「昨日目覚めたっていう英雄様なんだろ?」
「……!!」
時人は顔を上げそこで初めて少年の顔を見る。
少年は金髪碧眼の、十代前半と思われる顔つきをしていた。シャワーを浴びた後なのがよくわかるくらい濡れていたが、髪がかなり跳ねているのをみると癖っ毛の強いことがわかる。
オマケに初対面で正体をわかっている筈の相手に対して、少し見下すような視線は彼の性格が充分に伺えた。
「……英雄ではないけど、キミは?」
「オレ? オレの事なんか知ってどうする? それともなんだ、神の子はオレの罪でも聞いてんの?」
「違うよ。オレの名前は天草時人。神の子でも無ければ英雄でもない、ただの一般市民。で、お前の名前は?」
時人のその言葉にエタと少年は眉間に皺を寄せた。
「ふーん。そう、へぇ? 気に入らねぇな。なんか普通に話せてるし、昨日目覚めたなんてやっぱデマなんだろ。15年もの間、世界の王様達から目一杯愛でられて良い生活送ってきたような奴が一般市民だ? 冗談キツイぜ」
「…………お前」
「トキト、そいつの名前はリームスだ。元スラムのガキ大将で性格がハエも寄らねぇ干からびたウンコ野郎でな。言うことにいちいち反応しない方がいいぜ」
時人の言葉を遮り、シャワーを浴びたままのエタは辛辣な言葉を吐いた。それに目を丸くしたのはリームスだ。
「誰だこのタオル野郎と思ったらアンタかよ。アンタと話すのはこれが初めてじゃね? きっっもちわりぃなあ。どこでオレのこと聞いたんだが」
「娼婦の息子は二年半お勉強しても頭が足りないみてぇだな。よく考えて発言しろ、逆にお前は何で俺を知ったんだ? ここにいる奴等はほとんどが世間に報道される上、監獄内は噂話が拡がりやすい。テメェの個人情報が漏れてることくらい知っとけ」
「……っ!」
時人を挟んでリームスはエタを強く睨む。一方エタはシャワーを浴びながらずっと俯いている。
流石に止めようと時人が両手を上げようとしたそのとき、リームスが勢いよく立ち上がった。
「いい加減にしろ! なに人様に上からモノ言ってんだ? いつまで人間ぶってここに居座ってんだ!? さっさと首を吊るなりして死ねよ化け物!! 世界もアンリさんもなあ、要らねぇんだよアンタのことなんざ!」
リームスの口から放たれる罵詈雑言に時人は瞳を丸くする。
驚きはもちろん、それ以上に――――
「迷惑なんだよ存在が!! 迷惑! クソ! ゴミ! 社会に何の貢献も出来ねぇ癖に飯食って寝て息してんじゃねぇ!! 今まで殺してきた奴と同じ苦しみを味わって死ね!!」
「――いい加減にすんのはお前だよッ!」
時人もまた声を上げながら勢いよく立ち上がる。
その背丈はリームスと変わらない程で、視線が真っ直ぐにぶつかった。
そこで初めて、エタはシャワーを止めて顔を上げる。
「トキト」
「オレは今、結構怒ってる」
「そうじゃなくて……」
気が付くと、リームスと時人の怒鳴り声に驚いた少年達が皆こちらを見ていた。エタは自分がいることに気付かれてしまい、今すぐにでも浴室から出ていきたい気持ちでいっぱいだ。
だが時人とリームスは帰してくれそうに無い。時人が立ち上がったことによりリームスは少し冷静になり、意地の悪い笑みを見せる。
「……ああ! アンタ知らないんだろ? なあ? そこの白いのが何モンなのか、何してここにぶちこまれたのかをさ。教えてやるよ。ソイツは──」
「オイ」
時人の低い声がリームスから余裕の表情を消した。誰がどう見ても、時人が本気で怒っていたからだ。
「自分の妄想を前提に話を進めて、人を馬鹿にするのはやめろ」
自分の言葉によって、だんだんとリームスが時人の知る人物と重なってゆく。
「さっさと死ね? 存在が迷惑? 社会に貢献出来ないなら息するな?? よくもまあ言えたもんだな。そんな言葉を投げ掛けるのが正しいとでも思ってるのか?
