夕食を食べ終えた俺たちは、ミア先輩にアルカの話題を出すのは危険だと判断し、一向にホルダーの話を踏み出せずにいた。
後は任せたと早々にリツは二階の自室へと戻り、取り残された俺は話を聞く方法を考えこんでいた。
下手にアルカを連想する話題を出して、先輩が殺気立った状態では俺が集中して話を聞けない。
でも俺たちがホルダーであるのなら最低限の説明は欲しいし、何より泉とリツのクラスメイトに渡されたメダルは何なのか。
メダルは自分に使うものなのでは?
あの時は本能のままに使ったが、俺のメダルも他人に使うことが出来るのか。
それに、メダルを使った時に見た少女はいったい――
「シンリ、どうかした?」
「えっ、ああいや。なんつうか、ホルダーの事をもうちょっと知りたいというか。俺、どっかで見たような気がする女の子にメダルを渡されて」
「女の子? どういうこと? ホルダーがメダルを発生させるのに、他人からの譲渡は無い筈だけど」
「……俺、このくらいの黒髪の子に渡されたんですけど」
ほんわかとした雰囲気に戻っているミア先輩から、冷えた緑茶が注がれたグラスを受け取りつつ、ふと思い出した少女を知っているか聞いてみる。
頭から腰辺りまであったと、身振り手振りで先輩に少女の容姿を説明するが、依然疑問を浮かべたまま。
黒い瞳は儚げに遠くを見ていて、回りくどい言い回しが印象的だったが、俺はあの時……いや、今思い出しても違和感を感じることが無い。
居て当然、むしろ疑問を感じる余地がある方がおかしいと思うくらいだ。
吊られた男に首を絞められた影響か、今の俺の頭はおかしくなっているのだろう。
「メダルを渡される前に、死にたがってる奴が過去に戻って、生きたがってる自分を殺したらどうなるかって言われたんですよね。その女の子に」
「突然なに。タイムパラドックスの話? ……パラドックス?」
「まさか先輩。思い当たる節があるんですか!?」
俺としては過去の自分が死ぬだけだろって思う話だが、タイムパラドックスという言葉は聞いたことがある。
SFなどで取り上げられる、タイムマシンを使ったらどうなるかって話だったか。
過去に起きたことを変えたら元々の時間はどうなるのか、消えるのか続くのか、詳しいことは俺には分からないがそんな内容だったと思う。
確かアイツは人それぞれとか答えていた気がするが、人に話を振っておいて適当に答えていたのだろう。
「ホルダーを管理している団体が血眼になって探している人の中に、そのパラドックスのメダルを持ってる人がいる」
「じゃあ俺が会ったのは、そのホルダーってことですか」
「たぶん。でもそれが本当なら、君には大人しくしていて欲しい。最悪の場合、二度とわたしたちに会えなくなるかも」
「怖すぎますよ、その脅し。……あの子、そんなに危険な奴なんですか」
「――……リョウタを簡単に起こすことが出来るぐらいには」
ミア先輩の一言は、俺の思考を止めるには充分すぎるものだった。
意識が戻らない泉を起こせる?
しかも科学が発達して、医療技術も格段に向上しているこの時代でも成し遂げられないことを、いとも容易く?
