それ以外の会話は一つもなかった。
一時間おきにある確認の電話は、いつも憂鬱にさせる。
何でもいいから会話がしたかった。最近、僕達の間で交わされるのは会話ではなく段取りと確認のように感じる。
感情のこもった言葉を、お母さんから聞いていないし、僕自身、お母さんに発していない。
僕が感情をこめてお母さんに何か言えば、この問題は解消されるのだろうか?
無気力のまま無の境地に達するかもと思っていたか、どうやら逆らしい。僕はただボッーとしているのは苦手らしく、絶え間なく思考を巡らしてしまう。
巡らせる思考は、いつもお母さんとの関係と、僕の将来についてだ。
難しい問題なので、簡単に答えは見つからない。
答えが見つからないので、堂々巡りで終わってしまう。
故に、思考は尽きることがない。
そんな毎日だ。
時間が進んでいく。雨が上がり、強い日差しが差し込むようになってきた。
精密機械のようにきっちりと、お母さんから確認の電話が入る。
その電話は、やはり確認の電話以外に何もなかった。
静かな朝、微かに元気な声が聞こえた。
元気な声だから、屋上まで聞こえたのだろう。普通の声だと、ここまでは届かない。
女性の声で「いってらっしゃい」と聞こえ、次に、その声より少し小さい声で「いってきます」と返事が聞こえる。
毎朝聞こえるこの会話が、僕は好きであり、憧れていた。
簡単な会話だけれど感情に満ち溢れ、仲の良さがダイレクトに伝わってくる。
きっと、この二人は喧嘩もし、仲直りもするのだろう。
僕とお母さんの関係とは正反対だ。
意気地なしだから、喧嘩をするのが怖い。
僕の方から感情のこもった言葉を発することが出来ない最大の原因だ。
時間が進んでいく。ただ、それだけ。
いや、それだけではない。時間が進むに連れ雲が移動し、陽の当たる角度が変わっていく。
何より、空腹がひどくなっていく。
宗教が関係しているのだろう、食事は晩御飯一食になってしまった。
育ち盛りの僕にとって、これは一種の拷問だ。
腹時計では時間が計れないので、携帯を見てみる。
時刻は十二時半を示していた。
そろそろだ。
そろそろなのに、まだまだのように感じる。楽しみな時間は意地悪だ。
それからの四十分は、本当に長く感じた。時間を見ても、壊れたのではないかと疑いたくなるほど時間が進まない。
ひどい時など、一分も進んでいない時もある。
六十秒経たないうちに時間を確認してしまうのだから、僕は気が短い方なのだろう。
ようやく四十分が経ち、一時十分になった。が何も変わりがなかった。
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