お前はどうなんだリームス。そんな言葉を投げることの出来るお前はどんな理由でここにいる?」
「……!!!」
リームスはこめかみの血管が浮くほど顔を真っ赤にし、冷静さはどこかへ飛んでいっていた。
「ソイツは……ソイツはッ! 鬼だ!! 化け物だろうが!! 人と同じ土台に上がらせていい存在じゃねぇんだよ! 何も知らない癖にいい気になって説教してんじゃねぇぞ!!」
「もう一度言う。妄想を前提にして喋るな、お前。エタがどうしてここにいるのかはエタ本人から聞いているし、そもそもエタは鬼でも化け物でもない。
お前やオレ達と何ら変わらない人間だ」
「────」
場が静まり返る。
時人の言葉がその場にいた少年たちの心にどれだけ突き刺さったのか時人は知る由もない。
ここにいる殆んどの人間が同じことを思った。
(アンリさんも同じ事を言っていた……)
──あの白い奴を貶したり、人じゃないものとして扱うとアンリさんはいつも叱っていた。でも怖く怒れる人ではないし、アンリさんは誰よりも優しいから。白い奴を人間として受け入れさせようとしているだけなんだと思った。でも彼が人と違うのは明らかで、それも凶悪犯で、気持ち悪くて、あの異国民で、やはり化け物なんだと思わざるを得なかった。
仮に本当に人間なんだとしたら。
(そんな言葉を投げることの出来るお前はどんな理由でここにいる? か……)
湯に浸かっていた一人の少年がゆっくりと立ち上がった。
リームスは一部の人間と同じ気持ちを声を上げる。
「妄想を前提に話してるのはどっちだ? ソレとテメェがオレ達と同じ人間なわけねぇだろ」
怒りと動揺から震えるリームスの声。それは時人に、これ以上言い合いを続けてもリームスの考えは一向に変わらないと思わせた。
そう思ったのは時人だけではなく、
「その辺にしときなよ」
と軽い声がリームスの背後から聞こえたのとほぼ同時に、トン、と聞きなれない音がした。
「ッ……!?!??」
リームスは膝から崩れ落ち、その場に倒れてしまった。
「!? えっ、な、なん……リームス?」
あまりに突然のことに驚き、流石に時人もリームスを心配した。だがリームスから反応は無く、代わりにいつの間にかリームスの背後に居た少年が答えた。
ゆっくりと湯から立ち上がった少年だ。
その少年は温泉に似合わない長袖のフィットネス水着を着ており、周りの視線をよく集めている。。
「失神しているよ。今ボクが頸動脈を圧迫させたから、脳へ向かう筈の血液が止められてしまったんだ。
ほらオマエ達、ボーっとしてないでリームスを運んであげなよ。管理人さんにリームスはのぼせたと、ちゃんと伝えるんだよ?」
その少年はニッコリと笑う。
その場にいた他の少年数名がリームスの傍へ駆け寄り、一人は管理人を呼びにゆく。
時人はリームスへ視線をやり、エタはニッコリと笑う少年を睨んだ。
(カウム……リームス以上のクソったれ異常者が出てきやがった!!)
