辺りは漆黒の闇。
美乃黒市の夜景は山間に消え、明かりと言えるものは、時々佇むように光る僅かな街頭だけ。
そんな寂しい峠道を隊列を組んだバイクがヘッドライトを煌々と光らせ、爆音を谷間に響かせて走る。
僕はどういうわけか隊列の先頭から三番目を走っていた。
一番前はクラブの中でも比較的小型のバイクを駆る花凛。彼女のバイクは小さなタンクとハンドルの下から覗くサイドミラーが特徴的だった。
他のバイクが大きく弧を描いてカーブを曲がるが、彼女のバイクは切れ込むように鋭く突き進んでいく。
その後ろにはでっぷりと大きな車体にサイドカーを付け、陸の王者のように走る希羅。第二次大戦中のドイツ軍ヘルメットから、金色の尻尾が二本、風に煽られ、まるで火の玉のようだった。
そのサイドカーには、黒いジェットヘルメットにゴーグルを付けた愛留が、我関せずといった表情でモニターを見ながら銀髪をたなびかせていた。
ミラー越しに後ろを見ると、何十台ものバイクがヘッドライトを光らせ、等間隔で走る。
こうやって誰かと一緒に走っていると、何故だか言いようのない高揚感が身体を支配する。熱くなった身体に、夜風が心地よかった。
すると希羅がバイクを減速させ、僕と横並びになってくる。
「どう? 夜のツーリングは気持ちいいでしょ!」
「……思っていたよりも悪くないよ。確かに気持ちいいは、気持ちいい」
ちょっと思っていたのとは違って残念だけど。
それを聞いた希羅は、にかりと微笑んだ。
「でしょ? こうやって皆で走ってると嫌なこととか悲しいこと全部、風が吹き飛ばしてくれる気がするの。余計なものは全部無くなって、私だけが残るというか……そんな感じ!」
確かに彼女の言う通り、なんだか心のもやもやが晴れていくような気がする。
後方を走るメンバー達も皆楽しそうに笑い合いながら走っていた。
「それで、ここからどこに向かうの? だいぶ市街地から遠ざかってきたけど……」
「大丈夫、もうそろそろ着く頃だから! 大船に乗ったつもりで着いてきて!」
希羅は左手でサムズアップしてみせると、スロットルを開いて僕から少し遠ざかっていく。
彼女の背中に刺繍されたヘヴンズデビルのロゴマークが頼もしく見えた。
○
しばらく峠道を走ると、前方に開けた空間が見えてくる。
ウィンカーを出るのを合図に、その中へと入っていくバイク二台。それに合わせて、後方のメンバー達も次々とそれに従う。
きっちりとバイクを並べて止まるメンバー達。僕も同じ様に停めるとエンジンを切った。
辺りは静寂に包まれ、虫の鳴き声が聞こえてくる。
僕はヘルメットを外して、バイクを降りようとした時、真横に幽霊が立っていた。
「うおあっ!」
僕は転がりそうになるのをこらえて、幽霊を恐る恐る見る。
顔にモニターの光を当て、ぼうっと佇む愛留だった。
「びっくりした……なんだよ急に横に立って……」
「……ここで一緒に待ってろって言われてる」
「それは構わないけど、なんでまた? 何かあるの?」
「それは……教えない」
「……一応聞くけど、身の安全は保証されるよね……?」
「……君次第」
「頼むから状況に左右されない安全が欲しい」
愛留はしゃべり終えると、口をつぐみ、再びぼうっと佇む。
彼女はクラブメンバーのだれよりも薄い体つきで、良く言えばスレンダー。悪く言えば幼児体形。背は僕と同じくらいか、それよりも少し高い。目の前に立たれると、僕の目線は上向きになる。
小柄な体つきでグラマラスな花凛とは対極の存在だった。
彼女は僕がじろじろ見ているのに気がつくと、ぽてぽてと近づいてくる。
そのまま音もなく僕のバイクの荷台に座りパソコンを閉じると、すっと顔を前に向けたまま、微動だにしなくなる。
月光が、病的なまでに白い肌を浮かび上がらせる。その姿はまるで人形の様だった。
すると雪の様に白い頬が、少しだけぽっと赤く染まった。
「……あんまり見ないで」
