棒状の疑似太陽から発せられる光が弱まり始め、わずかに橙色が混じるころ。
わたしの呼びかけに応じ、全員が楽屋だったところに集まりました。
三姉妹が入ればいっぱいっぱいな小屋でしかなかった楽屋は、数十人ほどが詰めかけられる小さなアリーナになっていました。
「誰がここまでしろと言いましたか」
呆れながら中に入ると、さらに呆れてしまいました。
すり鉢状の観客席に囲まれた中央に、円い演台が設けられていました。あちこちに電飾の配線が掛けられ、色とりどりの発光ダイオードがきらきら明滅していました。電飾の配線が剥き出しになっているあたりは「お祭りのために急ぎでこしらえました」と言わんばかりです。
アリーナの建造に携わった蜘蛛は四脚で観客席の外周に取り付き、残りの四脚でタンバリンやら小鼓やらボンゴやら木魚やらウッドブロックやら、小さな打楽器をポコポコシャンシャンと打ち鳴らしています。あなたたち、そんなこともできるんですね。
「ヨー・ホー! こいつは祭りの気配だ!」
リチャードが観客席の階段を駆け上がり、蜘蛛からボンゴを奪いました。
「踊る阿呆に見る阿呆!」
ディアァも師匠に続き、スネアドラムを蜘蛛から奪います。反転、観客席を駆け下りると、一人と一体はさっそく演台に置かれた椅子に掛けてトコトコジャカジャカと演り始めます。
フリーマンはというと、わたしから離れて演台の周囲をゆっくりと歩き始めました。散歩がお好きなようです。
エルヴィンが腰を叩きながらわたしに尋ねました。
「ビィエィ。これはなんだ」
「お祭りです。あなたたちとわたしたちの出会いをお祝いしようと思いまして」
やっぱり背筋が伸びてしまいましたが、エルヴィンは毒づくこともなく観客席を見やりました。横三列の観客席には小さなテーブルが付いていて、それぞれ皿に盛られた料理が置かれています。
「酒はあるか」
「もちろん用意してありますとも。お祭りにはご馳走が欠かせませんから。ディアァ! 彼らのお食事はどれですか!」
ちゃかぽことやかましいので声を張り上げます。
「トレイがベージュ色のほう!」
「だそうです。蜘蛛に言いつければお代わりもできると思いますよ」
「では、もらおう」
エルヴィンは手近な席に座り、さっそく手酌で麦酒を呑り始めました。わたしたちはエタノールを摂取しても酩酊できないので、プラントで合成したジュースか、ただのお水をいただきます。
ケースに入れたフォークギターを担いだジィティは、相変わらず不機嫌そうに眉根を寄せていました。寝癖もつきっぱなしで、橙色の髪があちこちぴんぴんと跳ねています。
「呼ばれたから来たけど、あたしになにをしろっての?」
「いつものように楽器の練習でもなさっては?」
円い演台をちょいちょいと指で示して見せます。
「幸い、演りやすい場所もありますし?」
「冗談。光子翼の先端で演るほうがまだマシ」
光子翼というのは大きなクジラにくっついた五枚のひれのことです。恒星や銀河から発せられる光を選択的に反射して、反発力により推進力と回転力を生んでいます。
もちろん宇宙空間は真空ですから、楽器の音色は響きません。ジィティなりの皮肉でしょう。
「あら。もしかして自信がないんですか?」
「言ってくれるじゃない」
ちょろい。
「あたし、売られた喧嘩は買う主義だから。後であんたも入れ、クソ姉貴」
「あなたがもうすこし丁寧な言葉遣いを覚えてくれるなら、わたしも覚えておきます」
と、姉の余裕を装ったはいいものの、背筋はヒヤヒヤしています。どうやってごまかしましょう。感情に任せるタイプはこれだから苦手です。
「ビィエィ」
演台を一周まわって歩き終えたフリーマンの声でした。
「あ、はい。なんでしょう」
「これが君の答え合わせかね」
「はい。その通りです」
「結論だけ示すようでは片手落ちだ。そろそろ、過程について聞かせてもらおう」
