眼前に広がるのは何もない空間だった。
床、壁、天井の区別もつかないほどに、真っ白な空間が広がっている。
ここは……、一体、どこなんだ?
俺は困惑しながら、自身の手を見る。そして、驚愕した。
長い年月を経て、多くのしわが刻まれたはずの手は、潤いと張りのある肌で覆われていた。まるで、若かりし頃に戻ったように。
鏡でも見て、自分の顔を確認したいと思った。その途端に、何もない空間から姿見が現れる。
何の前触れもなく表れた姿見に驚いたが、そこに映った自分の姿を見たことで、さらなる驚きによって上書きされる。
「本当に、若返ってるよ。多分これ、二〇歳くらいのときの姿だよな」
独り言を呟くと同時に、現れた姿見は消えていった。
自分の若返った姿を見て、俺はあごに手を当てて考え込む。
俺はすでに齢八〇歳を超えたご老人だったはずだ。足腰も弱くなって歩くのもきつくて……。最近は、家のベットで寝たきりの生活をしていたはずだ。しまいには、意識も朦朧としてきてて……。
と、ここまで考えたことである結論が頭をよぎる。
「もしかして……、死んだのか……?」
朦朧とはしていたものの意識はあった。
その意識が、あるときプツンと切れた感覚。若返っている自分の姿。現実味のない真っ白の空間。あなたは死んで、ここは死後の世界なのですよ、と言われるのであれば納得ができる。
「そうか……。ついに死んだんだな、俺は……」
死んだという事実は、すんなりと受け入れることができた。
寝たきりになったころから、そろそろ限界かもしれないとは思っていたし、生前の後悔とかそういったものもない。
俺は幸せな人生を過ごすことができたと自負している。
といっても、生まれてから死ぬまでずっと順風満帆だったというわけではない。苦しいと感じることもあったし、死にそうな目にあったこともある。
俺は田舎の農村の生まれだった。子供のころから両親の手伝いで畑を耕し、村を守るために自警団に入団した。
午前中には農作業をし、午後は自警団の仲間と剣の稽古に勤しむ。そんな毎日を過ごしていた。
転機となったのは、一八歳の春。
神様のお告げを受け、人々を救う救世主に選ばれた。
田舎の農村にいた俺にはあまり実感がなかったが、当時大陸の半分は、魔王率いるモンスターどもによって支配されていた。魔王軍の手によって、悲惨な最期を迎えた都市も少なくなかったという。
俺は苦しめられている人々を救うために、救世主として戦った。
救世主である俺に与えられた『選ばれしもの』という反則級の能力と、旅の中で出会った仲間たちの力を借りて。
そして、魔王を打倒し人々を救った。
これを機に、人々からは英雄と呼ばれるようになった。
魔王を倒してからは、共に戦った仲間である魔法使いと結婚し、余生を故郷の農村でのんびりを過ごし天寿を全うする。
「死んだってことは、また神様とお話しできるのかな? だとしたら、お告げのとき以来になるな」
お告げのときは右も左もわからない状況だった。でも、今、神様と話すことができるのであれば、俺は胸を張って言うことができるだろう。
あなたに言われた通り、人々を救うことができました、と。
独り誇らしげに首を縦に振っていると、何者かが視界に入ってきた。
精悍な顔つきをした少年だった。年は、俺より二、三歳下だろう。黒髪と赤いマントが特徴的だ。
「あれ? ボクは死んだはずなのに……」
不思議そうな顔をして少年が言う。
「確かに、私も死んだはずだが? ここは一体どこなのだ? 皆目見当もつかん」
背後から低めの声がした。俺は振り返る。
そこには、金髪碧眼の青年が立っていた。おそらく俺よりも年上。まるで、騎士団員の正装ような服装に身を包んでいる。
少年と青年は、姿見と同じように突然に姿を現した。しかし、本人たちの意思ではないのだろう。二人の困惑した様子から、そう推測できた。
