風景はこの一週間変わっていないので、僕はなるべく同じ位置、同じ角度のポジションを探した。車椅子を停めた場所にマークをしているわけではないので、これは記憶と感覚の問題だ。
おそらくここだろうとポジションを決め、現在見える風景と、書きかけの下書きを見比べる。
ほぼ同じだ。ここで良いだろう。
おそらくここ以上の場所、角度は見つかりそうにないので、ここで決まりと踏ん切りを付ける。寸分狂わずに同じ場所を選べるはずはないのだ。多少の妥協は仕方がない。
絵を描くのには集中力がいる。まだまだ未熟だからか、余裕を持って絵を掻くことができず、僕は全神経を描く作業に集中させる。
…
……
………
気がつくと、二十分経っていた。
早いものだ。
もう少し描いていたいけれど、そのもう少しのせいで不審な人物だと怪しまれたら厄介なので、仕方なく帰ることにする。
二十分なんて、驚くほどあっと言う間だ。カップラーメンを食べるのに二十分待てと言われたら気が遠くなるが、絵を描くタイムリミットが二十分は短すぎる。
商店街から住宅街に移動すると、途端に生活感が漂ってくる。
多くの家の窓から、光が漏れている。窓に光が灯る家の住人はほとんど起きていて、その一つ一つにそれぞれの生活がある。
時折楽しそうな笑い声が聞こえたりする。時間が時間なので、子供を叱る声は聞こえなかった。
被害妄想だと分かっているが、どの家も幸せそうに感じた。家族全体が仲良く結束し、困ったときは相手を補い、嬉しいときは喜びを分かち合う。全部がそんな温かい家庭に思える。
もちろん、そんなはずはないと自覚している。ただ、僕と明日香の仲ほど険悪な関係は少ないだろう。
夜の散歩は好きだけれど、住宅街は悲観的な考えが頭を支配する割合が多いので、あまり好きになれない。
やはり、静まり返った商店街に限る。
角を曲がりながら改めて実感していると、曲がった先の前方に若い女性が歩いているのが見えた。
まだ終電が終わっていないこの時間、住宅街を歩いていて人と出会うのは多くはないが、珍しくもない。
しかし、この女性は珍しかった。
突然立ち止まったのだ。
立ち止まり何かをするのではなく、ただ立ち止まるだけ。
何もしていないのは後ろからでも分かる。
両手をたれ下げ突っ立っているだけだから。
僕は、少し怖くなった。それは女性が殴りかかってくるのではないかという恐怖ではなく、女性が叫びだすのではないかという恐怖。
こんな体でも僕は男だ。静まり返った夜道で女性が恐れても不思議ではない。
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