ヘヴンズデビル

ナカシマハルカ
ナカシマハルカ

第一話

公開日時: 2020年9月1日(火) 07:00
文字数:3,918

 眩しい朝日が真新しいカーテンの隙間から差し込んでくる。


 僕は目を閉じたままスマホを探し当て、画面を開く。


時刻は六時丁度。


「……一時間も早く起きちゃったよ」


 ゆっくりと身体を起こす。アラーム予約を削除してベッドから身体を起こす。


 カーテンに向かい、両手で開くと、目の前にはキラキラと反射する水面。遠くには漁船やタンカーが滑るように行き交う。


 朝日を受けて見る太平洋は、これ以上に無いくらい輝いていた。


 僕は空と海の光を浴びて、背伸びをする。


 今日は僕の高校入学初日。


山と田んぼばっかりの、田舎のつまらない日常が今日から一変する。


 それになんたって一人暮らしだ。家族と離れ、僕一人。何をするにも自由。何も気兼ねがない。


 朝の静寂を楽しむと、んっと力を入れてキッチンに向かう。


昨日の夜の内に準備しておいた惣菜と炊きあがったご飯を弁当に詰め、鞄に放り投げる。新しい教科書の角が少し潰れた。


 今度は洗面台に向かうと顔を洗い、寝癖を直す。代わり映えしない、僕の顔が、ニヤけて映っていた。


「……女の子が多い高校って聞いてるから、身なりを整えておかないと……」


 僕が入学する高校は、私立神代山高校。


 昔はお金持ちのお嬢様ばかりが集まる女学院だったらしいけれど、少子高齢化の影響を受けて、女子校から共学に切り替えたそうだ。

 そうは言っても名門女子校のイメージは強く、全国から頭の良い女生徒ばかりが受験するせいで、男子生徒の比率は全体の1%くらいで、全然いない。ししゃもやアンコウのオス並に存在が薄いらしい。


 そんな学校に良く受かったもんだと家族は喜んでくれた。


……問題が難し過ぎて、鉛筆転がして受かったなんて口が裂けても言えない。


 僕は糊がまだ効いている制服に袖を通す。ダークグリーンを基調としたブレザーに、赤いネクタイ。


 姿見に、見慣れない僕を映して、全身を確認する。


「よし、大丈夫そうだな。指さされて笑われるようなことだけはごめんだからね」


 腕時計を見ると時刻は八時。片道三十分の通学だ。


 僕は新しいローファーに足を通し、玄関を出る。


鍵をかけ、アパートの階段を降りて駐輪場に向かう。


 幾つもの自転車がずらりと並んでいる一番右端。そこに、入学祝いで買ってもらった原動機付き自転車があった。


 まだ傷も付いていないピカピカのカウルが海と同じ青色に光り輝く。


 家族は新聞配達の人が使っているようなタイプで良いのかと聞いてきたけど、このレトロな感じがわからないみたいだった。


 僕はそれを駐輪場から出し、汚れのないシートに跨る。ヘルメットを被り、イグニッションにキーを入れ、ブレーキを握りながらスタータースイッチを押す。


 ぎゅるぎゅると何度か音がした後、排気管の音を立てて四ストロークエンジンがパタパタと動き出した。


 深呼吸を一度して、潮の香りを肺いっぱいにいれる。


クラッチを一速に入れて、アクセルを捻った。


 気持ちの良い加速と共に、アスファルトの上を走り出した。

 

 