なんだそれ、おかしいだろ。
先輩の言い方的に衰弱死の寸前で命を繋いで、昏睡状態のまま何時目覚めるか分からない奴を、片手間に治せるって言ってるんだぞ。
「その話、嘘じゃないですよね。先輩」
「パラドックスの性質と、探している団体――管理局が優先的に探しているから、出来る可能性は高い。そもそもタイムパラドックスってそういうものでしょう」
「過去に戻って、泉が吊られた男にされなかったことにする。そういう訳ですか」
話が荒唐無稽すぎて、希望のある話なのに乾いた笑いがこみ上げてくる。
今俺が考えていることを口に出そうとすると、言い様の無い嫌悪感が襲い掛かってきて自分で否定したくなる。
あの時の少女ともう一度会い、泉を助けてくれと説得できれば全てが解決できる。
でもそこで起きるのは、理性と本能がキリキリと削り合う、一個人で決めきれない行為。
泉たちを助けられるのなら、それに縋りたい。
でも過去を変えることを俺たちの意思だけでやっていいのか。
「……先輩」
「パラドックスのホルダーを探す。だから手伝って欲しい。シンリの言いたい事はこんなところ?」
「流石、話が早いですね」
心の中に靄がかかりつつも、やるべきことを腹に決めた俺を、ミア先輩は肩を竦めて止めるどころか後押ししてくれる。
先輩の長所であり短所である、人が決意した事そのものには止めにかからない性格は、今までも世話になったし迷惑も被った。
泉がリツに告白を止めなかったのも、俺たちが中卒で職に就いたのも、親が家に居られない俺たち兄妹を世話してくれるのも。
相談し正面から受け取ってくれた先輩が、手を取ってくれたから。
俺の中で中学時代の先輩という関係以上に、感謝してもし切れない存在となっている先輩は、こういう時も手を取ってくれる。
例えその先が危険で、先輩自身は踏み込んで欲しくないと思っていても、君が決めた事ならと引っ張ってしまう。
そんな先輩だからこそ――
「こういう事でも、止めないんですね」
「止める勇気が無いんだよ、わたしには」
そんなこと無いですよと、自嘲するミア先輩に声をかけたかったけど。
本能に逆らえなかった俺は、心に残る靄を晴らせず緑茶の苦みを噛み締めるしかなった。
*
カーテンを閉め、照明を付けず真っ暗な自室で私はベッドで横になる。
お風呂は夕飯の前に入っているし、濡れた髪も乾かし梳いてある。
夏休みも始まったばかりだから宿題は後回しにして、ぼうっと左腕の端末を起動する。
仰ぎ見る天井に映し出されるのは、二枚のタロットカード。
女帝、そして吊るされた男。
「……嫌だな」
湧き上がってくる冷たいナニかを、一言で否定しても拭い切れない。
アルカという占い師を許せない気持ちが強いのか、泉さんを助けられなかった気持ちが強いのか。
自分でも整理しきれない感情は、頭の中をこれでもかという位にかき乱してくる。
「悪者が倒されて、ハッピーエンド。それで、それで……」
その続きはどうしても言い出せなかった。
みゃー先輩からホルダーとメダルの話を聞くまでと、聞いた後に考えていたことは、私の部屋に揃えられた本たちの内容のソレ。
アルカという占い師はメダルを悪いことに使っていて、私のメダルはそれを邪魔することが出来る。
みゃー先輩もアルカに怒っていて、お兄ちゃんもきっとそう。
だから三人でアルカを倒して、泉さんたちが無事回復すれば、元の日常へと戻っていく。
そんなことを考えていたはずなのに、タロットカードを見た途端に浮かんできたのは、物語に出てくる登場人物が見せていなかったどす黒いもの。
「そうだよね。悪者を倒すなら、そうしたいって思わないと無理だもんね」
人を助けたい気持ちは一杯ある。
でもそれと同じくらい、アルカを許せないし罰を受けて貰いたい。
そのはずなのに、みゃー先輩やお兄ちゃんがアルカと出会ったらどうなるかを考えると、その全てを否定したくなる。
「でも。そうだよ。まだ何も決まってない、始まってもいない」
あの人が言ってた通り、まだ結末は決まっていないし、ハッピーエンドを目指して走っていこう。
■■■■たちの背中を見てきた私なんだから、ここで諦めるなんて妹の名が廃る。
「――今、お兄ちゃんたちを思い浮かべたはずだよね」
病院暮らしのお母さんに代わって、バイトながら働き出した兄。
先輩のよしみだって言って、家に来ては家事を手伝ってくれるみゃー先輩。
思い浮かべたのはこの二人で合っているし、疑問を挟む余地は無い。
謎は無いのに謎が出来たと、腑に落ちない感覚にのた打ち回っていると、背中に硬い物が当たる感覚を覚え起き上がる。
「えーと。コレ、どういうこと? こんな簡単にメダルって出来ていいの?」
そこにあったのは、赤と青の半々に色分けされた一枚のメダル。
赤い側には小さい女の子、青い側には小さい男の子の後ろ姿が描かれていて、メダルの中央で二人仲良く手を繋いでいる。
迷いに迷っているから、森で彷徨う兄妹のメダルを使って導かれろと言うのだろうか。
このメダルは後でみゃー先輩に相談しよう。
そう決めた私がメダルを手に取ると、せっかく出てきたというのにそそくさとメダルは私の中へと消えていった。
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