僕の眼の前には、重そうな両開きの扉。黒地のドアプレートに金色の字で生徒会執務室とだけ冷たく書かれている。
扉の横にはカメラ付きのインターホン。レンズはピカピカに磨かれ、僕のげんなりした顔が歪んで写っていた。
あの後、殴られるのを覚悟でガレージに戻り、どこへ行けば良いのかを聞いた。すると愛留がとことこと寄ってきて、生徒会と、ある人の名前だけ伝えてくれた。
僕は今日何度目かわからない重い溜息を吐いて、インターホンを押す。
聞いたことのない上品な鐘の音が鳴った後、少し間を置いてからマイクの繋がる音がして、女の子の声が聞こえた。
「……はい、どちら様でしょうか」
この声は、副会長だ。名前は……わからないけど。
「えっと……今日入学した鳴河ですけれども、飛針世羅会長は居ますか?」
「アポイントメントはお持ちですか?」
「あ、いや……それが持ってないんですけど……」
「……アポイントメントが無ければ、会長とお会いすることはできません。それでは」
「あ、ちょ……」
それだけ冷たく言うと、がちゃりと切られてしまう。
あんまりな対応に心が折れかけるが、ここで折れてしまったら最後。花凛に、物理的に身体を折られかねない。
前門の虎、後門の狼なのは明白だった。
僕はもう一度自分を奮い立たせて、インターホンを押す。すると、再び副会長が出てくる。明らかにめんどくさそうな声で。
「あの……会長に合わせて欲しいんです。大きな声では言えない話がありまして……」
「荒手の脅しですか? 風紀委員か警備員、どちらか呼びますよ?」
「いやいやいや、そうじゃなくて! その……ヘヴンズデビルの件なんですけど」
それを伝えた瞬間、副会長の唸りがスピーカー越しに聞こえてくる。
「……彼女たちと会長は、なんの関係もありませんよ」
「いえ、そのあるはずなんですが……」
「絶対に無いです。本当に警備員呼びますよ」
そう言ってどこかへとダイヤルする音が聞こえてくる。
「ちょ、ちょっと待って! だって会長はヘヴンズデビルのメンバーだったんですよね? メンバーだった証のバッジを持っているって、知ってるんですよ!」
僕が慌てて言うと、ダイヤル音が止まる。
がちゃりとインターホンが切れると同時に、生徒会室のドアが音を立てて開く。
僅かに開いた隙間から、副会長が冷たい目でこちらを見ていた。
「あなた、なんでそれを知っているんですか?」
「……ちょっとしたコネクションというか、偶然というか、本当はこんなことしたくないというか」
「いくら欲しいんですか」
「別にお金がほしいわけじゃないんです。ただそのバッジを預かりたいだけで……」
「……待っててください。大人しく、口にチャックして。良いですね」
返事をする間もなく、バシンと音を立てて副会長が中へと消えていく。
しばらく時間が空き、僕がドアの横に座り込もうとした時、ようやく扉が開いた。
不機嫌そうな顔のまま、副会長が再び顔を出す。
「入ってください」
「会長に会えるってことですか?」
「早く入らないなら閉めますよ」
「わかりましたよ、入りますって……」
僅かに開かれた隙間へ潜り込む。
室内は普通の教室のサイズと変わらなかった。
けれど明らかに違うのは机の代わりにオフィス用のデスクが所狭しと幾つも並び、パーティションで遮られている。それぞれの半個室となったデスクに生徒が座っていなければ、どこかの会社かと思えるくらいの設備だった。
デスクの森の中を副会長の先導の元、部屋の奥へと歩いていく。
「……凄いところですね。まるで学校じゃないみたいです」
「学校内外での活動はここで全て執り行っています。基本的には教員たちの指導の元という体で行っていますが、理事会直属の部署で、教務部と同格ですからね」
「それじゃあ先生たちと同じってことですか」
「まあそういうことですね。と言っても別に顔つき合わせて戦う相手ではなく、この学校を運営していく上での仲間みたいな位置ですが」
「……これじゃあ確かに選抜試験があって当然ですね……」
「そうでしょう。内情も知らない人物が、ただ右手を上げただけで参加出来るような場所ではないのです。ましてや、その最高責任者である会長にアポイントメント無しで会えるなど到底ありえないことなんですからね」
「……肝に銘じておきます」
副会長の嫌味を受けながら歩いた先にガラス張りの個室が見えてくる。ドアには、カッティングステッカーで生徒会会長室と描かれている。
副会長は眼鏡を一度くいっと上げて、ピカピカに磨かれたドアを軽くノックする。
どうぞ、と耳障りの良い声が聞こえ、副会長がドアを上げる。
