「青軍右翼第4装甲歩兵中隊、損害判定。赤軍大型甲蟲による被害度乙と認む」
八木は気を取り直すと、傍らの剣に報告する。
いかなる個人的な反感を抱いているとはいえ、奴は上官なのだ。
いまいましいことに。
それに剣という男は人間的には褒められたものではないが、野戦指揮官としては嫌味なくらいに有能だ。
ここ一週間、ほぼ休息無しと言っていいほどの密度で行われている野戦演習で、八木はそれを肌で感じ取っていた。
演習場のど真ん中に張られたこの天幕には、中隊の指揮要員のほとんどが集まっていた。
彼等の中心には、戦況図を表示した大型液晶受像機を睨んでいる剣がいる。
それ以外の受像機は、実際の演習の映像を映し出していた。
演習統裁官を務める彼は、鉛筆と突発的要因を再現するためのサイコロを握っている。
その様子は檻の中をうろつきまわる熊に似ていた。
「…対空戦車小隊、動きが鈍い!蟲はこっちの都合で動いちゃくれんぞ!」
剣は無線機のマイクを取上げると、遠慮なく怒鳴りつける。
「は、申し訳ありません」
無線から、不満そうな小隊指揮官の声が返ってくる。
八木は彼に心ひそかに同情した。
「対空戦車小隊、敵大型飛行蟲による空襲により全滅!以降、青軍の防空修正は無し。八木、分かったな?」
八木は絶句し、書類挿みを危うく取り落としかけた。
いい加減慣れて来たつもりだったが、やはりこの人の無茶苦茶さにはついていけない。
真底そう思いながらも、八木は叩き込まれた軍人根性で頷き返す。
「了解。以降、青軍の防空修正は適用されません」
「何か不満があるという顔つきだな」
剣の言葉に八木は、はっとして顔に手をやる。
「言ってみろ。責めはせん」
八木は意を決すると、剣の目を見据えながら反論する。
「状況設定が滅茶苦茶です。それにたただでさえ、編成されてまもない中隊なんですよ。おまけに装備しているのは、評価試験を終えたばかりの新型。だいたい、所属する大隊の司令部すら到着していないとか無茶苦茶だ」
「貴様、我々が何のために演習をしているか、分かっていないらしいな」
小馬鹿にされた思いで、八木は剣を睨み返す。
―俺は士官学校出だぞ。一般大出《地方人》のあんたに演習のイロハなぞ教えてもらう義理はない。
思わずそう言い返えしそうになり、八木は口を押さえる。
陸軍も昭和の御代とは異なり、一般大学出の将官も珍しくなくなっている。
とはいえ、士官学校を優秀な成績で卒業したというプライドは、八木のプライドの根幹なのだった。
「蟲どもとの戦いに定石はない。下らん常識や観念論などドブに捨ててしまえ」
「ですが…」
「貴様は戦場を知らん。俺は知っている」
八木が黙り込むのを横目で見ながら、剣は議論は終わりだとばかりに手を挙げる。
「この程度では魔女の大釜とは言わん。左翼第5機動歩兵小隊、飛行型BUGによる爆撃により被害判定甲、全滅!」
「無茶苦茶だ…どうなっても知りませんよ」
「この程度でどうにかなるくらいだったら、蟲どもになど対抗できん。だが、怪我だけはさせるな。ここは演習場だからな」
「八木中尉。無駄です、言っても聞きませんよ」
いつのまにか側によってきていた来栖麻耶軍曹がしたり顔で忠告する。
思えば、このチェシャ猫を連想させる怪しげな女性下士官も謎の存在であった。
自分とさほど年の変わらぬくせに、先任下士官として剣を補佐している。
おまけに自分よりよほど身長が高く、見下ろされるのが気に食わない。
大陸で同年齢の下士官たちに倍する戦闘経験を積んでいるという話だ。
それにしても 妙な配置であることには変わりがない。
兵どもを統括する立場にしては、態度が軽薄すぎるように思えた。
多分、嫌がらせでまともな下士官を、まわしてもらえなかったのじゃないか。
八木はそう推理していたが、当たらずとも遠からずといったところだった