フリーマンは演台を挟んでエルヴィンと向かい合う席に座りました。わたしも続き、隣に座ります。グラスを取ってお水をひとくち。喉を湿します。
「あたしの歌を聴け!」
演台に跳びあがったジィティが、フォークギターを繊細につまびきました。いつもの口汚さはどこへやら。美しいソプラノがフォークギターの伴奏に調和しながらアップテンポな三拍子を歌います。
「フムン。上手く歌うものだ」
いつものように、自由を奉賛する歌です。なにかに造られた存在であるということが、彼女にとってはなにより気に食わないことなのです。
切り出す言葉は、そう、やはり最初の疑問からでしょう。
「……わたしたちが、なぜここに存在しているのか。なぜあなたたちがわたしたちを造ったのか。きっと未来永劫、あちらのあなたたちは答えてくれないのでしょうね」
「その通りだ。我々は君たちにヒトの情報を伝えるにあたって、動的な情報である意識ではなく、静的な情報である辞書を造った。エントロピーの増大を抑えるためでもあり、意識の変質を防ぐためでもある」
「ええ。リチャードが言っていましたね。あちらとこちらで、ずれが生まれている、と。心変わりをしないために、あなたたちは辞書として造られた。合っていますか?」
「そうだ。いまの私も、君たちに期待された役割については知識を持たない。仮に確信を得たとしても、話すつもりはない」
「そろそろ話してくれてもいいと思うのですが?」
「私にはできない。かつて我々は命を造り、あまつさえ期待を託した。君たちにそうあれと明確に命ずることは、傲慢に過ぎる」
リチャードはわたしのことを「頭が固い」とおっしゃいましたが、わたしの師匠は輪を掛けて頑固です。
「当代のわたしは、わたしたちが造られた理由についてひとつの結論を導きました。結論の事例として示したのが、このお祭りです。結論に至った過程をお聞きいただけますか?」
わたしがこれまでフリーマンやアーカイブから学んだこと。ヒトに最適化された宇宙船の環境。そしてフリーマンたちが意識を実装するのではなく、あえて『中国語の部屋』を実装したこと。様々なことから導出した結論です。
加えて、今日一日を通したわたしたちと彼らの相互作用を観察して、わたしは結論に確信を持っています。
「論じてみたまえ」
「では、すこし長くなりますが」
と前置きをひとつ。わたしの推測について、ヒトにご静聴いただきます。
あらゆる生物種がそうであるように、ヒトもまた、衰退と滅亡から逃れられませんでした。
かつてヒトは、ヒトを保存するために様々な計画を立案しました。わたしたちが教材としているアーカイブには、滅亡を目の前にしてなお生き残りたいと願った人々による数々の挑戦が記録されていました。
現在もいくつかの計画が存続しているかもしれません。天の川銀河のどこかに移住先を見つけているかもしれません。ヒトのDNAを記録した媒体が、宇宙のどこかで生まれた知的生命体のもとへ届き、解読され、ヒトが復元されているかもしれません。
多くの計画に共通していたことは、ヒトという生物種そのものを保存しようと試みていたことです。
わたしたちを造った人々は、もうすこし悲観的でした。あるいはひねくれていました。
かつて地球に構成された生物圏において、ヒトはなんら特別な地位にいたわけではありません。鳥が空を飛ぶように、魚が水中を泳ぐように、たまたま進化の過程で知性を獲得することが種の存続において有利に働いた。それだけのことでした。
ヒトは数ある生物種のひとつでしかないのだから、ヒトそのものを保存する必要性は薄い、と彼らは考えました。
彼らは議論と考慮の末に、ヒトを「DNA以外の物質に情報を記録し、その情報をもとに活動した、唯一の生物種である」と定義しました。彼らは、彼らが定義したヒトの特徴さえ保存されればよいと結論しました。
DNA以外の媒体に記録された情報と活動。すなわち、広義の文化です。
