翌日。
僕は授業を終え、ガソリンスタンドに向かうべく駐輪場への道を歩いていた。
空は昨日とは打って変わって、分厚い雲で覆われている。
予報では雨なんて言ってなかったけど、いつ降ってもおかしくない空模様だった。
駐輪場に到着して、ポケットから鍵を出そうとした時、それに気がつく。
整然と並べられたメンバー達の大きなバイクの影。そこに見覚えのある金色ツインテールをぶら下げた後ろ姿があった。
「……何やってんの?」
「きゃっ!」
制服を着た希羅は可愛らしい悲鳴を上げる。手から何かが落ちて金属音が響いた。
「な、なによ、圭太郎じゃない。脅かさないでよね」
「驚いたのは僕の方だよ。バイクの影でこそこそ動く姿があったから、てっきり泥棒かと思ったよ」
「ひどいわね、こっちはみんなのバイクを整備してあげてたっていうのに。随分な物言いじゃない?」
「整備?」
彼女の手から落ちたものに目をやる。そこには年季の入ったモンキーレンチ。さらに彼女の周りには様々な道具が工具箱の中から顔をのぞかせていた。
「そ。あたし達が乗ってるバイクは走ってるとネジ緩んだり、何もしないでいるとオイル漏れ起こしたりするから、そういうのが無いか見て回ってるのよ」
そう言いながらそれぞれのバイクのブレーキを握ったり、ネジの増し締めを行っている。
細かなところまで見落とさないように一つ一つ丁寧に確認をしていた。
「そうなんだ。随分と手がかかるんだね」
「この年代のバイク……いや、このメーカーのバイクは国産のものと比べると比較的おおらかな造りをしてるから、トラブルはしょっちゅうよ。ちゃんと細かなところを見てあげて、修理して……雑に扱えばすぐ機嫌悪くなるし」
「ふーん。なんだか、個性的なんだね。クラブのメンバーみたいと言うか」
「あら、言うようになったわね。今の花凜と愛留に聞かせたらどんな反応をするかしら」
「やめてよ、一、二を争うデンジャーな二人出すの。そんなことしたら嫌われるじゃ済まないから」
「ふふっ。二人はあんたのこと、嫌ったりはしないわよ。きっと拗ねるだけね」
「拗ねるだけ? いやいや、それじゃ収まらないでしょ」
片方は手のつけられない暴れん坊だし、もう片方はややサイコパスなハッカー。どう考えてもそんな可愛い反応だけじゃ済まないのは明白だった。
「そんなことあり得ない二人だったけれど、あんたに会ってから別人レベルで変わってるわよ。まったく、恋する女の子にしてくれちゃって」
タイヤの空気圧を確認しながら、呆れた目で僕を見てくる。
「待って、恋する女の子って、誰が誰に?」
「……はぁ、あんたはそういうやつよね。ま、せいぜい殺されないように立ち回りなさいよ」
希羅はメンバーのバイクを見終えると、今度は他の生徒のバイクに手をかけて点検し始める。
「あれ、それはクラブのバイクじゃないんじゃ」
「ついでよ。ついで。壊れたり調子がおかしくなる部分は大体同じだから」
「ひょっとして今までずっとそうして来たの?」
「まあね。原付きは車検ないから、故障してても気が付かずに乗ったりすることもあるから。乗ってる子が事故しないようにね」
「優しいんだね。見直したよ」
「べ、別に優しいとかそんなんじゃないから。ただ、誰かが事故起こしたら、バイク通学が禁止になるかもしれないじゃない。そうなるのは嫌なだけよ」
もくもくと並べられたバイクを点検していく。彼女が頬の汗を拭うと、油汚れが横一線に付いた。
僕は自分のバイクに鞄を置いて、彼女に近づく。
「僕も手伝いたいんだけど、いいかな?」
「なんで? 汚れるわよ? 手伝って良いことなんて何もないし」
「まぁ、なんとなく、かな。それに一緒にやればすぐ終わる」
「……そ。じゃあ、この荷台の裏側、ネジが緩んでるから締めてもらっていい?」
「はいはい、了解」
希羅と一緒に点検して回る。時々指示される以外は、僕たちの間に会話はなかった。
最後のバイクの点検を終えて、希羅が伸びをしながら立ち上がる。レンチで腰を叩いて僕に振り返ってきた。
「よーし、これでおしまい。しばらくは点検しなくても大丈夫ね」
