夏の暑さも戻り、メダルの力を解いた俺は降り注ぐ熱気を感じてはいるが、それどころではない。
俺の顔を覗き込む少女から目が離せず、彼女が使うであろうメダルの名前以外、うまく言葉が出てこない。
絶世の美少女が相手だから緊張する。
そんな理由だったら、自分の馬鹿らしさに悪態の一つでも吐けた。
「私は貴方の味方です。そう言っても、今は信じられませんよね」
「……えっ? いや、そういう訳じゃないが」
「リツちゃんは無事ですよ。この通り」
言葉を発せずにいたことを、警戒していると思ったのか、彼女は俺たちから少し距離を取る。
俺とリツにメダルを与えてくれたから、少なくとも敵とは思っていないと、ミア先輩を抱えながら起き上がる。
その時見た彼女の後ろ姿は、色が抜けノイズが走り、世界そのものからズレていた。
初め先輩の振動攻撃を受けた影響かと思ったが、ズレが収まったと同時に俺の横へリツが現れた事で確信に変わる。
「パラドックスのメダルだよな。ホルダーって、何でもありなのかよ」
「ぅえっ? お兄ちゃん、みゃー先輩!? ど、何処ここ!! って、パラドッ……えええぇぇぇっ!!!」
リツのやった人が認識できない速度の大ジャンプではなく、本物の空間転移で連れてこられたリツは、初めての経験でパニックを起こし、これでもかと叫んでいる。
妹は既にメダルを解除して元の姿に戻っていて、衣服は裂けていないが手足に切り傷が何ヵ所も見られる。
空間転移のショックで叫べる程度の傷なのは、心から安心できた。
「ええっと、初め……まして? です、よね」
「一応そういう事になってますね。ですが、そんなに畏まらなくても良いですよ、リツちゃん」
「俺たちの名前を知ってるのは管理局絡み。――いや、追ってるって言ってたから、違うのか」
「そうですね。私は何処にも属してません。あなた達と同じです」
俺たちと同じ。
その言葉には大きな違いがあると、俺は思った。
片や成り立てのホルダーで、自分のメダルですら十全に使いこなせていない。
一方彼女はカルパレさんたちが名前しか分からないほど、不可思議なメダルを使い世界に溶け込んでいる。
いったいどこが同じなのか、考えても考えても共通点が見当たらない。
「あの……貴女はいったい?」
「私ですか? 先程シンリくんが言った通り……。ああ、そういえば名前を言ってませんね」
堂々と姿を現し、彼女の言葉通り味方である意思を全うしているのか、この場から去る気配はない。
リツのおそるおそる聞いた質問にも、優しい声音で答えている。
「ハイリ。ハイリって、今は呼んでください。五分前に考えたのですが、どうでしょうか」
「どうって。本名は名乗る気ないって事か」
「……そんな事は、無いです」
自慢するように偽名を名乗る彼女に苛立った俺は、つい声を荒立ててしまう。
理由はよく知らないが、管理局から追われているなら偽名の一つ言われても流しても良いだろう。
何ならカルパレさんも仕事などの都合で、そう名乗っているのだろうから。
理屈は通っているのに、見当の付かないざわつきが心の中を掻き立てていく。
そのざわつきも、次の瞬間には凪のように静まり返り、重く冷たく沈む。
「――■■■■。これで、どうですか?」
ハイリの口元は動いていたし、発音もしっかりとしていた。
その行為全てがノイズによってかき消され、俺たちの耳に入ることを拒絶する。
何も聞き取れず、唇の動きさえ記憶に残っていない彼女の何か。
彼女の本名なのは分かる。
だが断片すら許さず消されたのは、メダルの力なのか。
「これは罰です。しかも、とても温情な。皆と遊ぶゲームで自分一人だけチートを使う。そんな事をしたら、使っていたアカウントとかに罰則が下るのは当然でしょう?」
遊んでいたゲームでやっていた違反行為を、運営会社に見つかってしまった。
そんな軽いノリで説明されるには、名前が世界から弾き出されるというのは、異常事態すぎて頭を縦に振ることが出来ない。
「リツちゃん、シンリくん。名前なんて気にしなくても良いです。二人が私を認識できる、それだけで充分ですから」
「もしかして他の人には見えないとか、幽霊的な人なの? ハイリさんは」
「二人ほどハッキリと認識できないみたいですね。リツちゃんが言う、幽霊みたいに見えるみたいです」