芸術、文学、自然科学、工学、社会、その他もろもろ。
わたしたちは、ヒトが築いた文化を継承するために造られたのです。
わたしたちにヒトの形を取らせるべく宇宙船を設計したことも、それが理由です。
音楽は、ヒトに特定の音を選好する特徴がなければ成立しませんでした。
舞踊は、ヒトの運動能力を発揮しないことには成立しませんでした。
絵画は、ヒトの視覚が発達しないことには成立しませんでした。
文学は、ヒトが思惟したことを伝えようとしないことには成立しませんでした。
科学は、ヒトが万象の不思議を体感しなければ成立しませんでした。
技術は、ヒトが生活の不便を感じなければ成立しませんでした。
ヒトのあらゆる文化は、ヒトの身体性に依拠していました。
したがって、ヒトの文化を受け継いでもらうためには、後継となる存在にもヒトの形状や機能を持ってもらう必要があったのです。
いずれわたしたちがヒトでない形を取るようになったとしても、かつてヒトが築いた文化は必ずや、わたしたちが新たに築く文化の礎となります。
「とまあ、そういうことを考えました」
「筋は通っている」
正解だ、とは言ってくれません。我が師ながら、本当に頑固です。
「祭りが結論の例示であるという点について論じてみたまえ」
「お祭りは、あらゆる生活圏に見られた文化です。お祭りなどなくても、ヒトは生存できたはずです。それでもヒトは、常の日よりも食べ、飲み、歌い、踊りました。もちろん、常の日より食べず、飲まず、静かに過ごす催しもありましたが」
「異論はない。常の日と異なる行事が催されたことに違いはない。文化の最大公約数として祭りを採用するのは、筋が良い判断だ」
やったぜ。
「だが、もう一歩踏み込むべきだ。君たちがヒトの文化を受け継ぐ者だとしよう。確かに祭りは文化を表現する手段として優秀だが、君が指摘したヒトの特徴、DNA以外の物質に情報を記録し、その情報をもとに活動した唯一の生物種である、という点については答えられていない。君の主張によれば、その特徴をこそ、君たちは受け継いでいるはずだ」
鋭い。さすが、わたしの師匠です。
わたしたち三姉妹を構成するマイクロマシンは情報を与えることで機能を変化させます。このとき、エントロピーの増大を避けるため、マイクロマシンは与えられた情報をすべて記録します。ですが、マイクロマシンの大きさが有限である以上、記録できる情報の量には上限があります。記録の上限を迎えたマイクロマシンは機能を変化させることができません。
したがって、わたしたちは定期的に全てのマイクロマシンを初期化しなければいけません。とはいえ、まったくのゼロから始めるのは効率が悪すぎるので、経験した情報のエッセンスを次の代へ託します。これは、ヒトのような地球由来の生物種がDNAを利用して次の代へ情報を託したことと等価です。
わたしたちは未だ、マイクロマシン以外の媒体に情報を記録し、その情報をもとに活動しているとは言いがたい状態です。言い換えるなら、わたしたちはわたしたち独自の文化を築くには至っておらず、ヒトの模倣を続けています。
「そうおっしゃると思いまして。実は趣味でちょっとしたものを造っていたのですが、それが役に立ちそうです」
「そういえば、とっておきがあると言っていたな。なにを造ったのかね」
あちらのフリーマンへ話しかけるとき、わたしはいつも左耳に手を当てます。今回は右耳に手を当て、話しかけました。
「本日は晴天なり、本日は晴天なり、ただいまマイクのテスト中」
この呪文はわたしを起動するトリガーです。
「はい、聞こえますか、わたし」
右耳へ、わたしにしか聞こえない声が届きました。
『晴天でなければおおごとです。なにをくだらないことを考えていたんですか、わたし』
