デンバーが陥落したのは、第二旅団が再編成を始めてから三日後の事であった。
帝國陸軍を中心とした国際連盟軍は多大な犠牲を払いつつ、デンバー市民の完全避難を達成した。少なくとも、戦後に出るであろう公刊戦史にはそう記載されることになっている。
もちろん、そこには不幸にも避難の途中に戦闘に巻き込まれて死亡した市民は含まれていない。
撤退命令が出るまで戦い抜いた帝國陸軍部隊は、どうにかギリギリ組織的な撤退を成功させた。
とはいえ、正直な評価としてはかろうじて全滅の憂き目だけは避けられたというところが本当のところであった。
無論、航空宇宙軍の新品少尉、剣藍那にはそんな陸軍の苦闘や政治的な背景までは知らされていない。
しかし、上官たちの雰囲気でそれとなく察してはいる。
だが、空の上ではそんな些末な事は関係ない。
慣性の法則と冷酷な重力が支配する空は、そんな人間の思惑が介在できる場所ではないのだから。
とはいえ、男性社会だった戦闘機搭乗員の世界に、藍那のような女性が進出してきたのはまさに政治の産物であった。
主な理由は対BUG戦争で多く失われた搭乗員を補充するという目的だが、それ以上に国際連盟軍のプロパガンダ要員という要素が強い。
男女ともに人類の脅威であるBUGへと立ち向かうというストーリーは、帝國でも最近徐々に増えつつある男女同権主義者に受けが良かった。
「初陣の感想はどうだ、剣少尉?」
航空無線越しに話かけてきたのは、彼女の上官である舟木大尉だった。
彼女の所属する北米派遣飛行戦隊隷下の第二独立飛行戦隊第二中隊の指揮官であり、また経験不足の藍那の僚機を務めている。
「さあ、どうですかね。敵に接触もしていないのに初陣と言われましても」
藍那は搭乗している六十二式戦闘機『閃光』の涙滴形風防越しに北米の蒼穹を眺めながら応えた。
第5世代戦闘機として対飛行型BUG戦闘を前提に設計された、帝國航空宇宙軍の最新鋭主力戦闘機だった。
菱形が特徴的な主翼と水平尾翼二枚、垂直尾翼二枚を持ち、機体前部は少しばかりずんぐりとしたフォルムをしている。
航空宇宙軍仕様の青灰色に塗装された機体は、見るからに新世代機らしく見えた。
前世代の三十八式戦闘機『荒鷲』が徐々に退役するとともに更新が進んでいるが、まだすべての部隊には行き渡ってはいない。対BUG戦闘が頻発する世界とはいえ、予算の制約は常に存在するからだ。
「つれないねぇ。そういえば陸の方には兄貴がいるんだって?」
彼女はそう素直に答えたつもりだったが、彼女の上官はそう受け取らなかったらしい。
「どこで聞きつけたんですか。正確には従兄弟です。まあ父が養父なので、兄と呼んではいましたが」
「ふぅん、複雑だねぇ」
空の上で、戦闘前に私は何を話しているのだろう。
藍那はそんなことを思ったが、一応は上官なのでそうそう邪険にする訳にもいかないしなと思っている。
「鷹の眼1より、カミナ1へ。真方位0―4―6、距離45000に感多数あり。今後、飛行型BUG群B1と呼称する。迎撃されたし」
四十七式警戒管制機から、電波探信儀で飛行型BUGを見つけた報告が入る。
藍那は無線から聞こえてきた敵の存在に、思わず身を固くする。
たいていのことには動じない彼女だが、さすがに初めての実戦の前には緊張を隠せない。
思えば先ほどのくだらないことこの上ない会話も、この緊張をほぐしてやろうという配慮なのかもしれない。
いやどうだろう。
さっきの中尉殿の態度はあまりに素ではなかったか。
「聞いた通りだ。これより我が航空隊は飛行型BUGとの空戦に入る。あくまで我々の任務は後に続く爆撃機や飛行艦の露払いだ。深追いは厳禁とする」
藍那は自らが搭乗している『閃光』の搭載電波探信儀が敵機の反応を捉えた事を示す警告音を発する。
同時にBUGが発する大出力の捜索電波を検知したことを警告する表示が搭乗席右側面の液晶画面に表示される。
BUGが電波探信儀に相当する器官を備えていることは、戦闘機乗りにとって常識であった。
だからこそ、第5世代戦闘機である五十二式戦闘機は低観測性能を備えた戦闘機
として設計されている。
「カミナ1より各機へ。これより迎撃戦闘を開始する。まずは重たい四十七式長射程誘導弾を放ってやれ」
編隊各機から了解を示す反応が返ってくる。
藍那も事前のシミュレーション通りに接触感知式操作卓を操作すると、四十七式を選択する。
搭載電子計算機が四十七式警戒管制機の指示する割り当て目標にロックオン。
こればかりは物理釦式の発射釦を押し込む。
機体の武装格納庫が開き、四十七式が発射される。
一般人の空中戦闘のイメージと異なり、第5世代戦闘機の戦いは基本的に最初に見つけた者が勝つというのが基本原則だ。
これは敵が飛行型BUGであっても変わらない。
空中を住処とする以上、異世界起源生物であろうが物理法則からは逃れられない。
魔力を持つ存在であるBUGであっても、重力を無視した機動ができる訳ではないのだ。
あまりに静かな時間が流れた後、藍那の優れた視覚がヘルメット越しに空中に爆発の炎をいくつも捉える。それは常人にとって米粒より小さなものに過ぎなかったが。
「鷹の眼1より、カミナ1。BUGの撃墜数、およそ16。BUG群B1、残数24。飛行経路変わらず。邀撃戦闘を続行されたし」
警戒管制機からの冷静な声が届く。
距離が遠すぎてほとんど実感がないが、確かに飛行型BUGが長距離誘導弾で撃墜されているのだろう。
藍那自身が放った誘導弾が命中したのかまでは分からないが。
特段の感慨はなかった。
ただ警戒管制機からの指示に従って目標を決定、発射釦を押しただけなのだから。
これからの空中戦闘ではどうだろう、と藍那は思った。
BUGを駆除することに、罪悪感めいたものは覚えない。
なにしろ、墜とさなければ自分が死ぬのだし、相手は人類の天敵たる異形の生物なのだから。
「さて、カミナ6。これからが本当の戦闘だ。まずは敵を墜とすことより、墜とされないことだけを考えろ。ケツはおれが抱えてやる」
「それ、セクハラですよ。査問委員会送りになりたいんですか」
「それが言えればたいしたものだ。ついてこい」
舟木中尉が戦闘機動を取るのに従い、藍那は操縦桿を倒しながらそれに続いた。
冷酷な重力が支配する空に、『響』噴進発動機の轟音が響き渡る。
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