漫画世界の主人公になった俺は、読者アンケート1位を目指してデスゲーム・ラブコメを攻略する

ここは『ラブコメ』しなければ『死ぬ』世界――
上村夏樹
上村夏樹

12話 生首を流すマーメイド

公開日時: 2020年10月19日(月) 18:04
更新日時: 2020年11月10日(火) 01:42
文字数:2,425

 飛び降りた瞬間、経験したことのない浮遊感に襲われる。


 身を投げた俺はあまりにも無力で、そのまま重力を手放して落下した。下から風がぶち当たり、寒気が足先から頭のてっぺんまで駆けていく。


「んぎゃぁぁぁぁぁぁ!」


 何これ怖い! なんか全身の力が抜ける! なんかよくわかんないけど、おしっこ漏れそう!


 大声で叫んでも恐怖は紛れなかった。 


 駄目だ。溺れることばかりに気を取られていたけど、普通に飛ぶのも怖い。


「怖い怖い怖い死ぬ死ぬ死ぬ死ぬぅぅぅわあぁぁぁぁっ!」


 叫びながら、水面に叩きつけられる。


 着水した瞬間、激しく水飛沫が上がった。いかん。ちょっと漏れたかもしれない。


 水中で必死に四肢を動かす。しかし、体が浮く気配は一向にない。


 予想はしていたけど、体、浮かばないな。当然か。浮かぶなら、普通に泳げるもんな。


 もがけばもがくほど、体が鉛のように重くなっていく。やばい。肺に水が入ったかも。初めて経験したけど、溺れるってこんなに苦しいのか。


 段々と意識が朦朧としてきた。もはや陸を目指す気力すらない。


 俺、なんでこんな苦しい思いをしているんだっけ?


 ……ああ。そうだ、猫町だ。あの子を灰色の青春から救いたかったんだ。


 彼女が当たり前の学園生活を過ごせないのが俺と重なるからかな。こんなに頑張っちゃうのは。


 なぁ猫町。言っても理解できないと思うけど、俺、学園ラブコメの主人公なんだよ。俺が頑張らないと、みんな死んじゃうんだってさ。ただの高校生には荷が重すぎるよな。なんだよ、ラブコメして読者アンケート1位を取れって。普通に漫画家に頼めよ。ただの学生が目指せる限界はせいぜい定期テストの成績クラス1位くらいだよ。


 でもさ……俺、必ずこの世界を救ってみせるよ。


 たまらなく好きなんだ。仲間と過ごした、くだらなかった日常が。


 みんながくれたあの楽しい日常が、記憶を失くした俺の支えだった。仲間との楽しい時間があれば、過去は無理して思い出さなくてもいい。そんな前向きな気持ちにさせてくれたんだ。


 漫画世界の主人公になったとか。ラブコメしないと世界が滅ぶとか。そういう非日常なんていらない。大好きな日常を絶対に取り戻す。


 だから、猫町もあきらめちゃダメだ。


 一緒に楽しかった日々を取り戻そうよ、猫町――。


(あ、れ……?)


 誰かに手を引っ張られる感じがした。


 水の恐怖と戦いながら、おそるおそる目を開く。


 そこには美少女がいた。俺を陸にあげようと必死に頑張っている。


(お前が……猫町、なのか?)


 意識が薄れかけたとき、顔が水面に浮かんだ。酸素が俺を向かい入れ、息ができない恐怖から解放される。


「しっかり! 死んだら許さないからッ!」


 俺を背負う女の子から叱咤が飛ぶ。


 ああ、間違いない。


 被り物をしているときの、くぐもった声とは少し違うけど。


 この子は。


 この威勢のいい元気な女の子は、猫町小春だ。


「がはっ! がはっ、げほっ!」


 陸に打ち上げられた俺は、水を失った魚のようにのたうち回って咳き込んだ。肺に水が入っているのですごく苦しい。


 でも、猫町は容赦なかった。


 彼女は俺の胸ぐらをおもいっきり掴んだ。


「このばかっ! 何してるんですか! 一歩間違えれば死んでたんですよ!?」


「げほっ、げほっ! ね、猫町のこと、放って、おけなかった……」


「それでもこんなこと普通しません! そこまでして、あたしを更生させたいんですか!?」


「うん……猫町が高校生活をあきらめているように見えて……俺、それが我慢できなかった」


「なんで……理解、できない……っ!」


「上手く言えないけど……俺も望んだ学園生活を送れていないんだ。でも、まだあきらめてない。いつか絶対に青春してやるんだ」


 だから、猫町。


「お前もあきらめるなよ。人の視線……怖いかもしれないけどさ」


「でも……あたし、ひとりぼっちで……クラスで誰も味方いないし、もう友達なんてできないかも……」


「大丈夫。俺がそばにいるよ。猫町のこと、見捨てたりしない。俺はお前の味方だ」


「修也くん……ひっく」


 猫町の瞳から涙があふれ出し、白い頬を滑り落ちた。


 ははっ。たしかに可愛い顔している。渋谷辺りを歩けば、芸能事務所から声をかけられそうだ。


 でも、泣き顔は別だ。


「猫町って、泣いている顔はブサイクだね」


 笑いながら言うと、猫町もつられて笑った。


「もう……女の子に言うセリフじゃないですよ、それ」


「ぬこまろを被るヤツに言われたくないよ。あれ、完全に女捨ててるじゃん」


「いやいや。顔が見えなくても、それなりに美少女だったでしょ?」


「お前、やっぱりいい性格してるわ……って、あの被り物はどこいったの?」


「あそこです」


 猫町が川を指さした。その先には、ぬこまろの頭がぷかぷかと浮かんでいる。


「どんぶらこ、どんぶらこ……猫の生首は、下流に向かって流されていきましたとさ。めでたし、めでたし」


「にゃははは! そんな怖い昔話は嫌ですねぇ。全然めでたくないですし」


 めでたくないって?


 そんなことないよ。


「めでたいよ。あの流されている生首は……猫町が過去に決着をつけた証なんだから」


 猫町は驚いたように目を瞬かせたが、すぐに表情を和らげた。


「……そうかもしれませんね。修也くんのおかげです」


 猫町は照れくさそうに笑った。頬が赤いのは照れているのか、それとも夕陽のせいなのか。わからないけど、すごく可愛くて素敵な笑顔だなって思った。


「修也くん、あたしのこと見すぎです」


「なっ……み、見てないし」


「嘘つき。修也くんって、びしょ濡れの女の子を見て興奮しちゃう変態さんだったんだ……」


「やめて! これ以上、俺にマイナス属性をつけないで!」


 もうすでに「浮気者」と「ゲス野郎」という不名誉な称号を得ているというのに!


「にゃはははっ! 修也くんはえっちだ! 変態だー!」


 猫町の笑い声が川辺に響く。


「ぬこまろを被っていた猫町のほうが変態だろ……ぷっ! あはははっ!」


「にゃははは! 変態同士、これからも仲良くしましょう!」


 全身びしょ濡れの俺たちは、タチの悪い酔っ払いみたいに笑い合った。

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