中には会長が一枚板の大きな机に向かい、これまた大きな革張りの椅子にちょこんと座って、手元の書類を読んでいた。その顔には、赤く細いフレームの眼鏡がかけられている。
一歩踏み出すと、書類から目を上げて微笑む。
「あら、わざわざ来てくれてありがとう、鳴河君。それと入学おめでとう。歓迎するわ」
「え、あ、どうも……」
会長は席から離れて僕に近づくと、満面の笑みで手を差し出してくる。僕は手汗で汚れたままの手で、彼女の陶器のような肌の手を握り返した。
「会長、その様に席を直ぐ離れてしまうのは威厳の損なう行動かと」
「あら、いいじゃないの。ちょっと歩いたくらいじゃ、威厳はどっか行ったりしないって」
「生徒会全体の品位や格式を損なう恐れがあると言っているのです。それに彼は招かれざる客な訳でしょう? 速く席に戻ってください」
「はぁ……わかりましたよ、わかりました……本当にハードボイルドなんだから。あ、鳴河君、これに座ってね」
そう言うと近くにあった高そうな椅子をズルズルと引っ張ってくる。
「ですから会長! 私の言っていたことが聞こえてなかったんですか!? そういったことはしないでください。彼に椅子は必要ありません!」
「んもー、別に宣戦布告しに来たわけじゃないんだから良いじゃないのよ……まあ、もう出しちゃったから、ここ座って。あ、それから飲み……ものはまた別の機会でいいかな?」
副会長と目があったようだ。見なくても彼女がどんな表情をしているかわかった。
「え、ええ、大丈夫です、問題ありません。気を使っていただいてありがとうございます」
会長はぶすったれた表情で自分の席に着く。
副会長が部屋を隠すようにカーテンを閉め、照明を落とすと会長の隣へと音もなく近づいた。
「……それで、ヘヴンズデビルのことだっけ。どこでその話知ったのかな?」
「えっと、その……希羅って人からです」
「ふーん、彼女とそんな話が出来るなんて……鳴河君、実は凄い人なのかな?」
「いや、別にそういうわけじゃ……その、なんというか色々な手違いがありまして……」
僕はそう言うと、昼間の出来事を伝える。生徒会に入りたくて校舎内を探し回ったこと、やっと生徒会役員を探したと思ったら、ヘヴンズデビルの連中に間違えて参加を申し込んでしまったこと。
「そっかあ……それは災難だったねえ……」
「……単なる馬鹿じゃないですか。救いようがない」
会長は悲しそうな表情をしてくれているのに、副会長は呆れた顔をする。
「ま、まあそういうわけで、貴方の持っているバッジを取り返してこいと言われまして。もし何かの手違いで持っていらっしゃるのであれば、良ければお返しいただけると僕の首が繋がると言いますか……」
僕は両手の指を合わせながらしどろもどろにお願いする。会長は腕を組み、うーんとうなり始めた。
「まあ、そういう理由なら返しても良いんだけどねえ……なんというかこれは私にとっても大切な物というか、最後の切り札と言うか……なんというか……」
「会長、渡さないのであれば、即お帰り頂いてもらってもよろしいのでは」
「まあまあ、そう急かさないでよ。ちゃんと渡すからさ」
「え? 渡してくれるんですか?」
僕が素っ頓狂な声を上げると、会長は鍵のかかった引き出しから小さなバッジを取り出し、机の上に置く。
それは、今のヘヴンズデビルのロゴマークと少し違い、骸骨が祈りを捧げる女性に変っていた。
「じゃ、じゃあ、遠慮なく……」
立ち上がり、机の上に置かれたバッジに手を伸ばす。金属の冷たい感触が指先に触れた瞬間、ばっと会長の手が伸びる。
避ける間もなく、僕の手が会長の手に捕まってしまう。
驚いて少しだけ引っ張るが、会長は僕の手を掴んだままだった。
「な、なんですか急に!」
「……お願いがあるんだけど、良いかな? 聞いてくれるよね?」
眉毛をハの字にして、上目遣いで聞いてくる。その仕草にドキッとしたが、悟られないように目を反らす。
「なんですか、お願いって……」
「鳴河、会長はお願いと優しく言っていますが、生徒会的に言えばこれは業務命令です」
「業務命令って言ったって、僕は生徒会役員じゃないし……」
僕は困惑しながらそう言うと、副会長は手元から何かを取り出し、机に放った。
それは生徒会役員だけが着用を許される、赤い腕章。
「もしそのバッジを受け取れば、貴方は生徒会役員として登録されます」
「ななな、何言ってるんですか? ぼぼ、僕が生徒会役員?」
「そうです。貴方はこれから、ヘヴンズデビルに潜入する生徒会役員として業務を行ってもらいます」
時が止まる。
副会長の言葉の意味がわからず、何度も反芻する。
「……ちょ……ちょっと待ってくださいよ。潜入するってどういうことですか。僕はこれを渡したらできるだけ彼女たちから距離を置こうと思っていたのに」
