装甲歩兵戦記

北米大陸脱出(ノースアメリカ・エクソダス)
高宮零司
高宮零司

第5話 飛行艦『飛鯨』

公開日時: 2020年12月11日(金) 18:22
更新日時: 2020年12月11日(金) 18:27
文字数:3,514

            9月11日07時35分(ルフト・バーン標準時)


 ルフト・バーン王国の最東端に位置する大きな三日月型のサマー・タイ湾の湾中央に出来た港湾都市、ク・フィーリア。細長いチータ半島とアッシリーア半島が突き出しているため、波の影響を極めて受けにくい天然の良港だった。

 ルフト・バーン語で『赤銅の街』を意味するこの街は、この大陸がまだ異世界にあった頃から軍港都市として栄えてきた。

 地球へとルフト・バーン島大陸が地球への『大転移レフ・ポール』を遂げてから、この街は元々の規模をさらに上回る発展を遂げた。

 アメリカと対立を深めていた同盟国、日本にとってこの軍港都市は米領ミッドウェー島まで百キロもなく、またハワイをも航空機の航続距離に納める地政学的要衝チョークポイントであったからである。

 日本はルフト・バーン執政府と交渉を行い、この軍港都市の未だ荒れ地に過ぎなかった一角を租借することに成功した。

 日本人は条約通りルフト・バーン人を雇用して整備を進め、一次蟲戦の混乱で中断があったものの昭和22年1947年に軍港を完成させた。

 完成した軍港は新編された帝國海軍第八艦隊の母港となった。

 帝國海軍にとって計算外だったのは、仮想敵国としていた合衆国の衰退であった。

『ノバスコシアの虐殺』に代表されるBUGの侵攻によりニューヨークや五大湖工業地帯を失った合衆国に、太平洋に構っている余裕はなかった。少なくとも、帝國情報局や統合軍令部軍事情報局はそう分析していた。

 それからというもの、日本海軍にとってク・フィーリア基地(通常はKF基地という略称で呼ばれる)は、ルフト・バーンとの親善友好と外洋訓練のための母港としてのみ活動してきた。 

 その状況が変化の兆しを見せ始めたのは、つい最近の事であった。

 史上三度目の北米におけるBUGの大規模侵攻によって、パナマが陥落したのだ。

 予想されていたより早かったBUGの休眠期が終わり、活動期間が始まった。

 まだ生態に謎の部分が多く残されているBUGだが、十数年から二十数年に渡る休眠期が存在することは確かな事実だった。この休眠期がなければ人類が滅亡の憂き目にあっていたことは想像に難くない。

 ちなみに複数の地域にわたってBUGが同時期に活動期に入ることは希とされている。

 ともあれ、補給物資の集積や兵力の前線配置が中途半端な状態のところへ侵攻を受けた合衆国軍は大混乱の最中であった。

 戦線が各所で突破され、民間時の避難すら覚束ないありさまだった。

 その象徴がパナマ陥落である。

 北米において大西洋と太平洋を結ぶチョークポイントであるパナマ運河の喪失により、合衆国軍の反攻戦略は頓挫しつつあった。特に大西洋からパナマを経由して届けられる補給物資輸送船『ロンドン急行エクスプレス』が届けられなくなったのは痛手であった。

