翌朝、教室に入るとクラスメイトの様子がおかしかった。どういうわけか、みんながこちらをジロジロ見てくる。
朝の挨拶をしても「お、おう……」と戸惑いの反応が返ってくる始末。なんだか感じが悪い。
「なんなんだよ、まったく……」
面白くないなぁと思いつつ、席に座る。
「おはよー、修也くん」
後ろの席の女子が俺の肩をぽんぽんと叩く。
彼女の名前は前田ねね。サイドポニーが似合う女の子で、放送部の部長を務めている。かなりマイペースなのんびり屋さんで、クラスの癒し系担当だ。
俺は振り向いて挨拶した。
「おはよう、前田さん……なぁ。気のせいだったら悪いんだけど、今日みんなおかしくないか? なんか俺にだけ余所余所しいっていうか……」
「あ、うん。たぶんねー、噂が原因じゃないかなぁ?」
「噂って?」
「修也くんと結愛ちゃんが付き合っているって噂。朝からその話で持ち切りだよー?」
「ふぅん。そんな噂が広まって……えぇ!?」
俺と結愛が付き合っているだって?
そんな根も葉もない噂がどうして広まっているんだ。
俺は前田さんの両肩をがっしりと掴み、前後に揺さぶる。
「なんだよ、そのデマは! 俺たちはただの幼なじみだぞ!?」
「お、落ち着いてよー。私が流した噂じゃないってばぁ」
「あ……ご、ごめん」
前田さんを解放すると、彼女は「まぁ焦る気持ちはわかるけどー」と苦笑した。
「修也くん。本当に心当たりないのー?」
「うん。まったくないんだ」
「そうなんだー。私が聞いた噂だと、昨日、修也くんと結愛ちゃんが街中で抱きしめ合っていたって聞いたんだけどぉ」
「めっちゃ心当たりあって死にたいです!」
あれだ。結愛をナンパ男から守ったときだ。
「その目撃情報は事実だよ。でも、別に結愛と付き合っているわけじゃないからね?」
「そうなのぉ? 修也くんは付き合ってもいない女の子を抱くのー?」
「言い方に研ぎ澄まされた悪意を感じるよ!?」
人を浮気常習犯みたいに言わないでくれ。
前田さんの説得をあきらめた俺は周囲を見回した。
教室の中心にはクラスメイトに囲み取材を受けている結愛がいた。困ったように笑い、みんなの質問に受け答えしている。
「あいつ、余計なこと言ってないだろうな……?」
俺は人の輪をくぐり抜けて、結愛に声をかけた。
「結愛。話があるからこっち来い」
「あ、ちょっと!」
俺は結愛の腕を引っ張って連れ出した。
すると、周囲から黄色い歓声が上がる。
「あ、修也くんが結愛を助けに来た!」
「やだ、まるでお姫様を救う王子様みたい……素敵」
「修也様、かっこいいー!」
いや何そのリアクション。頭の中メルヘンかよ。
だいたい誰が王子様だ。まったく、結愛からも何か言ってやれ……って、お前もニヤニヤしている場合か! お姫様とか言われて浮かれるな!
「結愛! こっち!」
「ひ、引っ張らないでぇぇ!」
俺は結愛を教室から連れ出した。
廊下を走り、人通りの少ない階段まで来て結愛の手を離した。
「結愛。俺たちが付き合ってるっていう噂、聞いたか?」
「あ……うん。なんか広まってる、みたいだね……」
結愛の返事はどこか歯切れが悪かった。
「昨日、結愛が街中で俺に抱きついただろ? それを偶然クラスメイトが目撃したらしいんだ。誤解された原因はそれだと思う」
「う、うん。今朝、その件で問い詰められちゃって……」
「まったく、噂を広めた犯人は誰なんだ……根拠もないのに根も葉もない噂を広めるとは許せん!」
勝手な真似をするヤツだ。せめて事実関係を調べてからにしてほしい。
犯人に憤っていると、
「すみませんでしたぁぁぁ!」
急に結愛が勢いよく頭を下げた。
「え? な、何? 急にどうした?」
「付き合ってるって言ったの、私なんだ……」
は? なんだって?
「待て。言っている意味がわからない。じゃあ何か? 結愛は『付き合ってるの?』って問い詰められて、首を縦に振ったってこと?」
「う、うん。そうなっちゃいますねー……」
な……なんだってぇぇぇぇ!?