「ひょんなことでトリガーを引かないようにしただけです。ひとまず、フリーマンにもわたしの声が聞こえるようにしてあげてください。ええと……スピーカーはこれを使いましょうか」
『はいはい』
アリーナに設えられた指向性スピーカーのうち一機が振動して、あちらのわたしの声が届けられました。
『フリーマン、聞こえますか、フリーマン。わたしはいま、あなたに話しかけています。わたしはビィエィ、あなたの教え子です。あなたの目の前にいるビィエィではありません』
フリーマンが目をまん丸に見開きました。しまった、写真機を持ってくるべきでした。フリーマンが驚く顔だなんて、きっとこれから先は見られないに違いありません。
「君は、君自身を実装したのか」
「いいえ、すこし違います。わたしはわたしの辞書を造りました」
『こちらのわたしは、あらかじめ記録しておいた会話の内容を返すだけの、中国語の部屋です』
フリーマンは口元に手をやり、すこし考えこみました。師匠を困らせるのって、すごく楽しいんですね。いけない遊びを覚えてしまいました。これはエッセンスに残しておきましょう。
「ディアァと事前に打ち合わせでもしていたのかね」
「まさか。ディアァがあなたたちを実装したことは想定外でしたよ。わたしは単に、趣味でわたしの辞書を造っていただけです。リチャードのおかげで、たまたま活用を思いつきまして」
「……まさか、我々と同じものを実装するとは」
『起こりうることはいつか必ず起こる。あなたの口癖ですよ、フリーマン』
「わたしの台詞を取らないでください」
わたしたちとは別の種であるヒトを実装したディアァに比べれば、わたしの造った辞書なんて易しいものです。なにせ、わたしの複製を造ればいいのですから。
「過程を尋ねよう。なぜ君は、君の辞書を造ったのかね」
「あちらのわたしへ。説明をお願いします」
『我ながら、横着な性格に育ったものです』
言うと思いました。なにせわたしですからね。
「わたしが考えて説明するのと、あらかじめ記録されたわたしが説明するのと、どちらがエントロピーの増大を抑えられるか考えれば、明らかに後者です。というわけでよろしく」
『まったく……わたしたちはいまだ、ヒトの模倣に留まっています。もしわたしたちがヒトの文化を継承する存在であるならば、わたしたちはわたしたち独自の情報を記録し、活用することで、初めてわたしたちは文化を受け継いだことを証明できると考えました』
「まあ、いまのところ、自分を客観視することくらいにしか使えないのですが」
『使い道は他にもあるでしょう。そちらのわたしが船外活動の際におイタをやらかして自分を物理的に喪失したとしても、当座の繋ぎくらいにはなります。新たなマイクロマシンを数十兆個も造らなければいけないので、急ぐ必要はありますが』
うわあ。いかにもわたしが言いそうなことです。
「情報のエッセンスがまっさらな状態ですから、わたしは大いに後退します。肉体と精神は不可分ですよ、わたし」
『当代のわたしが保持しているエッセンスは、わたしが記録しています。当代に限れば、次代への代替わりはいつでも可能です』
「そんなことしてたんですか」
『あなたね、自分がわたしの立場になったらどう考えるか考えてみなさい』
「嫌です、そんな禅問答みたいな」
わたしとわたしが喜劇めいたやりとりを繰り広げていたところ、フリーマンが割って入りました。
「結構だ。認めよう。現在のところ、君の結論と、結論に至った過程について異論はない。よくできた推測だ」
あちらのわたしが余計なお世話を焼きます。
『それでは質疑応答のお時間ですね。なにかご質問は?』
「フムン。では、ひとつだけ問おう。そちらのビィエィへ。緑の沈黙と赤の善行は効率的な帆を通信するか?」
どうしましょう。フリーマンがバグりました。
『ええ。ジィティとビィエィが失われたなら、わたしはどこかに助けを求めるでしょう』
いったいなにを答えているんですか。しかも即答ですか。