「俺も死んだと思ったらここにいたんだ。おそらくだけど、ここは死後の世界ってところじゃないかな?」
三人が向かい合うような位置に移動しながら、俺は言った。
「死後の……世界……」
「ほう……。ここが死後の世界というやつか。何もなくてつまらなそうなところではないか」
二人とも死んだという自覚はあるようで、取り乱すといったことはない。
少年は、若干戸惑っているところがあるようだ。一方で、青年は物珍し気にあたりを見回す。そして、その視線が俺に向けられる。
「ところで、貴様は誰だ? そっちの小僧もだ。名乗れ」
青年が俺と少年を交互に指差しながら言った。
「俺はルーカス。これでも生前は、救世主として人々を救った英雄だ」
自分自身を英雄ということに、こそばゆさを感じはしたが嘘ではない。神様にだって、胸を張ってこう言えるのだから。
「ボクはクロト。生前は、勇者として世界を救った英雄だよ」
クロトと名乗った少年も英雄だったようだ。
「ルーカスとクロトというのか。二人そろって英雄とは面白い!」
そんな俺たちの話を聞き、青年は笑い出す。
「私はレオンという。奇遇だな。私も生前は、史上最高の天才と呼ばれ、人々から称賛された英雄なのだ!」
レオンと名乗った青年は誇らしげに胸を張る。どうやら、この青年も英雄らしい。
しかし、死後の世界にて偶然出会った三人が、皆、英雄とは偶然もいいところだ。
死後の世界にて英雄たちが出会う確率というのは、一体どれほどのものなのだろうか。決して高くはないだろう。わからないけど……。
もしかしたら、クロトもレオンも、俺と同じ境遇なんじゃないか?
同じように神様のお告げを受けて、人々のために戦って……。そして、一生を終えてここに来た。同じ境遇であるのなら、死後同じ場所を訪れるということもあるかもしれない。
もしかしたら、神様が俺たちをここに連れてきたのかも。
と思ったが、当然答えはでない。肝心の神様からのお声がけもない。
こうして出会ったのも何かの縁。せっかくだし、二人と生前の話でもしてみたい。
共感してもらえる部分も多いだろうし、俺が経験しなかったような面白い話も聞けるかもしれない。
「あのさ……」
俺が声をかけると、二人が俺の方を見てくる。
「こうして出会ったのも何かの縁だし、せっかくだから少し話でもしないか? お互い英雄として成し遂げたこととか、苦労したこととか色々とあると思うし。二人の話も聞いてみたいなって思ってさ」
俺が提案すると、レオンが不敵に笑う。
「いいだろう! 死後の世界にて英雄たちが出会ったというのも、神のお導きかもしれんな。私の成しえたことを貴様たちに話すのも、また一興」
レオンは手を広げながら、そう言った。思った以上にノリノリだ。
「ボクもいいよ。他の人の話は聞いたことない。興味ある」
表情が変わらないので感情が読めないが、クロトも提案に乗ってくれた。
「ありがとう。それじゃ、早速、話始めようか」
俺が言うと、真っ白の空間が拓けていった。
辺りは、快晴の空の下に広がる大草原へと変わる。草原の上に三脚の椅子が向かい合わせに配置され、中央には円形のテーブル。テーブルの上にはティーポットと三つのティーカップがおいてあり、どうぞ、くつろいでくださいと言わんばかりの状態だ。そして、適度な温度。心地い風が俺の肌をなでる。
これは貴様のやったのか、とでも言いたそうな目でレオンが見てきた。だが、俺じゃないと首を横に振ったことで伝わったようだ。
「どこの誰のおかげかはわからんが、気が利くじゃないか。紅茶でも飲みながらのんびりと語らおう」
そう言って、レオンが椅子に腰かける。俺とクロトも後を追うように腰かけた。
三人それぞれがカップに紅茶を入れ、一口飲む。
「じゃあ、まず何の話からしようかな?」
こうして、英雄の座談会が始まった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!