私は振り返り、来た道を戻ろうと思った。
その瞬間、背後から乾いた音が聞こえた。
機械的なような音だけれど、そんな大層なものでもないような音。
私の体は凍り付いていた。今は夏だ、もしかしてお化け?
いや、仮にお化けというものが存在するとしたら、一年中、二十四時間存在しているはずだ。夏の夜というイメージがあるのは、暑い夜に怖い話をして涼しくなる為に作った定番なだけだ。
て、駄目じゃん。この理論からいくと、夏の夜にお化けは出ない、ではなく、いつ出てもおかしくないという結果。今お化けが出てもおかしくないと後押ししてしまっている。
カラカラと音がする。信じたくないけれど、音は近付いてくる。
怖い、怖くて仕方がない。
どうして怖いのだろう? お化けかもしれないからだ。
じゃあ、どうしてお化けが怖いのだろう?
私は、お化けは信じるけれど、呪いなどはあまり信じない。だとしたら、どうしてお化けが怖いんだ?
得体が知れないからだ。
得体が知れないものや、意味の分からないものに私は恐怖を感じるんだ。
だから、宇宙も怖い。宇宙って何なのだろうと考えると、地球って何なのだろう、人間って何なのだろう、生き物って何なのだろうと考えてしまい不安が募っていく。
意味の分からない宇宙に恐怖し、意味の分からない不安が募る悪循環。私自身、何に不安を覚えているのか分からないので、不安を解消する術を見出せないのだ。
それに、算数の授業も怖かった。掛け算、割り算までは良かったが、それ以上になるとまったく意味が分からず、算数、後に数学の授業が怖くて仕方なかった。
まぁ、この場合の恐怖は現実的で、ただ嫌で、苦手だから憂鬱だっただけだ。
私は勇気を振り絞り、振り向いた。
このまま怯え続けるほうが、何倍も過酷だと判断したから。
振り向くと、その音の正体はすぐ傍までやってきていた。
車椅子だ。
車椅子だけだと怖いが、その車椅子にはきちんと人が乗っている。
私より少し年下っぽい、あどけなさが残る少年だ。
これは飽くまで私の見た目の判断で、もしかしたら年上かもしれない。
見た感じが大人しそうで、気弱そうだから年下に見えているだけかもしれない。
音の正体を確かめると、安堵の息が漏れた。
なんだ、恐れる必要なんてなかったんだ。
振り返った私が帰るために歩き出すと、車椅子の少年は軽く驚いたらしく、手がビクッと動いた。
私が必要以上に警戒してしまったので、相手に緊張感が伝染してしまったのだろうか。
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