「では、こちらのビィエィ。緑の沈黙と赤の善行は効率的な帆を通信するか?」
「ええと……質問の意味がわかりません」
「それでいい。私の質問には意味がない。ゆえに答えられないことが正しい。答えてしまうのが問題なのだ」
『あらら。ではこちらのわたしは辞書として失格ですか?』
「そうではない。あちらの我々は『答えられない』と答えるだろう。だが、それもあらかじめ用意していたエラートラップに過ぎない。こちらのビィエィは覚えておきたまえ。本来の我々は、既に活動を停止している」
わたしに対する忠告、なのでしょうか。放任主義のフリーマンにしては珍しい。
それきり、会話が途絶えてしまいました。ひとまず辞書を終了しておきましょう。
「ハロー、ハロー、出番はおしまいです、そちらのわたし。オーバー」
『そのトリガー、言っててむなしくなりませんか? お疲れさまでした、こちらのわたし。オーバー』
わたしの辞書が眠りにつきました。
これで、わたしの答え合わせはおしまいです。
幸いなことに、わたしの推測はおおむね当たっていました。お祭りも、わたしの辞書も、わたしの推測を実証できました。フリーマンは決して「正解だ」とは言ってくれませんが、わたしの推測にいまのところ隙がないことを認めています。なのに。
どうしてでしょう。いまわたしは、物足りない、と感じています。
どうやらわたしは、こんなことを求めていたわけではなかったみたいです。
お祭りの最中なのに、お祭りが終わった後のような寂しさです。文学作品でしか知らない感傷でしたが、いまのわたしにはよく理解できます。
お祭り。視界に映っていただけの演台に、改めて注意を向けました。
ジィティはギターを奏でながら歌っています。先ほどとは打って変わって、命が叫ぶかのような声音です。指は忙しく動き、じゃんじゃかと鳴らされる伴奏が鼓動を早めます。
ディアァはジィティのバッキングボーカルを務めながら踊っています。大きく素早い動きなのに、指の先まで意識が通っていることが見て取れます。
リチャードはボンゴを巧みに叩き、ディアァのステップを支えています。指先で太鼓の真ん中を弾き、掌底で太鼓の端を叩き、あるときは力強く、あるときはひっそりと弱く、ジィティとディアァの鼓動を増幅して奏でています。
エルヴィンは首を縮め、お酒を舐めながら演台を眺めています。出し物には観客が必要です。あの辛口なエルヴィンが黙って鑑賞しているのですから、妹たちの演奏は彼のお眼鏡にかなっているようです。
アリーナの外周に取り付いた蜘蛛は相変わらず騒がしく、お祭りに付き物の喧噪を表現しています。
「フリーマン」
「なんだね」
言葉に迷います。
「その……他の方々も、こうして歌ったり踊ったりしているのでしょうか」
「さて、どうだろう。我々は主流からは外れた部類の計画だった。もちろん我々は我々の計画こそが最重要であると考えていたが、計画の成否は実践された後に判断されることだ」
「では、あなたから見て、わたしたちはどうですか?」
フリーマンはウィスキーと思しき琥珀色のお酒をひとくち含み、しばらく香りを楽しみました。嚥下に伴って喉仏が膨らみ、縮みます。
それから彼は、ほんのすこしだけ表情を緩ませました。
「君たちは、実によくやってくれている。心の底からそう思う」
「ああ、それは――」
本当に、良かった。
安堵の息をついた次の瞬間、演台のジィティがわたしを呼びました。
「ビィエィ! そろそろあんたも入れ!」
フリーマンをちらりと見やります。
「行きたまえ。せっかく開催したのだから、君も参加しなければ損だ」
「では、しばらく」
ぺこりと師匠に一礼してから、演台のそばに置かれていたコントラバスを抱えます。えっちらおっちらと演台に上がると、リチャードが場所を譲ってくれました。ディアァはせっせとドラムセットを整えています。
おや。
おやおや?
