時々、分からなくなる。
それと同じぐらい分からないのが、この無駄に自由な時間、何をしていればいいかだ。
初めて屋上に行くように言われたとき、この与えられた時間は神のお召しぼしだと、お母さんの横にいる知らないおじさんが言っていた。
この貴重な時間を使い、瞑想していなさいと。
瞑想というものが分からない僕は、見たこともない知らないおじさんに瞑想とは何か聞いた。
おじさんは、無の境地に達するように努力しなさいと言った。
何も考えないようにすればいいのか聞くと、おじさんは様々な理を考えなさいと言った。
物事を考えながら、無の境地を目指すのは矛盾している気がしたが、横でお母さんが涙を浮かべおじさんの話を聞いていたので、仕方なく素直にうなずいた。
その結果が、これである。
何もすることがなく、ボッーとしているだけの現状。このまま行けば、無気力のおかげで無の境地に達するかもしれない。
とにかく、これからが生き地獄だ。雨の中、座っているしかできないのだから。
しばらくすると、お母さんから電話がかかってきた。
内容は、きちんと屋上にいるか確認するためのもので親子の会話と呼べるものではなかった。
いつからだろう、会話らしい会話がなくなったのは。
そうだ、お父さんが事故で死んでからだ。
お父さんが死んでから、お母さんは口を利かなくなった。何を言っても無反応で、時々首を振って返事をするだけだった。
それが、ある日を境に口を利くようになった。
その日から僕を神の子と呼び、本名ではなくルマイティーという変な名で呼ぶようになった。
きっと、あの見知らぬおじさんの影響でお母さんは変わってしまったのだろう。
口が利けないほど落ち込んでいたお母さんを救ってくれたのは有り難いが、僕はあのおじさんが信用できなかった。
お母さんを、利用しているように見えるのだ。
お母さんは思い通りに扱われている。なのに、その扱われ方をお母さんは信頼されていると勘違いしているようだ。
最近になって知った知識だけれど、これは宗教というものらしい。
あの見知らぬおじさんは幹部か何か…もしかしたら教祖かもしれない。
まぁ、いいや。高いお金を取ったりするインチキ宗教とかではないのなら、お母さんの自由にさせてあげよう。
僕は、中学を卒業する歳になったら、住み込み出来る就職先を探し家を出よう。
まさか、大人になっても屋上から出るなとは言わないだろう。
携帯が鳴る。
お母さんからだ。
お母さんは用事があるのではなく、僕が言いつけどおり屋上にいるか確認だけして電話を切る。
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