度の過ぎた跳躍からの落下は、結果から言うと五体満足で肉体的には問題は無かった。
羽根が地面へ落ちるように、ふわりと地に足へ付けたリツの背中で硬直していた俺は、治まらない動悸と何食わぬ顔でいる妹を見て、苦虫を噛み締めた表情でその場にへたり込む。
とてつもない疲労感に足腰を立たせる力を出せず、青ざめていた筈の妹と立場が逆になったことを自覚すると、更に疲れが押し寄せてくる。
「ここはどこだ? いや、それより先輩の居場所は分かったか?」
「あー、うん。それがね……」
舗装された道路が熱を持ち、座っているのも苦痛に感じる暑さ。
血の気が引いたとはいえ長く座っていられず、立ち上がりながらリツのメダルの効果を確認する。
カーナビ同様、目標への経路とかを点線で表示するのがヘンゼルの機能だとしたら、まだ続いているはず。
言葉を濁すリツが指を指すが、その先にあるのは素直に受け取れば学校。
正確にはリツとミア先輩が今も通っている高校で、俺も通う予定だった場所。
それよりも先を指しているとは考えにくし、おそらく高校の事で合っているだろう。
「お兄ちゃんが離れたから今は見えないけど、落ちている間に見たんだ。青い点があそこで止まってるところ」
「高校か。確かお前のクラスメイトがアルカにやられた場所だよな。今更何かあるのか?」
「とにかく行こうよ。ほら、掴まって」
「……妹に担がれるのは癪だが、その方が手っ取り早いか」
嬉々として俺に背中を向けるリツに、躊躇いはしたものの背に腹は代えられないと担がれる。
俺のメダルとは違い力強さを感じない見た目だが、中身は同じく機械に置き換わっているらしく、リツは軽々と俺を背負ってしまう。
「……えへへっ」
「何喜んでんだ。ミア先輩には絶対言うなよ」
「兄やん背負うなんて早々無いからねー。みゃー先輩には……どうしようかなー」
「お前っ!」
ふざけるなと言おうとしたところで、リツの体が加速する。
詳細は分からないがシロウサギのメダルは、加速と跳躍を強化する機能なのだろう。
今度は俺を配慮してかギリギリ恐怖感を煽らない速度で走るリツは、それでも五分もかからずに目的の高校へ到着する。
勢いに乗って校内へと侵入するも、校舎には人の気配が無く、体育館などの部活関連の施設でも変わらない。
照り付ける太陽の暑さとは真逆に、校内は閑散としていて冷たい。
「なあ、リツ。そろそろ下ろしてくれ」
「待って。もう少し、もう少しなの」
人がいないとはいえ羞恥心の限界だと訴えるも、何かに集中するリツに一蹴される。
昼間だからか気持ち明るさが増している右目に合わせ、辺りを見渡すリツの顔は次第に校舎の上へと向けられる。
「屋上にみゃー先輩がいる、かも」
「何でもいいから迷うくらいなら行け! 俺には状況がさっぱりだ」
「うん。いくよ」
軽く頷いたリツはたった一蹴りで校舎の高さを越し、柵に覆われた屋上へと侵入する。
落ちる途中、何かに気が付いたリツに着地と同時に転がされた俺は、訳が分からないまま顔を上げる。
顔を上げた先にいたリツはいつになく真剣で、視線の先を辿ると俺は喜びの感情に支配される。
「先輩……!」
「お兄ちゃん。早くメダルを使って」
「はあ!? お前なにを言って――」
唐突なリツの言葉に正気を疑ったが、浮かない表情をする先輩の周りを巡回するメダルを見て、緩んだ気が引き締まる。
無言のミア先輩の周りを回るのは、三枚のメダル。
一枚は以前にも見た、シュヴェルトライテ。
一枚は全身を震わせている女性が描かれていて、おそらくフリスト。
最後の一枚は予想がつかなく、雪が降り注ぐ竜巻に怯える女性が描かれている。
「――高次元物質、抜剣。ヴァルキュリアシステム、セットアップ」
砕け散る三枚のメダルは、粒子となってそれぞれの機能を果たしていく。
昨晩から変わらない服装に、変わらないメダルから生まれる装甲。
そこへフリストの羽根を模した追加装甲と、雪の結晶を模したパーツが両腰へと装備される。
唯一違うのは顔に着けているバイザーのラインが、先輩の目の色と同じ緑ではなく、赤色へと変色している。
「選抜せよ。シュヴェルトライテ、フリスト、ロータ」
熱が籠っていない口調でメダルの名前を告げる先輩から、夏の熱気を押し返す冷気が吹き荒れる。
強い日差しを物ともせず広がる寒冷の風は、俺たちのいる屋上を越えて校舎全体にまで行き届く。
直射日光の暑さと前身を包む冷気の差に体がふらつき、身を守るために俺はメダルを使用する。
「高次元物質、起動。セフィロトシステム、セットアップ」
体から排出されてすぐに砕け粒子へと変わる四色のメダルは、黒い装甲を生成していく。
装甲が装着された端から体内は機械へと変換され、温度差への耐性を得るどころか先輩の振動攻撃で受けた後遺症すら、高速で修復されていく。
「Rank up、マルクト」
装甲を纏い終えた今でも、俺はミア先輩がメダルを使ったことの意味を図りかねていた。
俺以上に先輩の異変に動揺しそうなリツが、しっかりと対峙している事にも驚きだが、それ以上に納得のいかない事が俺の中で渦巻く。
どうして先輩は、俺たちを前にして武器を取ったのか。
先輩は俺たちを守ろうとしたことは何度もあったが、その逆はけっして無かった。
「先輩。メダルを使うのを止めてください。アルカは、アルカはもういません!」
「知ってるよ、シンリ。剣を向ける敵はいなくなったって、とっくの前から。だけど今持っている剣は違う」
俺の言葉が届いていないのか、ミア先輩は言葉を交わしながら体から次々とメダルを排出していく。
どれもこれも剣が描かれたメダルばかりで、砕けた端から長剣が生成される。
その内二振りだけ両手に持った先輩は、作られていく他の剣は乱雑に床へと放置する。
「――ねえシンリ、リツ。守りたいものを守ろうとしたら壊れる場合、どうすればいいと思う?」
放置されている長剣たち、その認識でいた俺は考える暇も無く意識を改めさせられる。
名剣とは言えない無骨な長剣たちは緩やかに宙へと浮き始め、冷気を纏って辺り一面へと散らばっていく。
屋上では飽き足らず校内全域にまで及んだとしか思えない数の長剣たち。
明らかに俺とリツが見てきた先輩は、手を抜いていた。
そうとしか思えない俺たちは、目の前に広がっていく光景の悍ましさに、恐怖で体が後退していく。
「守ろうとしたら勝手に傷ついて、守らなかったら失って。だったらどうすれば良いのかなって、考えて考えて」
「……リツ、お前だけでも逃げろ」
「……みゃー先輩相手にお兄ちゃんが持つ訳ないでしょ。瞬殺よ瞬殺」
俺が前で、リツが後ろ。
そんな陣形を相談するまでも無く組んだ俺たちは、ミア先輩の一挙手一投足を見逃すまいと集中する。
「そうしたら思いついたの。みんなと一緒に暮らせれば、それがどんな状態でも構わないんじゃないのかなって」
ミア先輩が付けているバイザーから、ツゥっと涙が零れ落ちる。
頬を伝い、一滴の雫となって落ちる涙が弾けると、先輩の姿が揺らいだ。
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