恥ずかしそうな顔をして、横目で僕を見てくる。
「な、なんで?」
「……背高いのとか、気にしてる」
「ああ、だから座ったのかって痛たたたたたたた」
愛留が脇腹を思いっきりつねって来る。顔は相変わらず前を向いたまま。
「……デリカシー無い」
「ごめん……」
「……今日は特別に許す」
愛留が僅かに微笑むと、彼女の携帯電話が鳴った。画面を見ると、音もなく立ち上がる。
「……準備できたみたい。行こう」
すっと手を差し伸べてくる。僕は一瞬戸惑ったけれど、彼女の手を取った。
ひんやりと冷たい感触が伝わってくる。
そのまま愛留に引っ張られて付いていく。
到着した先は、展望台。
眼下には美乃黒市の夜景が広がり、まるで宝石箱を散りばめたように輝いていた。
僕がその美しさに目を奪われていると、突然背後で破裂音がする。それも一回じゃなく何度も。
驚いて振り返ると、希羅や他のメンバー達がクラッカーを片手に立っていた。
どこに隠し持っていたのか、頭にはパーティー帽をかぶっている。
「改めて、入会おめでとう! これからよろしくねっ!」
希羅がそう言うと、周りのメンバー達も続けて祝いの言葉を投げかけてくれる。端の方で花凛もなぜだか悔しそうな顔をして、口パクで何かを言っていた。
「あ、ありがとうございます……」
「あら、嬉しくないの?」
「いや、そういうわけじゃなくて、何が何やら……」
僕は頭に掛かった紙テープを手摘んで皆を見る。花凛を除いて、皆笑顔で僕を見ていた。
「だから、歓迎会よ。こうやって入会したメンバーには開いてるの。それにあんたはクラブで初めての男だからね。盛大にやらせてもらおうかなって」
「はぁ……男が入って何も争いがなきゃ良いけどな」
「……かーりーん? あんた、ほんと素直じゃないわね。圭太郎がバッジ取り返しに行ってる間、心配そうに外見たりうろうろ歩いてたりしたのわかってるんだからね?」
「ちちち、ちげえよ! 生徒会の奴らが乗り込んでこねえか心配してただけだかんなっ!」
「なんで純粋に祝ってあげられないのかしら。意地っ張りの極地ね」
「うるせえっての! もういい! 俺はみんなのバイク見てっからな! なんかあったら言えよ!」
そう言うとばたばたと走って行ってしまう。それを希羅はジト目で見送っていた。
「まったく、素直になればいいのに……ごめんね、悪気は無いのよ。優しくしてあげて」
「……骨とか折られない程度にがんばります」
「ん、ありがと。あの娘ほんとに可愛い子だから、ね」
その時、空気を読まずに僕のお腹が鳴る。
そういえば、朝ごはんから何も食べていなかった。
「あら、お腹空いてたの? それじゃ丁度良かった、色々一杯持ってきたから」
そう行って展望台に備え付けられていた机とベンチに向かう。
机の上にはサラミやシーフードのピザ、それにパーティー開けされたスナック菓子やジュースが所狭しと並べられていた。
「さ、じゃんじゃん食べて! それから、あんたのこと色々教えてよ! みんな興味津津なんだから」
「は、はぁ……もがぁっ」
気のない返事をした瞬間、近くの女の子がピザを口に突っ込んできた。口の周りにトマトソースがべちゃりと付いてしまう。
それを笑いながら写真を撮って見せてきた。間抜け面の僕が、驚いた顔で映っている。
思わず僕も笑ってしまった。
「ふふっ。やっと笑ったわね。びくびくおどおどした顔してたから、ちょっと心配してた」
「それは、その……ごめん。なんというか色々とはじめてのことだらけだったから」
「謝らなくっていいわよ。それじゃ、楽しみましょ」
希羅はコーラを投げると、前髪の向こうでウィンクしてきた。するとそれを合図に、周りの女の子達が僕を取り囲んで質問してきた。
出身はどこだ、とか、趣味はなんだとか、好きな女の子のタイプ、彼女にするならどんな子が良いか、どういう風にしたら男の子と出会えるのか、今の男の子達は何が流行っているのかとか……質問の殆どは色恋沙汰だった。