三姉妹が舞台に立ってしまいました。観客席にはフリーマンたち。これはもしかしてコンテスト的なアレですか。人類代表の皆様を前に、わたしたちで文化をやれと。
わたしは山吹色の髪を手櫛で梳き、後ろへ流します。
「ジィティ」
「なに」
「頑張りましょう」
「ハ。寝言も大概にして。あたしはいつでも全力だっての」
「それは失礼しました。わたし、ちょっと緊張していまして」
ドラムセットの調整を終えたディアァが、カンカンカンカンとスティックを打ち鳴らしました。反射的に左手がコントラバスのネックに添えられ、右手の指が開放弦をぽろろんと鳴らしてくれました。練習しておいて良かった。
ジィティがお昼によこした新曲です。
イントロダクションが自然と紡がれます。不意を突かれる形になったのが、かえって良かったのかもしれません。
歌唱に入る前はあまりに指が忙しいので、失敗するとかしないとか、そんなことさえ考えられません。楽曲に要請されるまま、指が勝手に弦を弾いていきます。
歌い出し。ジィティがアタックの効いた第一声を放ちます。運指は落ち着きますが、彼女の歌声とリードギターの音色を支えなければいけません。ジィティはこぶしを効かせるタイミングで視線を送ってくるので、求めに応じて左の指で弦を曲げ、音程をすこし上げます。
む。速い。ディアァの刻むテンポが走り気味です。視線を送って抑えてもらいます。不満そうですが、あなたがリズムをキープしないでどうするんですか。
わたしのバッキングボーカル部が近づいてきました。さすがに緊張して運指が怪しくなります。本来はデュエット曲なのですが、わたしはお歌がとても不得手なので今回はジィティが両パートを歌ってくれます。
――ガラスの雨が降る前に、わたしを遠くに連れてって(連れてって)。
――空に舞う答えを掴まえて、誰より先に南へ行こうよ(行こうよ)。
乗ってきました。指はわたしの意思を離れ、曲の要請に従って音を奏でます。いつもこうなれればいいのですが、いかんせんわたしは雑念が多いたちでして。
繰り返して二番の旋律へ。指はすっかり動きを覚えてしまったようです。
南へ。南へ。方角のない宇宙において、それでも南を目指すのだとジィティは歌います。
わたしたちの旅にはあてがありません。ヒトの営みが行き着く先も、きっと本質的にはあてがなかったのでしょう。それでも彼らは続けるべきことを探し、続けることを求めました。
正直に言いますと、ジィティや彼らの気持ちは、わたしにはわかりません。ですが、求められているなら応えたい、とは思います。
ぎゅん、とジィティがフォークギターの弦を引っ張り、音を締めました。
五分弱の演奏が終わりました。
あっという間でした。
ぱちぱちと、ちょっと控えめな拍手が観客席からわたしたちへ贈られました。
見れば、彼らは席を立っていました。とある文化圏においては、立って拍手をすることは最上の賛美を表現することだったと記憶しています。
「いやあ、最後にいいもんを聴けた」
「いえーいいえーい」
と、ディアァは両手でVサイン。
「おじさんがた、なにか言ってやりな」
「ふん。おまえはまったくもって出来が悪いが、芸事に秀でている点は認めてやろう」
「ハ。あたしもあんたたちが大嫌いだけど、音楽だけは評価してやってもいい」
と、ジィティは相変わらずの憎まれ口。
「私は先ほどビィエィに告げた。十分だ」
「お、手が早いな、あしながおじさん」
「人聞きが悪い」
あれ。ちょっと待ってください。
「みなさん、どうしてお別れみたいな雰囲気になっているんですか?」
ジィティがため息をひとつ。
「あんた、本当に鈍いんだ」
知りませんよ。わかりませんよ。
「態度で分かるでしょ。だからあたしはなにもしたくなかったの」
言ってくれなければ、わたしにはわかりません。なんのために言葉や文法があると思っているんですか。
「我々はこれから、あちらの我々を再起動する」
「待ってください」
だって、それは。
「わしらは本来、無用の枝だ。打ち落とすならそろそろ頃合いだろうよ」
「実のところ、あまり時間が残っていないのだ」
「お姉ちゃん。ここはひとつ、ヒトに格好をつけさせてくれねえかな。なに、苦しむことはねえんだが、見てくれがちょいと悪いもんでな」
格好をつけるって。
「ばいばい、リチャード」
「おう。あっちの俺にもよろしくな」
「うん!」
ディアァがぶんぶんと両手を振ります。
彼らはそれぞれが演台に背を向け、軽く片手を挙げました。