「いいえ、そのまま彼女たちの中で実績と信頼を積み上げて、内部情報を我々に報告してください。そうすれば、あの連中を壊滅させることができます」
「そんな……僕はどうなるんです? あんな危険な連中と一緒にいろ? しかも信頼を築けだなんて何馬鹿なことを……!」
「悪い話じゃないと思いますが。神代山高校の生徒会役員にしかも、一年から入れるなんてあり得ないことなんですよ。大学受験や就職活動で有利に働くと思うんですが」
何言ってんだこの女は。冗談も大概にしてほしい。いくら自分の学歴に箔が付くからって、身の安全と引き替えにできる訳がない。トカゲの尻尾みたいな扱いをしてくるなんて酷すぎる。
そんな気持ちを知ってか知らずか、話を続ける副会長。
「いいですか、これは神代山高校全生徒の信頼や治安に関わってくることなんです。それが適任なんですから光栄に思ってください……とにかく、バッジが欲しいなら協力を」
「そんな、僕が断れないのを知って卑怯ですよ!」
「そんなことわかってる……!」
僕が声を上げたのと同時に、会長が静かに、そして強く呟く。
すると、会長ははっとした顔をして、僕を見た。
「……ごめんなさい、急に大声出して」
「いえ、別に大丈夫です。こちらこそすみません……」
「……ちょっとだけ昔の話をしてもいいかしら?」
「え、ええ……構いません」
「……あのね、彼女たちは元々ちゃんとしたクラブだったの。生徒会に認可されたオートバイクラブとして」
「で、でも今じゃそんな面影は」
「そうなの。その……とある事件があって、彼女達はあんな風に変ってしまった。それは全部私の責任。仲直りをしたくても、全てが悪い方向に転がって仲直りどころじゃなくなくなった」
会長の手が震えている。彼女の目から雫が一滴頬を伝っていくと、僕の握った手に落ちた。
「……鳴河君、貴方、希羅の顔見たかしら?」
「見ました。その、会長と似ていると言うか、生き写しと言うか……」
「そう……彼女は、希羅は私の双子の妹。なのに、今は顔を合わせるどころか話すこともままならない」
弱々しく小声で呟く。僕を迎え入れてくれた時の元気な会長の姿は無くなっていた。
「そんな気がしていました。けれど、ヘヴンズデビルの連中に会長のこと聞いたらもの凄く怒ったんです……事件って一体何があったんですか?」
「そ……それは……」
「鳴河、それは凄く個人的なことに踏み入っています。それも土足で人の部屋を荒らして家具を破壊する位の」
「で、でも……その理由を知りたいと言うか」
「でも、も、何もないです。いずれ知る時が来るだろうし、こちらから話す時が来るでしょう。でも、今じゃない。これはとてもデリケートな問題です。生徒会だけじゃなくヘヴンズデビルにとっても。今日会ったばっかりの貴方には教えることが出来ない。ただそれだけです。おわかりいただけますか?」
ぴしゃりと言い切られる。眼鏡のレンズが反射して、目は見えない。
僕は胸のもやもやをなんとか飲み込んで胃に収めると、左手で会長の手を取る。
「わかりました……協力します……」
「……あ、ありがとう。君はいい人だねえ……惚れちゃいそうだよ」
「ええ!? そ、そんな……恐縮です……」
思いもよらない人から、思いもよらない一言を貰って顔が熱くなる。
涙を拭っている会長に、再び副会長は容赦なく口を挟む。
「会長、安易にそんな事を口に出してしまっては相手に無用な希望を与えるだけです」
「……もう、そんなこと言って。本当にそう思ったからそう言っただけです。私の感情までコントロールしようとしないでよね」
「生徒会を正しい方向に導く。それが私の役目です……さ、鳴河、もう話は終わりです。さっさとバッジと腕章を持って出ていってください。会長はまだ仕事が残ってるんですから、早く席について書類整理の続きを」
副会長は、僕と会長の手を無理やり解くと、退室させようと背中を押してくる。
「え、あ……ちょっとそんな強く押さないでくださいよ……!」
「いいからさっさと出てってください。仕事の邪魔ですから……ああ、それと近い内に報告書を提出してください。ちゃんとあいつらの悪事を詳細に記載してくださいよ。じゃなければ貴方を生徒会に入れた意味無いですから。それじゃあよろしく」
それだけ言うと、僕は勢いよく押し出される。
文句を行ってやろうと振り返ると、ガチャリと鍵が閉まった。
ガラス張りの部屋にはカーテンが掛かったまま、何もかも隠して、沈黙を保っている。
手の中の腕章は、くしゃくしゃになっていた。
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