ふと、会長と副会長とのやり取りを思い出す。
彼女たちを悪の権化のような扱いをしていたけれど、ここに集まっているのはただ純粋に走りを楽しんで、恋に悩む思春期の女の子達しかいない。
確かに見てくれは完全にアウトローだけれど、それはあくまでファッションで、少なくとも誰かを困らせるようなことはしていなかった。
まあ、人を怯えさせる言動とか、バイクの爆音良いか悪いかは別としてだけど、それはただ単に不器用なだけであって……とにかく、悪い奴らじゃない。
女の子達は一通り会話を楽しみ終えると、それぞれが思い思いの場所でくつろぎ始める。
僕もぬるい夜風に吹かれ、展望台から夜景を眺めていた。
その時、肩をぽんぽんと叩かれる。
振り返ると、目の前には希羅。彼女は前髪を弄りながら薄く笑っていた。
「どう? ヘヴンズデビルに参加してみて」
「思っている以上に良かったよ。共学になったとは言え女子の比率が多いから、友達できるか不安だったけど、初日からこんなに一杯できたし。本当に感謝してる」
「あら、ちょっと違うわ。友達なんじゃないのよ」
「へ? どういうこと?」
すると微笑みから真剣な表情へと変わる。砕けた雰囲気は無くなり、母親の様な眼差しで見つめられる。
「それはね、仲間ってことよ。私達はこのロゴマークの元に繋がっているの……だから、あんたにお願いしたいのは、全力で彼女たちを守って欲しい。そしたら、私達もあんたを全力で助けるわ」
「……わ、わかった。肝に銘じておく」
一瞬、生徒会でのやり取りが過り、ちくりと胸が痛んだ。
「……って、何深刻そうな顔してんのよ! あんたなら出来るわよっ! じゃなきゃ入会試験だって受けさせなかったし」
希羅は表情を崩すと、笑いながら肘で小突いてくる。僕はされるがままに受け止めた。
「あ、そうだ。あんたに渡すもんがあったんだった。はい、これ」
思い出したように、ジャケットのポケットから、小さい何かを取り出す。
それは街頭の光を浴びてキラリと光った。
それは、ヘヴンズデビルのロゴマークがあしらわれたピンバッジ。
今日会長から受け取ったものとは違うデザインだけど、形や作りは全く同じだった。
「私達みたいな改造制服にしてあげたいけど、学校の中でいきなり目立って生徒会に目をつけられても困っちゃうしね。あんたにはうちのクラブの交渉役になってほしいから、しばらくは我慢して」
僕の手を取ると、やさしく乗せてくる。
その小さな見た目以上に重さを感じた。けれど、生徒会の腕章を受け取ったとき以上に喜びを感じた。
「あ、ありがとう。どこまでやれるかはわからないけど、頑張るよ、僕」
「ん、すっごく期待してるわ」
僕は早速受け取ったピンバッジをブレザーのフラワーホールにつけようとする。
「あれ……? うまく付けられないや」
「もう、不器用ね。ほら、貸しなさいよ……」
希羅は僕からバッジを受け取ると、髪を耳にかけて近寄ってくる。ふわりと汗臭さとは違った香りが僕の鼻孔をくすぐった。
目と鼻の先に端正な顔が近づき、艶のある唇に目を奪われた。
「うん……これで、よしっと。って、何、人の顔ジロジロ見て」
「いや……ちょっと近いなって思っただけで、その……」
僕は頬を掻いて、恥ずかしさを誤魔化す。すると希羅は顔を赤くして離れた。
「あ、ご、ごめん。意識してなかった。その、今まで周りは女の子だけだったし……」
「いや、こちらこそなんだかごめん」
「……は、初めてこんな風に男の子と関わったから、どうして良いかわかんなくて……じゃ、そういうことだから!」
「お、おう……」
それだけ早口で言うと、いそいそと離れていく希羅。
自分の顔に触れる。やけに熱を帯びていた。
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