんだ……」
うんうんと納得する素振りをするリツだが、きっと心の中は違うことを思っていると兄は考える。
今一番触れてはいけないのは、ミア先輩の逆鱗だと。
これ以上アルカを彷彿とさせる話題は止めよう。
兄妹の見えない意思疎通は迷うことなく方向性が決まり、以降はメダルやホルダーに関する話を俺たちが出すことは無かった。
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