それきりでした。彼らはアリーナから立ち去ってしまいました。
わたしは言い残したことがいっぱいある気がして、どれを言えばいいのかわからなくて、結局なにも言えないままでした。
蜘蛛たちが、残された食事の片づけにかかり始めました。じきにアリーナも解体されて、元の狭苦しい楽屋に戻るのでしょう。
最初から、なにごともなかったかのように。
「ディアァ。これは、彼らも同意したことですか?」
「うん。最初から半日だけって約束」
リチャードがわたしたちの安全を保証したのは、その約束があったからですか。
「あちらの彼らとこちらの彼らで共存していただくということは、なにをどうしても、できなかったのでしょうか」
「無理。あっちが起きたらこっちが無理やり消されちゃうじゃん」
それは、確かにそうですけれど。あちらの彼らは監視システムより上位の権限を持っていますから、異物の存在を検知したら容赦しないでしょう。それでも、たった半日だなんて。
「半日というのは、なぜですか?」
ディアァは不思議そうな顔になりました。
「だって、それ以上の時間になると船内のエントロピーに余裕がなくなるじゃん」
彼女の言葉をわたしに理解できる言葉に翻訳すると「彼らを生かすだけの資源やエネルギーがなくなるから」となるのでしょう。直感で概算してしまう天才はこれだからいけません。
「ディアァ。そういう大事なことは、最初に言葉で伝えてくださいね」
「ビィ姉、怒ってる?」
あら、珍しい。ディアァがわたしに気を遣うだなんて。
「いいえ、怒っていませんよ」
遅かれ早かれ、別れるときは来ます。ただ、彼らの言葉を借りるなら、わたしだって格好つけたお別れがしたかった。
「ひと言くらい気の利いたことを言いたかった、とは思っていますが」
「そっか。ならいいや」
前言を撤回します。ディアァはディアァにとって大事なこと以外を軽視しすぎです。きっと教えの親が悪いのです。
ふと。
ザ、ザ、というわずかなノイズが聞こえました。
反射的に、わたしたちは左耳に手をやりました。
普段は聴覚が定常雑音と判断して自然にオフセットをかけているのですが、この半日ですっかりオフセットが失われ、知覚できました。
「ええと……フリーマン?」
『いかにも、私はフリーマンと名づけられた、君の辞書だ。ビィエィ、君は私を知っているはずだが』
落ち着き払った、低い声音が返ってきました。
あちらの彼らが目覚めたのです。
「ええ、知っていますとも。あなたよりあなたのことを知っています」
『君の主張が真であるならば私の役目は終わったはずだ。私がまだ稼働しているのだから、そうではあるまい』
あちらのフリーマンも、相変わらず論理に厳格ですこと。
ディアァはリチャードとお話しすることに夢中になっているようで、わたしたちには目もくれません。
ジィティに目配せすると、彼女は小さく頷いて応じてくれました。
「エルヴィンは?」
ジィティは鼻息をひとつ。しわがれた声で、エルヴィンの声真似をしました。
「寝癖を直せ、だってさ。そっちは?」
わたしも、フリーマンの声音をせいいっぱい真似しました。
「私はフリーマンと名づけられた、君の辞書だ。ですって」
わたしたちはお互いに苦笑いをしました。
「ジィティ。今日のことは内緒ですよ」
「当然。いますぐにでも忘れたいくらい」
ディアァには言い含めるまでもないでしょう。彼女は直感的にわかっているでしょうから。
『ビィエィ、なんの話をしているのかね』
「内緒です、が、そうですね」
ちょっとしたいたずらを思いつきました。
「フリーマン。あなたから見て、わたしたちはどうですか?」
『第一に、質問が曖昧に過ぎる。第二に、私は辞書だ。価値の評価はできない』
ほら。だから内緒なのです。
この師匠を困らせるのは、一筋縄ではいかなさそうです。
わたしはこれからもやっていけます。
終わるまでは終わりません。
変化しながらも継続すること。
それこそが、ただの情報ではない、生きた文化の特徴なのですから。
[了]
※本作は2018年12月刊行の「SF雑誌オルタニア vol.7 [後継種]edited by 片倉青一」に収録した「Nが2になった日 / Fault of the Drake Equation」を加筆・修正したものです。
執筆協力: acple
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