ある日、俺は殺し屋になった。

佐々木祐
佐々木祐

二話

公開日時: 2023年8月13日(日) 03:24
文字数:1,367

 真っ暗な視界に強烈な耳鳴りと、下腹部が焼きごてを押し付けられたように熱く痛い。


「ぐぁぁあ!!」


 ペトリコールの乾いた匂い、濡れたアスファルトに頬を擦りながら下っ腹から溢れる出血を抑える。


 頭の芯まで駆け抜ける痛みのエマージェンシーコールに、俺の口は無意識に絶叫していた。


「い、いてぇ……」


「ガ、ガギィィイ……」


 俺の呻きに混じって聞こえた声。


 見上げると白煙を上げるトカレフの引き金トリガーを引きっぱなしに、男の胸から突き出てる氷の結晶──いや日本刀だ。


 雨粒が月明かりに照らされて波紋を伝う鮮血、顔が写るほどに磨き上げられた刀身はまるで氷のよう透き通った艶かしさがある。


 そして男の背後に日本刀を突き立てる黒い影は、男の背中を蹴ってズルズルと刀を引き抜いた。


「は……え?」


 腹の痛みも忘れて呆けた声を上げ、前のめりに倒れた男がヒクヒクと痙攣しながらアスファルトに血の池を広げている。


「任務完了……」


 透き通るような美声が響き、黒い影に一瞬で視線を奪われた。


 良く見れば俺と同じ高校の制服を着、そのうえに膝下まである蒼い薔薇バラの刺繍が入った白のロングコートは、返り血で真っ赤に彩られている。


 そして絹のように滑らかな緑髪、触れた者を全て氷つかせるような鋭く怪しい蒼い瞳、雪女のように白い肌。


 眠た気な眼で俺を見下ろす彼女の桃色の唇は閉口したまま、足許で痙攣する男の首に日本刀を刺し、糸の切れた人形のように男は息絶えた。


 その間、彼女は一度も俺から目を逸らすこと無く、一連の所作がさも当然のよう。人が毎朝顔を洗い歯を磨く、そんな当たり前かの如く洗練された動きだ。


「目標の殲滅を確認、目撃者一名──」


 左耳に指を当てながら俺を見下ろしながら、彼女の言った『目撃者』とは俺を指す事を悟る。


 それと同時に次に続く言葉も……。


「──処分します」


 やっぱりそう来たかと、ジクジク痛む下腹部を押えながら彼女を睨む。


「なぁ……あんた……」


 咄嗟に一か八か俺は眼前の人殺しと、交渉してみることにした。


 かなりリスクの高い賭けだ。平静を装っているこの女が、殺人で興奮状態なら、俺の話なんて聞かずに日本刀を振り下ろすだろう。


 それでなくても人殺しに一切、躊躇ちゅうちょがない女だ。倫理観や道徳を解いても理解されないし、逆上されるかも。


「俺は腹を撃たれてる。分かるんだもうすぐ死ぬ……だから放っておいてくれないか?」


 恐怖を圧し殺し、震える唇でなるべく穏やかな口調を意識する。


 彼女の表情を窺うが、能面のように変化がなく眉一つ動かさず切っ先を向けてきた。


 降り頻る雨に濡れて体の芯から冷えてき、さらに荒くなる白息を吐きながら押えた指の隙間から、暖かい血が溢れてくる。


 視界の端に白いモヤが現れ、薄れゆく意識は時々走る激痛によって引き戻さる。その度に眼前の彼女と目が合う。


 さっきの話から俺をジッと見下ろすだけで、とどめを刺しには来ない。


 案外優しいヤツなのかもしれない。ワンチャン見逃してくれるかもって、思ったがそれも杞憂だったらしく。


 とうとう身体を支える体力も無くなり、俺は冷たいアスファルトを背に、天を仰いだ。


「アルファ1よりアルファ3へ……移動の用意をお願いします」


 俺を覗く彼女の清らかな声が、まるで天から遣わされた心地よさを覚え、ズキズキと痛む下腹部の感覚が遠く。


 大きな雨粒が頬を撫でた時、不意に世界が漆黒に染まった。

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