そんなことよりも、自分に対しまるで姉のような口を聞いてくるのが気に入らなかった
八木は心中で感じている理不尽さを顔に出さぬよう煩悶しつつ、眼前で展開している演習に目を向けた。
思えば部隊の配置や、指揮系統も奇妙だった。
他部隊との連携という意識が希薄で、完全な独立戦隊としての運用を考えているように思えたのだ。
支援部隊の充実ぶりは、予算不足に常に悩まされている陸軍では奇跡に近いほどだ。
恐怖に近い感情を覚え、八木は呻いた。
ろくでもない中隊長、装備しているのは未だに実戦で使用されたことのない新型。
大隊司令部はおろか、大隊長が誰かすらわからないという異常事態。
おまけに兵たちは、お互いつい先日まで顔も知らなかったような連中とくる。
俺の預かり知らぬところで何かが蠢きつつある。
ええい、不快なことに俺はただの一中尉で、そんな情報に接する資格をもたない。
八木は頭を振り、その考えを振り払おうとした。
―俺は軍人だ。命令には疑問を持たず、黙って自分の仕事をするだけだ。
だが、その八木の決意に水を差すかのように、演習の戦況に大きな変化が現れた。
突如、青軍左翼の森から、新たな『赤軍』部隊が出現したのだ。
事前の演習配置図には無かった部隊だった。
「馬鹿な。どうなっている?」
八木は戦況図を食い入るように見つめると、ついでカメラ映像に目を向ける。
カメラには予想していなかった方面から急襲されて慌てふためく青軍と、赤い旗をくくりつけた巨人の姿が見える。
「あれは、『武越』。増加装甲を装備した後期生産型か」
武隆の前の世代にあたる装甲歩兵だった。
旧型機であるため武隆に比べていささか鈍重な印象を与える機体だが、そのぶん信頼性は高い。
それに、白兵戦での膂力は侮れぬものがある。
「詳しいですね、八木中尉。もしかしてマニア?」
来栖がからかうように茶々を入れる。
「馬鹿なことを言わんでください。少しばかり真面目に勤務していれば嫌でも分かります」
八木はむっとして言い返す。
「自分はあの兵器のカタログデータを覚えるしか能のない、馬鹿どもとは違う」
八木にとり、装甲歩兵の最高速度や旋回半径を諳んじることに血道をあげる連中は唾棄すべき存在であった。
彼らも彼らで、落ちこぼれ軍種である陸軍に対し、軽蔑する傾向にある。
「…刺されないように注意された方が良いですよ、中尉。彼らは軍にもいるんですから」
八木は麻耶の皮肉に、歯軋りせんばかりの勢いでにらみ付ける。
奇襲効果から立ち直れていない青軍は、見る間に残り僅かな兵力を打ち減らされていく。
―これも、予定していた展開なのか?
そう問いたげな視線に答えるように、剣は口を開いた。
「敗北でこそ、軍隊はその真価を問われる。俺が考えているのはそこさ」
八木は剣の顔を思わず見つめるが、剣は、眉一つ動かしてはいなかった。
「勝ち戦は馬鹿でも出来る。数を揃えらえさえすれば、そうそう優勢は動かないからな。劣勢でも損害を最低限に抑え、上手に負けられるのが本当の軍人だ」
その言葉に、八木は内心頷かざるを得なかった。
「確かに。ですが、一方的に叩かれるばかりというのは…」
「忘れたか?そういうお手盛りの訓練ばかりやっていたばかりに、帝国軍は一次蟲役で大敗北を喫したのだぞ」
八木は今度こそ黙り込まざるを得なかった。
「それに、今度の派遣先はおそらく北米だ。この程度など可愛いものだぞ。ニュースくらい見ておらんのか」
剣の珍しく深刻な口調に、八木の顔は蒼白なものとなる。
「敵の数が数だ。補給もろくに見込めない撤退戦だ、地獄の釜の蓋が開くぞ」
どこか楽しそうに、剣大尉は哂う。
-どこが中隊長だ。獄卒の間違いじゃないのか。
八木は心の中で悪態をつきながらも、戦慄していた。
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