「そうなっちゃいますねー、じゃねぇよ! どうして認めちゃったんだよ! 事実無根じゃんか!」
「それは、そのー……本当にごめん! 彼氏いるって見栄を張っちゃいましたぁぁぁ!」
「しょうもない見栄を張るな!」
「だ、だってぇ。今どき恋愛経験のない女子高生なんていないよねぇって、最近友達と話してたんだもん」
「……その話をしていたとき、お前はなんて言ったんだ?」
「『だよね! わかるー!』って」
「アホ毛抜かれてぇのか、お前は!」
俺はアホ毛を掴んで引っ張った。結愛は「いたたっ! あーん、離してよぅ!」と涙目で抗議してきたが、反省するまで解放するつもりはない。
「まったく……もう二度とつまらない見栄に俺を巻き込まないと誓うか?」
「ち、誓います!」
「街中で勘違いされるようなことをしないと約束できるか?」
「できます!」
「わかった。被告人の罪を不問とする」
アホ毛を解放すると、涙目の結愛は自分の頭を大事そうに撫でた。
「結愛。噂はどうする?」
「えっと……どうしよっか。えへへ」
「笑って誤魔化すなよ……しょうがない。俺がみんなに説明して誤解を解いてくる」
教室に戻ろうとすると、結愛に制服のブレザーの裾を掴まれた。
「待って、修也」
「うん? なんだ?」
「その……噂、このままじゃダメかな?」
「はぁ? ダメに決まってるだろ。これ以上、嘘が広まったら困るじゃん」
「修也はさ……わ、私と付き合ってるって誤解されるの、嫌……かな?」
結愛は上目づかいで俺を見た。彼氏に甘えるようなその仕草にドキッとする。
「い、嫌とは言ってないだろ。でも、誤解されたままだと、付き合ってる演技とかもしなきゃいけないぞ? この先の学園生活が大変じゃないか。俺はそれが嫌なんだ」
「私、誤解されたままがいい」
「え……どうして?」
「だってぇぇぇ! 今さら見栄を張っていましたなんて恥ずかしくて言えないよぉぉぉ!」
「結局それかよ! お前が悪いんだろ! 赤っ恥かいてこい!」
「嫌だよぉ! 社会的に死んじゃうもん!」
「やかましいわ! はよ死ね!」
「ひどいっ! それが幼なじみにかける言葉!?」
結愛は泣きながら「おねがぁぁい! 嘘でいいから付き合おうよぉぉ!」と懇願してきた。め、めんどくせぇ……。
「俺は嫌だね。付き合うフリとか面倒くさいし」
「ふんっだ。もしも私のお願いを無下にしたら、修也の黒歴史をみんなにバラしちゃうから」
俺の黒歴史……?
俺には記憶がない。だから、黒歴史がどれほどイタイ過去なのか知らない。
「……ちなみにさ、俺の黒歴史ってどんな感じ?」
「中学生の頃、眼帯と包帯を装備して登校してきてたよ。口癖は『うっ……右目が疼きやがるぜ』だった。あとは真っ黒いノートに呪文とか書いてたね」
「嘘つくなよ。俺に限って、そんなこと……」
「私、当時の修也を動画撮影したことあるし、そのノートも持ってるよ。つまり証拠があるってこと。信じる信じないは修也の自由だけどね。むっふっふ。さぁどうする?」
結愛はアホ毛をひょこひょこ揺らし、いやらしい笑みを浮かべた。
くっ、アホの子に脅迫されるとは一生の不覚……ッ!
「……わかったよ。ひとまず今は恋人を演じてやる」
「ほ、ほんと?」
「ああ。ただし、しばらくしたら恋人関係は解消するからな。そうだな……円満に別れたことにしよう。そうすれば、結愛のメンツも保たれたまま、元の学園生活に戻れるだろ?」
「ありがとう、修也! えへへ、よかったぁ」
結愛はにこっと笑い、その場でぴょんと飛び跳ねた。
……俺が幼なじみに甘いのは昔からだったのだろうか。
「何がそんなに嬉しいんだか……はぁ」
今後の学園生活が憂鬱で、俺は盛大に嘆息するのだった。
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