 僕が引っ越してきたのは隣の県にある美乃黒市。


 今走っているところは、市の中央にある駅を挟んで南側に位置する場所。


 こちら側は昔から漁業や海運業を営んでいる人達が多く、どこか人情のある下町風情が残っていた。


街の人達は日が登る前に海へ出て、朝日と共に帰り、日が暮れれば皆眠ってしまう。


そんな理由で、この街の居酒屋は朝から開いていて、店の周りには酔っ払った男の人達がたむろしていた。


 あまり治安が良くないように見えるけど、別に命の危険を感じるようなことは引っ越してから一度もなかった。


 早朝から活気にあふれ、曲がりくねった細い商店街を通り抜けていくと、正面には美乃黒駅が見えてくる。


 美乃黒駅はここらでは一番大きなターミナル駅で、ここから更にローカル線が網の目のように張り巡らされ、色んな地方都市や町、村へと続いていく。


 駅の隣には、見上げると首が痛くなるようなマンションがどすんとそびえ立っていた。


 そして駅の周りには色々な飲食店やデパートが立ち並び、美乃黒市をオシャレな地方都市として彩っている。


 僕は駅の高架橋を潜り、バスやタクシーでごった返すロータリーを通り過ぎ、市の北側に入っていく。


 この辺りは家の一軒一軒が大きく、芝生が綺麗に生え揃った庭や、見たこともない高級車が並んでいる家が幾つもあった。


 南側はごちゃごちゃしたイメージだけど、北側は整然と並ぶ家々が何をしなくとも威圧しているように感じた。


 けれども、道は広く、碁盤の目のように整備された区画はとても走りやすい。


振動の少ない道を走っていると、ふと、目が止まる。


僕と同じ色合いの制服を着た女の子が、エプロンを付けた母親に送られて、家から出てくるところだった。


 あたりを見回せば、同じ様な格好の女の子がちらほら見えてくる。


 どの女の子も皆芸能人になれる位の容姿で、思わず脇見運転をしてしまいそうになる。


 頑張れば、僕だって彼女いない歴=年齢をついに卒業出来るときがくるかもしれない。


 自然と高まる鼓動をなんとか抑えながら、北側の高級住宅街を抜ける。


すると、目の前には山肌に沿って真っ直ぐに伸びる坂。


その坂は、元女学院の生徒が列を成して登っていたことから、乙女坂とも呼ばれているらしい。


 そんな乙女坂を登るには四つの方法がある。


 一つ目は、徒歩で登る。これを選ぶ人間はかなり少数派だが、運動部の人が体力づくりで利用するらしい。


 二つ目は、麓にある学校のバスに乗って頂上にある学校まで行く方法。ただし、小等部、中等部、高等部の人たちが一堂に集まるため、学校指定のバスには乗れず、しかも場合によっては遅刻する可能性もある。お金がかからず、比較的エコロジーな方法。


 三つ目は、家族の運転する車に乗って学校まで行く方法。ブルジョワな方法で、僕みたいなプロレタリアートにはまったくもって関係ない。


 そして、最後、四つ目。


それはバイクによる通学だ。


 といってもこれはあくまで方法の一つとして許可されているというだけで良いところのお嬢さん達は、僕のようにバイクで通学することはほとんど無いらしい。


 だから汗をかいて登ったり、狭いバスで窮屈な思いをしたりすることなく、スマートに学校へ行けるというわけ。真夏や真冬、雨や雪の日以外は。


 僕は鼻歌を歌いながら、乙女坂に差し掛かる交差点で止まる。


 バスを待つ女の子達を横目で見ながら、かっこつけてアクセルを吹かしてみる。


 今の自分は、控えめに言って相当イケている。そんな気がしてきた。


 ちょっと顎をしゃくりあげ、アウトローっぽさを演出する。


しかし、それは突如聞こえてきた。


 初めは遠くで聞こえていたそれが、段々と地響きの如く近づいて来る。


 ミラーを見ると、後方から陽炎と共に黒い影が近づいてきていた。それも一つじゃない。無数に、犬ぞりの様に、列を成して。


 閑静な住宅街と朝の爽やかな空気を震え、淀ませ、爆音を上げながら何台ものアメリカンバイクが、信号待ちをしている僕を囲むように停車した。


 あまりの連続した重低音のアンサンブルに、僕の身体と小さなバイクが震え上がり、車体のネジが緩むどころか、僕の鼓動さえも狂わせそうだった。


 何でも無いフリをしながら。ミラー越しに乗っている人たちを恐る恐る盗み見る。


 バイクの上には、自分の身体以上大きなバイクに乗った女の子達が、周りの女生徒たちと同じダークグリーンの制服を着崩していた。


「……嘘だろ、神代山高校の子たちだ……」


 どの子もコスプレかなにかかと思うほど髪は奇抜な色に染め上げており、とても名門女学校に籍を置く生徒達には見え無い。


怪物を思わせるような車体からぶら下げた鞄には、鉄バットや木刀、バールのような物が差し込まれていた。


 唖然とした表情でミラー越しに観察していると、サイドカーの付いたバイクに乗った、金髪の女の子と目が合った。


といっても、前髪は目元をすっかり隠してしまっていて、本当に目があったかどうかはわからない。


けれど、彼女は僕が見ているのがわかったのか、きれいに生え揃った白い歯をむき出して見せて来た。


即座に目を反らすと、今度は横に付いたサイドカーから鋭い視線を感じる。


見ると、フードを目深に被った銀髪女の子が、睨みを利かせる様に目を細くして僕を見ていた。


完全に目をつけられた。


明らかな威嚇行為に背筋が凍る。僕は視線を歩道側に向けて、何も気が付かなかったふりをする。


しかしのしかかるような重低音が、じわりじわりと近づいて来ていた。


気のせいかと思ったが、身体にぶつかる音圧が次第に強くなっていく。


まさかと思い、一瞬だけミラーに目をやる。


するとどういうわけか、周りのバイクが車間距離を詰めながら僕ににじり寄ってきていた。


皆、目を細めて、明らかに僕を品定めするような目つきになっている。


鉄バットがキラリと光り、僕の背中に冷たい汗が流れる。


僕は恐怖心を抑え、意識を信号に向ける。


あの信号が青になるのが早いか、それとも、僕が血祭りに上げられるのが早いか。


何かされる前に土下座してしまったほうが良いのではないかと思った瞬間、信号が青になる。


それと同時にウィンカーを左に入れ、走り出す。


スロットルを思いっきり捻って、法定速度内で最高速度を出し、一気に離れていく。


 ミラー越しに後ろを見ると、厳ついアメリカンバイク達は轟音を響かせ、一斉に坂を登って居た。


 けれど安心は出来ない。


 連中は坂を登ったと見せかけて、安心した僕をゆっくり追い詰め、罠にはめて食い殺すんだ。きっとそんな連中に違いない。


 僕は乙女坂から離れるように走り、路地を右へ左へと抜けていく。どこへ逃げようとも彼女たちが武器を持って追いかけてくる姿が頭にちらつく。


恐怖にかられ、しばらく走った後、ふと我に返る。


「……ここ、どこ?」


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