マットブラウンな髪色に、それを明るくしたようなインナーカラーが特徴的な17歳の少年・カウム。
背丈はリームスよりも高く、ほとんど青年となんら変わらない。この監獄内においては珍しい年齢だ。
カウムがリームスにしたのは手刀、当て身であったが、そう簡単なものではなく本来首筋への攻撃は命を奪いかねないかなり危険な技。
彼がそれを易々と行えたのは自身の技術に自信があった──からではなく、仮にリームスがこれで危険な状態に陥ろうが、力不足でただの打撃になりリームスに怒られようがその先はどうでも良かったからである。
「リームス、彼はつくづく運が良いね」
「? あの、貴方は一体……」
時人に声をかけられ、カウムは一段と表情を明るくし、時人の肩を勢いよく掴んだ。
エタがそれに小さく舌打ちをする。
「やあ! ボクはカウム! ここでは上から二番目の男さ。よろしくね!」
(上から二番目……何のことだ? 不思議な奴だ、温泉で水着きてるし……)
「は、はあ。オレは天草……」
「トキトくんだろう? 話は聞いてるよ! 実は仲良くしたいと思っていてね! 一緒に湯に浸かってお話でもしようよ!」
「え。えと、でもリームスが……」
「リームスなら大丈夫! そもそも彼がふっかけた喧嘩だろうし誰も気にしないよ! ああ勿論、エタも一緒に、ここにいるみんなでお喋りさ!」
(エタも……)
カウムの勢いに少し引きかけたが、エタが周りから身を引かれている中、エタも一緒に誘われたことに時人は頬を緩ませた。
それなら、と口にしようとしたその時、エタがタオルに巻かれた状態で立ち上がる。
「…………俺は嫌だ……上がらせてもらう」
時人やリームスの前とは違い、弱々しい声と表情でそう言葉にしてはその場から去ろうとする。
しかしカウムが直ぐ様、エタのタオルを引っ張りながら前に出た。
「まあまあまあまあ。身体も洗い終わっていないだろう? せっかく皆がいる時間帯に来たんだ、交流は大事にしないと……ねぇ?」
カウムは最後に時人を見た。
時人はその言葉に、ああ、と頷く。
「エタ、気は乗らないかもだけどせっかくの機会だし……湯に浸かるだけでもしてかないか?」
エタは振り返り、俯きながら目線だけで時人を見た。それから沈黙が続くがエタは首を横に振る。
(……エタ…………)
「うーん。仕方ない、ねぇトキト……」
「すみませんカウムさん。今日はオレもエタも、もう上がらせてもらいます。リームスのこともやっぱり気になりますし、まだ気持ちに余裕もないですから」
時人はペコリ、と頭を下げる。時人は本来18歳だが、カウムのことを年下として見てはいない。リームスが倒れた後の対応と少年達の反応から、ここでは年上として扱うべきだと判断していた。
だからこそ距離のあるその口調と態度が自然と出て、勢いのあったカウムもつい口を閉じる。
「さ、行こうぜ」
時人はエタにそう声をかけ、カウムの前をあっさりと通りすぎる。エタは驚いて少し遅れながら時人の後ろをついていった。
カウムの表情が曇り、周りにいた少年達はそーっと浴槽に戻っていく。
その中で10歳にも満たないような少年三人だけはカウムに恐る恐る近寄った。
「あの、カウムさん……ボクたちも、もうエタに石を投げなくていいですか?」
「…………そうだね、ただ……少し嬉しそうだね。オマエ達」
「……」
三人は顔を見合わせる。
「だ、だっていつもチュウイされてたのボクらだもん。アンリさんがエタのこと庇うのに、アンリさんをコマらせるのイヤだったのに……」
「トキトがね、ボクらにお風呂の前に声をかけてきたんだよ」
時人がエタの部屋を訪問する前、声をかけていた相手はこの三人だった。
「エタの部屋を聞かれたの。トキトはずっとエタと一緒だから聞いてみたんだ。いろいろさ」
「そしたらジケンのことはきいたけど、エタはギャクサツなんかしてないとオモうって。アンリさんだけじゃなく、ザッハークさんがつれていたトキトがそうイうのに、ね?」
ねー、と三人は頭を頷かせる。
カウムはその様子を見て不気味に微笑んだ。
「これだから責任を押し付けて生きてる子どもは」
そう一言いい残し、カウムもまた浴室から去って行った。
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