「……調子はどうだ?」
かつて地の底に堕ち天を追放された明星は、あろうことかその天に立っている。
好きでもない林檎を齧りながら横に立つ男に声をかける。
男が「万全さ」と言うと、明星は無邪気に笑みを浮かべ林檎をぐしゃり、と握りつぶした。
「んじゃあさっさと、戦争を始めるとしよう」
明星による復讐の為の天界戦争が再び勃発する。かつて地に堕ちた者達と、神の僕達の戦い──しかし、既に神は無力。
一方的な征服戦争と化した。
──天界にはたったひとり、神がいる。
この地球にただひとり存在する、ただひとりか細い信仰を受け続けている神がいた。
だが神は既に限界だ。
この宇宙において神の上にも神がいる。この宇宙の管轄を任されているに過ぎない創造主のひとりには、人類が抱くような万能さはもはやなかった。滅びに向かう地球と人類史を護るだけで精一杯だった。まして他にも信仰されていたはずの神々は衰退していく人類を見捨て、己のために地球から離れていったのだ。
たったひとりで今まで分けられていた仕事をこなさねばならない。長いこと多くの者達に任せていた地球を護りながら、天界の戦争に力を注ぐことはできなかった。
神は天使よりも人類を優先した。
故に、楽園に逃げ、封鎖する。
天使はきっと皆殺しにされるのだろう。
ならば神だけでも生きて、人類を護らねばならない。
──この神に実体は無い。
信仰による概念のような存在で、何に触れることも触れられることもない、何に見られることもない。不思議なものでそれでも神というモノがそこにいるのだと誰もが認知できる。さらに不思議なことに、神は最初の人類が産まれたその地を見えぬ力で掘り、一人の赤ん坊を取り出した。
「良かった。無事ですね……」
赤ん坊の身体に傷がないことを確認する。その赤ん坊に自我はない。魂のない、神が創った人間の器。
それを神は何よりも大事そうに抱きかかえた。
その様子を見ていたひとりの少年が、頬を緩めながら神の前に姿を現す。
「──サタン。どうしてここに」
魔王サタン。
地の底の魔界を統べ、魔界の管轄を担当している最も神に近き存在。貴族のような出で立ちだが、身体は人間の子どものようで、魔王だとは誰も想像つかない姿をしている。
そんな彼が天界にいることが驚きだが、それ以上に封鎖した楽園にどう侵入したのか。そもそもなぜ魔界の悪魔が天界に攻めてきているのか。もしや魔王サタンの計らいなのか。神は頭を混乱させた。
魔王サタンはそんな神に意地の悪い笑みを浮かべた。
「残念だが黒幕はオレ、いや、我ではないぞ。如何に我とて魔界の外に出ては──コホン。まあ、待て。これは話が長くなる。オマエの疑問より先に優先すべき事があるだろう」
髪を整えながら気を取り直し、魔王サタンは赤ん坊を指差した。
「その赤子はどうする? オマエがここに引きこもるのは勝手だが、せっかく創ったソレの役目は鑑賞用か?」
「……何が目的ですか、サタン」
「目的などない。だが、可能性を感じている」
魔王サタンは数歩、神に近付く。
「神よ、よく聞け。オレはオマエの味方だ。たとえ人類の信仰が消え去っても、オレだけはオマエを想い続けどんな手段を用いてでも存在させよう。神たるオマエを神とし、救ってやる。故に、信じろ」
「────」
「奴等のコレは、オマエへの復讐だ。ならば天界を支配されるだけではすまされない。既に魔界やその他大勢の星の境界が崩壊し、竜は人類と殺し合った。このままでは奴等に人間界まで呑み込まれるだろう」
だが、と言葉を続ける。
「その赤子を地上に降ろしたのならば、話は別だ。人類は神に見捨てられていないと立ち上がり、オマエへの信仰を厚くし、魔物や悪魔達にも立ち向かえる。その赤子は人類の希望となる!」
「それは──」
神は衝撃を受けるように、数歩下がりかけた。だが一呼吸おくと、魔王サタンを睨み付けように声色を変えた。
「この子に、この器に誰が入るというのです」
今度は優しく、魔王サタンは微笑む。
神はきっと、人でいう背に腹は代えられないといった覚悟を決めたのだと。ようやく現実を見つめた神に彼は安堵した。
「それはわからない。そもそも入るかどうか……しかしオマエの創った子だ、オマエの加護がある。きっと幸運が訪れて善き魂がそこに転生してくれるに違いない」
そうだ、と魔王サタンは確信する。これは想定でも予測でもない──信頼だ。
神は不安だろう。近い未来に地球史上最大の不幸が訪れようとしている。その原因は、神なのだから。
それでも、彼は神の力を信じている。
「……我が友よ、愛しいオマエ。
──決断の時だ。」
魔王サタンは手を広げる。
神は(恐らく)赤ん坊を見つめ、そして願った。
(ああ、あの人のために用意した器とも、ここでお別れか……)
「どうか、どうか幸せに──そしていつか、私に会いにきてほしい」
救いにきてほしい、とは言わない。神のこの謙虚で強欲な願いは、自身が助かる道などないと断言されていた。
これには魔王サタンも苦い顔をする。
神は彼の心境も見ず知らず、ただただ泣くような想いで赤ん坊を地上に堕とした。
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