「お疲れ様。これでもう行けるね」
「待って、まだ終わりじゃないわ。次はこっち」
そういうと、駐輪場の端にある物置を開ける。スコップやら、バリケード、コーンが積まれていた。
その中から箒とちりとり、バケツに雑巾を取り出して僕に渡してくる。
「最後に周りを掃除して終了ね。アスファルトの油汚れとか、できるだけで拭き取ってちょうだい」
「ええ!? ここの掃除も希羅がやってるの?」
「そうよ。どういう理由かしらないけど、生徒会がここの辺りの掃除当番を決めてないし、業者にも頼んでないのよ」
「なんでそんなことを……生徒が使う施設なのに」
「バイクに生徒が誤ってぶつかった時に、問題に成りかねないとかなんとか言ってたわね。本音は私達みたいな集団が気に入らないだけだろうけど」
「確かに格好は怖いかもしれないけど、別にそんなことないのに……」
「……副会長は私達のことワンパーセンターって呼んでるの。その意味わかるかしら?」
「どういうこと?」
「バイクに乗る生徒の99%は善良な人間で、私達はそれ以外ってことよ。あいつにしちゃ皮肉が効いた良いまわしで嫌いじゃないけどね」
自嘲気味に笑う。僕はなんだか怒りが湧いてきた。
「で、でも、駅前で生徒を助けたり、こうやってバイクを点検したり掃除したりしてるのになんで……酷いよ」
「仕方ないわね。理解してもらえないからってマイノリティーが声を上げても、非難されるだけよ。黙って正しいことし続けるしか無いわね」
そう言うと、手に持った箒で辺りを掃除し始める。近くを通った名も知らぬ生徒が、目もくれず通り過ぎていく。
僕は何も言わず、バケツに水を汲む。雑巾を浸してバイクの下のアスファルをを拭き始める。油汚れは完全に消えなかったけど、比較的マシになっていった。
しばらく二人で掃除をすると、見違えるほど、とは言わないが大分綺麗になっていった。
「うん、これくらいで良いかしら。はー、くたびれた」
近くの生け垣に腰掛け、手で顔を仰ぐ。前髪が汗でぺっとりと張り付いていた。
「道具片付けとくから休んでて」
「あら、ありがと、それじゃお言葉に甘えようかしら」
僕は物置に掃除道具を片付けて戻る。すると、希羅が僕の鞄を漁っているのが見えた。
「ちょ……な、何してんの?」
「えーと……あ、あった。これこれ」
そういうと飲みかけの水筒を取り出してくる。そして蓋を開けると何の遠慮もなく口を付けて飲み始めた。
「ぷはー。いやー喉乾いて仕方なかったわー。ありがと、これで潤った」
口を拳で拭いて、ずいと水筒を近づけてくる。
「ほら、あんたも飲むでしょ?」
「……」
僕は何も言わず、彼女のぷるんとした唇と水筒の縁を交互に見る。
「何? 勝手に飲んだこと怒ってんの?」
「いや、そうじゃなくて……その……」
「何よ、はっきり言いなさいよ」
「……間接……キス……」
「何? あんたそんなこと気にしてんの? 意外と純情なのね」
そう言うと、希羅は顔を真っ赤にしながら震える手で蓋を閉める。そのまま何事もなかったように僕の鞄へ無造作に突っ込んだ。
「いやいやいや、無かったことには出来ないから。何やってんの、返してよ!」
「うっさい、あんたが口つけなきゃ間接キスにならないでしょ!? これはこのままあたしが家で洗って返すわよ」
「ていうか、それ僕も口つけて飲んでるから、もう意味無いっていうか、時すでに遅しっていうか……」
「……あ」
それに気がついた瞬間、より一層顔が赤くなる。
そのまま数秒目が合ったままで居ると、希羅は突然、自分のバイクに跨がりエンジンをかける。
「ほ、ほら! ちんたらしてないで、さっさと、ガソリンスタンドに来なさいよ!」
それだけ言うと、重低音と共に走り去ってしまう。焼けたオイルの匂いだけが辺りに漂っていた。
「……まったく、恥ずかしいのは君だけじゃないんだけどな」
僕は原付きで走り始める。乙女坂を下り始めた時、水滴がポツリと顔に当たった。
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