他には人間の肉眼以外には映らないと、付け加えるハイリは一瞬だけ俺たちとは違う、明後日の方向へと視線を向ける。
「……管理局も私なんかより、他の人たちを気にして欲しいです」
「それは難しいんじゃないか? アンタがタイムパラドックスを起こせるメダルを持ってたら、誰もが探すのは当然だろ」
「持ってるも何もありますよ。ただ、今は手元にありません」
「手元に無いって、まさか無くしたのか」
時間を操るメダルがある。
その事実にがっつく俺にハイリが示した反応は、無言の注視。
意図が不明なまま俺を見つめるハイリは、ゆっくりと立てた人差し指を口元に当てて、いたずらっぽく笑う。
「もしかしてシンリくんは、誰かの時間を戻したいんですか?」
「……いっ、いや。戻したいというか、そもそもそんな事をしたら――」
「泉くんなら、別のホルダーを探した方が良いですよ。森川くんもそうした方が良いです」
虚を突かれて思わず捲し立てようとした所に、ハイリの追撃が重なる。
予想もしていない否定が胸を貫き、嫌な汗が全身から噴き出す。
悪寒が背筋を駆け抜け、震える唇がやっとの事吐き出した言葉は、見当違いの怒声だけ。
「何で……なんで、アイツらの事を知ってるんだ! まさかメダルを使ったのか!」
「メダルの力じゃないです。メダルを使わなくても知ってます。何があったのかも、あの二人の事も」
「お兄ちゃん、落ち着いて。今ハイリさんに怒鳴っても仕方ないよ」
「……っ! いや、だけど!」
頭では分かっているつもりだった。
アルカを前にしてメダルを俺に渡してくれたのは、今怒りをぶつけている彼女だ。
ハイリがいたからあの二人は命を取り留めて、俺も生きている。
「俺じゃなくて、何でアイツらを先に助けてくれなかったんだよ!」
妹に止められても収まらない理不尽な怒りを、俺はハイリへと吐き出していく。
泉を先に助けていたら、森川を先に助けていたら。
そもそもの話、俺たちがアルカと出会わなければ。
そんなもしもの話を語っても、どうすることも出来ない。
タイムパラドックスのメダルを使っても、どうにか出来る保証もない。
もしも、もしも、もしも。
無意味な過程を想像する俺の脳内は、込み上げる怒りの中で慈愛の微笑みを見てしまう。
「じゃあ使ってあげます。そうですよね。こんな世界、嫌ですよね」
「待って! 待ってください! 今のお兄ちゃんの言葉を鵜呑みにしないで!」
こんな世界。
アニメやマンガが浸透した今、そこそこの頻度で聞くようになった言い回しを、俺たちは冗談では済ませられなかった。
俺たちと同様にメダルを使う。
たったそれだけで時間を操れるのだから、今までにも行っていても不思議ではない。
今更になって、管理局がパラドックスのホルダーをどんな存在として扱っていたのか、俺もリツも直感的に理解する。
本来なら冗談で済む時間操作を、彼女は軽はずみに出来てしまう。
俺がして欲しいって言ったから、その一言だけで世界の時間は巻き戻される。
出来たかどうか分かるのは、ハイリただ一人だけ。
「ただし条件を一つだけ。言葉の上なら、そう難しい事じゃないです」
続いたハイリの言葉に安堵が漏れる音が聞こえ、俺たちの間に割って入っていたリツも腰砕けに座り込む。
俺も何処か安心した気持ちがあり、湧き上がっていた怒りは既に冷めきっていた。
今あるのは、複雑に絡み合った自分の本音。
何事も無かった日常か、それとも今を続けるか。
ドロドロに混ざり合った嘘偽りのない二つの気持ちは、何時まで経っても別れない。
「私をこの生き地獄から救ってください。有体に言えば――」
さっき俺とリツに認識されているだけで充分。
そう言っていた口で、地獄と称し始めたハイリはそのまま言葉を続ける。
「殺してください。手段は問いません」
日常的に使われることがある、非日常の言語を言い残して、ハイリは俺たちを置いて姿を眩ませる。
残された俺たちは言葉の意味を反芻し、理解できたかと互いに顔を見合わせ、深いため息を吐き出す。
訳の分からない少女に言い残された言葉を、飲み込み切れない俺は、まだ溶け切らない本音へ混ざる難題に、胃の痛みを感じていた。
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