雨が止むのを祈りながら、ゆっくり外へ行く支度をする。仕度をしている内に止んでくれと祈りながら。
レインコートに着終えても、小雨が降っている。願いは届かなかったようだ。
こんな時、いつも思う。僕は神の子なのに、どうして願いが叶わないのだろうと。
鍵と傘を持ち外に出て、エレベーターで屋上に向かう。
この時が一日で一番嫌な時だ。
誰かと乗り合わせてしまったら、たいてい不審な目で見られる。お母さんはそんな輩の、下賤な視線など気にするなと言うが、そう割り切れるものではない。
早朝のエレベーターは人がいないことが多い。今日も誰も乗っておらず、取り敢えず安堵の息が漏れた。
このまま、停まらないで屋上まで行ってくれ。
エレベーターは止まらずに、一定のリズムで階を示す数字が上がっていく。
先ほど叶わなかった僕の願いが今度は叶い、誰にも会わずに屋上に着いた。
屋上に出るドアには鍵がかかっているが、僕はいつもどおり、お母さんから貰った鍵でドアを開け屋上に出る。
雨はだいぶ弱くなっているけれど、雨粒が小さいらしく舞うように降っている。レインコートだけでは顔がずぶ濡れになってしまう。
傘を差し、屋上のフェンスに寄りかかって座る。座り心地は悪いけれど、我慢するしかない。
これからの時間が長く感じる。
時間は一定に過ぎていくものではなく、退屈している人には遅く過ぎるようになっているのではと疑ってしまうほど、今から昼までが長く感じるのだ。
これから夕方の六時まで、僕は家に戻るのを許されていない。
このマンションから出るのも許されていない。
要するに、屋上に詰め込まれているのだ。
家にはセキュリティーとして監視カメラが設置されており、約束を破り家に戻ったら、すぐに分かるらしい。
外に出ても、携帯のGPS機能で、どこにいるかはすぐに分かるらしい。
二つの話が本当かどうか分からないが、後の話は信憑性が高い。
屋上に携帯を置き外に出るのを防ぐために、一時間に一度、確認の電話がかかってくるのだ。
学校に行ってるときは、学校に拘束されている気分だった。
今になったら、その拘束がとても有意義なものだったと思える。
授業を受ければ知識が増える。何より、教えてくれる先生や一緒に学ぶクラスメイトがいた。
学校が終われば友達とサッカーをやったり、ゲームをやったりした。
それが、今は一人だ。
自由な時間が増えたけれど、行動が拘束されている。
僕は生きているのだろうか?
それとも、この世に存在しているだけで、生きているとは呼べないのではないか?
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