 プライドの高いギュンター大統領が国際連盟軍に出動を要請したのも、パナマ陥落の衝撃が大きかったとされる。

 まだ大西洋側に残存していた合衆国の軍艦や民間船舶は、多くがBUGによる侵攻にさらされていない南米諸国へと落ち延びていった。

 彼女たちの一部はホーン岬を越えて太平洋側へ抜ける航路へと向かっていたが、それに多くの時間を要することは明らかだった。

 それに加え、国際連盟加盟国が危惧したのはパナマが南米からの補給物資を受け入れる、物資集積拠点でもあったことだった。

 東テキサス油田をはじめとした資源地帯を急速に失いつつある合衆国にとって、そこに積み上げられた物資は文字通りの生命線であったからである。

 そのうえ、水棲型や両生類型のBUGが太平洋方面へ進出することも危惧されており、それは徐々に現実のものとなりつつある。 

 そんな最中、KF基地は再び拡充の一途をたどっていた。

 熱核動力空母や、超弩級戦艦などの十万トン超級の艦艇を収容するドックも数多く建設され、帝国海軍艦隊の作戦行動を支える拠点となりつつあった。

 そのKF基地へ向かう空路上にその「艦」はいた。

「おもーかーじ、ヨーソロー」

 海軍譲りの抑揚がついたその声とともに、操舵員が舵輪を回す。

「微速前進、目標KF基地飛行艦連絡橋」

 バリトンが航海艦橋に響く。

 朝陽を反射する海面が艦橋と外界を遮る強化ガラス越しに見える。

 顎鬚を蓄えた降矢ふるやゆたか艦長は、部下たちの動きに満足げな顔で頷いている。

―輸送機から転任になった時はどうなるかと思ったが、まあこのフネも悪くはないな。

 彼らが乗っているのは、帝國航空宇宙軍所属の哨戒飛行艦「飛鯨ひげい」である。

 飛行艦という「艦種」は、理力石の活用によって生まれた。

 理力石を揚力として用いることが出来ないか、という研究は王国との同盟関係が成立してからすぐに始まっていた。

 ルフト・バーン人が『人形』にしか用いていなかった『理力石』の動力化研究は、日本人たちの好奇心をくすぐるテーマであった。

 それは王国の魔法技術と帝國の工学技術を融合した新たな研究分野、『魔法工学』を生み出すきっかけともなった。

 『理力石』の出力安定性向上に技術の進展を待たなければならなかったし、艦船を動かすような大出力化には困難だと思われたが、日本人たちは諦めなかった。

 熱核反応炉の研究に匹敵するほどの予算と人員が割かれたのは、石油の禁輸措置を経験したエネルギー自給への渇望がもたらしたものだ。後世の歴史研究はそう分析している。

 その成果が帝國航空宇宙軍が採用に至った飛鯨級哨戒飛行艦という訳だ。

 海洋国家であり広大な海上通商路を守らなければならない帝國は、航続距離が長く長期間の哨戒任務にたえる航空機を必要としていた。

 ヘリウム型飛行船よりは大型化でき物資搭載量ペイロードも優秀な飛鯨級は、たしかに帝國に必要なフネであった。

 武装も105ミリ榴弾砲二門、40ミリ機関砲二門を搭載し、空対地誘導弾や精密誘導爆弾も搭載可能と貧弱ではない。

 対空戦闘はさすがに無理だが、ガンシップとしての運用は可能であった。

「ようやく到着ですか。どうも時間がかかっていけませんなあ」

 艦長席の脇から、瀬戸孝三がさして魅力的とも言えぬ顔を出す。

 あからさまに嫌な顔をする艦長の様子を、まるで気にした様子はない。

 長旅をともにした乗員達も、ほぼ例外なくこの男のことを嫌っていた。

 軍服を着ていながら、瀬戸の発する雰囲気は軍人のそれではなかった。

 かといって政治家や官僚でもなく、ぬえのような不気味な印象だけを人に与えた。

「舵もどーせー!」

 航海艦橋から見渡す風景に、これまで青一色だった風景が一変し、異国情緒漂う港町の風景が見えてくる。街の名前の由来となった赤銅色のレプ・タート鉱石から作られる煉瓦の色が美しい。

 そんな街を、小型飛行艦が行き交っているのがゴマ粒のように見えている。地球のどの都市とも違う不可思議な風景であった。

「民間航空機に留意せよ」

「KF基地航空管制より通信。付近を飛行中の民間航空機なし。着橋に支障なしと認む。なお、南南西の風、風速4メートル、気温摂氏24度」

「了解。降下開始。降下速度は微速」

「降下微速了解」

  広大な敷地を誇るKF基地のど真ん中にそびえる飛行艦連絡橋が見えてくる。

 四角形のビルから四方に橋が延びているような構造で、飛行艦を停泊させるための施設だった。

 飛行艦は大型で場所を取るため、オーバーホールなどの大規模メンテナンスの必要がない時は、この連絡橋に停泊することになっていた。

  掩体壕で防御すべきという意見もあったが、「滑走の必要もなく、機関始動も時間はかからないのだから、空襲時は空中待避する」という見解が出て沙汰止みになったという。

「アンカー射出準備よろし」

「連絡橋アンカー固定完了。ラダー下ろします」

  手際よく連絡橋で待ち構えていた作業員がアンカー固定作業を滞りなく行い、乗降用ラダーが下ろされる。

 「それじゃあ、僕は王国からの出迎えがありますので、よろしく。皆さんは本日から本来の任務に戻ってください」

 瀬戸は艦長にそれだけ言い残すと、艦橋を出て行く。

 艦長は帰ってくるなという視線をその背後に向けた。

 無論、瀬戸がそれを気にする様子は微塵も見られない。

「何者なんですか、ありゃ。そもそも帝都から王国までなら、普通に輸送機に乗った方が早いでしょう」

 たまりかねたように、副長が言葉を吐き出す。

「それが何も情報がなくてな。上はとにかく文句を言わずに王国まで送り届けろとの一点張りだ」

 艦長の返答に副長が目をむいて驚く。

「通達があろうとなかろうと、さすがに人づてに噂程度は入ってくるものだがな。ずっと国際連盟軍に出向していてそれもなしだ」

「何者なんですか」

「まあ気にしないことだな。軍隊には知らないで済むなら知らない方がいい事の方が多いものだぞ」

 降矢艦長の言葉に、副長はなんとも納得がいかない顔でうなずいた。

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